挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年10月20日月曜日

イスラム国のゆくえ

以前、「アラブの春」についてまとめた、その後も「アラブの春」は続いている。
そして暑い夏の訪れと共に「イスラム国」の出現を見ることになった。
「イスラム国」が「アラブの春」の流れの本流ではないが、出現の要因は、アラブの春と重複するところが多いのではないだろうか。
イスラム国の行方は、近代化の行方でもある。
西欧近代化は、今日グローバル化、グローバリズムと名を変えて進行中である。
そのスピードは、20世紀におけるそれスピードの比ではない。
現在、世界で起きている多くの問題は、この近代化が創り出したものである。
地域動向がグローバルに進む近代化の動向に添ったものであるとき、そこには春が訪れ、対抗するものであったとき、そこには紛争が起きるのである。
グローバリズムへの隷属を嫌うアラブの意地もある。
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬアラブ魂」というところであろうか・・・
「イスラム国」の動向をまとめ、その行方を追うことにする。

2014年10月16日木曜日

アメリカ社会のゆくえ

「アメリカ社会のゆくえ」=「現代文明のゆくえ」か?
「『アメリカ社会のゆくえ』と『日本の選択』」についてまとめてみた。

以前マイケル・ムーアの『シッコ』を観て、アメリカ医療制度では、救われなかった患者がキューバの医療制度の中で救われる現実を知り、アメリカ医療の惨状、民営化・営利化する医療制度の限界を知った。
『ルポ 貧困大国アメリカ』を読み、コーポラティズム・新自由主義のすさまじさを知ると同時に、日本では、そうした行動が起こらないだろうと期待もし、予想もしている。

そうした行動の一つに次のようなものがある。

「人の弱みに付け込む」行為は、我々にとっては、人非人と思える。そのような行動にも、彼らなりの理由があり、それが通るのがアメリカなのだ。
自由とは、このようにすさまじいものであると同時に、殺伐とした、空しさも感じられるものである。
そのように我々は自由主義というものを考えているであろうか。

TPPなど、新たな経済圏を確立し、さらなる発展を期待しているが、その未来は、我々が今イメージしているものになるのだろうか。
我々の未来は、人情味あふれたものになるだろうか。
この予想、期待が現実のものになるかどうかはこれからの我々の選択次第である。

2014年10月14日火曜日

非日常について

イスラム国:「非日常」への逃避か 北大生、疎外感募らせ - 毎日新聞を読んで、非日常ということについて考えてみた。


今、イラクで起きていることは、非日常なのか?イスラム国は今、この地球上に存在し、戦いを挑んでいる現実である。確かに中東という日本から遠いところで起きていることである。しかし、現実である。
たとえば、我々にとって、「フクシマは現実か非現実か。日常か、非日常か」、考えてみよう。
我々がフクシマを非現実、非日常と捉えた時、問題は解決しない。なぜなら、参加しないからである。さわらぬ神にたたりなしなのである。そうして我々自身が現実から逃避しているのである。フクシマの問題の解決が遅れているのは、フクシマを現実として捉えないところに一つの原因がある。
イスラム国の問題を非現実と捉え、北大生のイスラム国への渡航を非現実的な挙行と捉えることは、我々自身がこの現実から逃避しようとしていることと同じである。これを現実の問題として捉え、生活に組み込んで、こうした学生と話す機会を作らなければ、この学生のような考えを持つ人は語る場を求め、場が国内になければ、渡航することになる。それを防ぐことはできない。

今は、ハレとケの区別がなく、二十四時間明るい中で、生活が営まれている。

一般家庭では、お茶の間で、テレビでイスラム国に対する多国籍軍の攻撃を観ながら、食事をしている。そして平和を語る。
これは異常である。そして、それが我々の日常になっているのである。

イスラム国の人たちから見れば、テレビを見ながら夕食を楽しんでいる人たちを思い浮かべながら戦っているのが現実なのである。イラン・イラク戦争のときイランに行ったことがある。その時、戦場に一週間後に行くという青年と話したことがあった。彼が「日本は、あこがれの国で、日本に行きたい」と言っていたことを思いだす。

現場(戦場)を仕切り、壁を隔てて、隔離し、接しないようにしているだけで、戦争は同時進行している現実である。

環境問題は、現場を隔離できない。領域を限定できない問題であり、非現実的なことが日常的に起き始めて、右往左往しているところである。

日常と非日常の、現実と非現実の、科学と非科学の線引きが一方的になされ、常識と非常識の線引きが、グローバルスタンダードで押し切られることに納得できない、そういう人がいるのである。

佐世保事件 凶行の裏にある「日常」のなかに次の一文がある。

「特別のこと」と「日常のこと」は地続きです。私たちは、滅多に起きない「特別のこと」を前に、「特別のこと」は日常とは断絶した「別世界」で起きると考え、思考から排除しがちです。でも実際には、「日常のこと」の積み上げのはてに「特別のこと」は起きているのです。

2014年7月28日月曜日

「食の安全」を守るには

科学的思考の破綻が食の安全を脅かす。
〈フクシマ〉や〈スタップ細胞問題〉に共通する「怠惰とナルシシズム」が問題の背景にある。解決策は分散型リーダーシップ(連邦制民主主義)に負うが、前提条件がOPFである。
社会的抑圧が怠惰とナルシシズムを助長し、悪意を発生させたのである。

中国:期限切れ鶏肉か マックとファミマ、商品販売中止 - 毎日新聞

  • 日本マクドナルドは22日、一部店舗でチキンマックナゲットの販売を中止したと発表した。ナゲットの仕入れ先である中国の食肉加工会社「上海福喜食品」で、品質保持期限が切れた鶏肉を混ぜて使用していた疑いが浮上したため。大手コンビニエンスストア、ファミリーマートも今月から販売している「ガーリックナゲット」「ポップコーンチキン」を上海福喜食品から仕入れており、22日から販売を中止。
  • 品質保持期限を半月近く過ぎた鶏肉を混ぜてナゲットを生産している
  • ナゲットの約2割が上海福喜製。
  • 仕入れ先をタイや中国の別工場に切り替えており、23日には全店で販売を再開する方針だ。
  • ファミリーマートは今月から全国約1万店で販売したガーリックナゲットのほか、東京都内などの約10店舗で試験販売していたポップコーンチキンの全量を上海福喜から調達していた。

中国:期限切れ鶏肉 会社ぐるみ疑い濃厚 使用指示の内部文書−−中国報道 - 毎日新聞

  • 日本マクドナルドは一部店舗でナゲットの販売を中止したほか、ファミリーマートも一部商品の販売中止に踏み切った。
  • 食肉加工会社「上海福喜食品」の工場で、品質保持期限を半月近く過ぎた鶏肉を混ぜてナゲットを生産し、不合格品を5%の割合で生産ラインに戻してミンチにしていた。
  • 「期限切れを食べても死にはしない」などと発言していた。
  • 日本マクドナルドでは21日から上海福喜で作られたナゲットの販売を中止。全店舗の約16%に当たる約500店舗ではナゲット販売そのものを中止した。
  • 中国国内ではケンタッキーフライドチキンやスターバックスにも問題の食材が供給されていた

中国:期限切れ鶏肉 日本側の甘さ指摘も - 毎日新聞

  • 食品衛生法上の問題が確認されれば、輸入自粛の指導などを検討する。
  • 中国製冷凍ギョーザ事件などを受け、中国でも衛生管理の厳格化が進んでいるが、まだまだ万全ではないのが現実だ」と話す。
  • 「マクドナルドはそうした検査をきちんと行っていたのか疑問だ。契約して終わりではなく、常に仕入れ先をチェックすることも重要だ」と指摘した。
  • 期限表示もなかった50年前の日本のようだ」と指摘。
  • 食べた人の健康への影響については「もし、肉が腐っていたり大量の微生物が繁殖していたりしたとするなら、これまでに食中毒が続出しているはず。そうした被害報告は聞いていないので、消費者が『以前に食べてしまった。どうしよう』と不安になる必要はない」と語った。

期限切れ肉:中国国内9社に納品…混入業者 - 毎日新聞

  • マクドナルドやピザハット、バーガーキングなどファストフードチェーンを中心とする計9社に製品を納入していた
  • 同社の品質管理担当者は工場長らの関与を認めており、会社ぐるみの疑いが濃厚になっている。

中国:期限切れ肉 当局、違法5製品100トン押収 - 毎日新聞

  • 中国マクドナルドは全国の店舗に上海福喜の製品の使用停止を命じており、騒動は中国全土に波紋を広げている。
  • 上海市の食品監督当局は22日、上海福喜が中国国内のマクドナルドやピザハット、バーガーキングなどのファストフードチェーンや、コンビニエンスストアのセブン−イレブンなど計9社に製品を納入していたことを明らかにした。
  • ファミリーマートは仕入れ前、社員を現地工場に派遣し、安全管理体制を点検。発売前にも取引を仲介した伊藤忠商事が品質を確認した。

中国期限切れ肉、二重チェックでも見抜けず  :日本経済新聞

  • ファミマの中山社長は「(ファミマと伊藤忠の)ダブルチェック体制を取っていたにもかかわらず、このような事態になってしまい戸惑いはある。信頼できるパートナーをどうやって見つけていくか、もっと深く考えていかないといけない」と語った。
  • 上海福喜はマクドナルドのグローバルな品質管理基準に適合すると指定された食品工場だ。
  • 08年には中国産冷凍ギョーザへの殺虫剤混入事件が起きたほか、日本でも13年12月にアクリフーズ(当時)の群馬工場(群馬県大泉町)で冷凍食品への農薬混入が発覚した。
  • 消費者庁の阿南久長官は23日の記者会見で、今回の問題について「中国産の加工食品を輸入する企業は多いが、現地の工場に深く関わって、品質管理をチェックする態勢が必要だ」と述べた。
  • コンサルティング会社のインターリスク総研の奥村武司CSR・法務グループ長は「仕入れ先には意図して異物を混入する従業員がいるという性悪説に立って、監視カメラの増設などの対策を求めるべきだ」と指摘している。

中国:期限切れ鶏肉 「上海」から鶏肉年6000トン 全量マックとファミマ - 毎日新聞

  • 厚生労働省は23日、上海福喜から日本国内への輸入量は今月21日までの1年間に計5956トンだったと明らかにした。輸入業者への聞き取りではファミリーマートに約180トン、日本マクドナルドに残り全量が納められ、流通先はこの2社に限られるという。
  • ナゲットの2割が上海福喜食品製で、21日から最大約500店舗で販売を中止。タイや中国の別会社の工場で作ったナゲットを22日中に販売中止店舗に納品した。
  • ファミリーマートは、上海福喜食品から仕入れたガーリックナゲットとポップコーンチキンの販売を22日から中止しており、販売再開の予定はないという。

中国:期限切れ肉 上海のマック、ハンバーガー消える 市民「外資系なのに」 - 毎日新聞

  • 消費者には「外資系なのにこういうことが起きるとは」と、困惑も広がっている。
  • 友人と来た高佳さん(26)は「中国の食の安全の問題は、いつになったら解決するのか。注意して選べと言っても、確実に安全なものは値段が高い。結局悪い物を食べさせられるのは庶民だ」と怒りの表情。一緒にいた友人は「中国はまだそういう国なのか」と話した。
  • 飲料だけを頼んでいた女性(32)は「外資系企業の工場でも起きるのか。マクドナルドもまた被害者だ。日本では安全な食べ物しかないと聞いていたけれど、日本にまで輸出されていたのなら影響が大きすぎる」と話していた。
  • 「ギョーザ中毒事件を思い出した。安全を追求すると言っても格好だけで、企業として未熟だ」と憤った。

クローズアップ2014:期限切れ鶏肉 「中国リスク」監視限界 指導や検査、日本企業「ショック」 - 毎日新聞

  • 今回の問題は、上海のテレビ局「東方衛視」が約2カ月間、潜入取材し、結果を20日夜に放送して明るみに出た。報道によると6月18日、「上海福喜」の工場で従業員が18トンの鶏胸肉などを機械に入れて加熱し、ナゲットを製造。このとき、肉などの入った袋の生産日は、5月28日と30日だった。品質保持期限は6日間。約半月過ぎている。だが、従業員は「関係ない。運べ」と指示するだけだった。
  • 中国ではこれまでにも、食の安全を巡る問題が相次ぎ、国産食品や規制当局への不信感も高まっている。
  • そのきっかけとなったのが、大手乳製品メーカーの粉ミルクに有害物質メラミンが混入した事件だ。
  • 食品安全に詳しい中国農業科学院農業経済発展研究所の曹新明高級エコノミストは「コストを抑えようと故意に問題のある食材を使うような行為が体質になっている」と指摘、「金もうけ優先」の風土が背景にあると見る。曹氏は「法律をさらに厳格化し、違法行為を細かく定める必要がある」と訴える。
  • ただ、これまでも厳罰化や監督権限の拡大などは講じてきたが、人員不足で十分に監視できず、違法行為を野放しにしているのが実情だ。「監督当局が権限をちらつかせ、付け届けや賄賂を要求するのが日常茶飯事」(日系大手流通)という風土も、企業の意識向上を妨げる。
  • 企業が「問題があっても賄賂を渡せば見逃してもらえる」と考えれば、安全管理のコストをかけなくなる。今回の問題を巡っても、中国メディアは「地元当局は優良企業と称賛していた。司法当局は、上海福喜と地元政府に不正な関係がなかったか調査すべきだ」(中国紙・北京青年報)と批判。背景に官僚の根深い腐敗があると指摘している


鶏肉問題、厚労省が調査へ  :日本経済新聞

中国:期限切れ鶏肉 マック、中国製販売中止 タイ製に、品切れの恐れ - 毎日新聞

  • 日本マクドナルドは上海福喜食品が製造していたナゲットを販売してきたが、期限切れ問題が発覚した翌日の21日から、上海福喜食品から仕入れた鶏肉を使った「チキンマックナゲット」の販売を中止している。今回は上海福喜食品以外の中国製鶏肉を使った商品も販売を中止し、一段と厳しい措置に踏み切った。
  • 今後は中国からの調達は再開せず、タイ製に一本化する意向。中国製鶏肉は、在庫として保有している分はすべて廃棄する方針。
  • 日本マクドナルドは、チキンマックナゲットを購入した客への返金に関して、「(期限切れ鶏肉が商品に使われるなどの)事実関係の調査結果が出た後に検討する」と説明している。

中国:期限切れ鶏肉 マック、中国製販売中止 他社、追随には慎重 品切れリスク懸念 - 毎日新聞

  • 食品業界には「中国製イコール悪」のイメージがつくことへの懸念が広まっている。
  • コストの低さから原料や加工品の調達を中国に頼っている業者は「中国製を取りやめれば品切れを起こす」(大手食品)という懸念があるからだ。
  • 今後はこれらの食品についても、厳しい品質管理が行き届いた工場に委託先を変える。ただ「現地ならではの高品質な食材がある」(広報)ので、中国との取引からの撤退は考えていない。
  • この会社の幹部は「中国製イコール悪、と思われるのが一番のリスク」と打ち明ける。
新たな信頼につながる神話づくりが必要になる。

中国:期限切れ鶏肉 輸出製品の品質、検疫当局が調査 - 毎日新聞

  • 一方、上海福喜から中国国内で製品を仕入れていたのは2社増えて計11社となった。

中国:期限切れ鶏肉 「上海から輸入」香港マック謝罪 当初は否定 - 毎日新聞

  •  一方、上海福喜から中国国内で製品を仕入れていたのは2社増えて計11社となった。

シシャモ:汚物、殺鼠剤混入か ベトナム産冷凍品を回収 - 毎日新聞

  • 商品名「子持ちからふとししゃも」で、伊村産業は同一ロット品の自主回収を始めた。山口県は伊村産業に対し、同一ロット品の販売中止と消費者へ周知、異物混入の原因究明を指導するとともに、消費者にこの製品を食べないよう呼び掛けている。

アイスランドを原産地とするカラフトシシャモがベトナムで加工され、最後は日本の消費者の胃袋に向かう。輸入された冷凍シシャモ  :日本経済新聞

  • グローバル・サプライチェーン。IT機器や自動車など、複雑な工程で作られる工業製品によく使われる言葉が、食料品にもあてはまるのだ。
  • 「地雷があちこちに埋め込まれた戦場として食料品店を見る」。米国の食肉汚染に関する調査報道でピュリツァー賞を受賞したマイケル・モス記者は、食品産業について書いた本の最後にこう記している(「フードトラップ」本間徳子訳)。最終的な選択権は消費者の手にある、とも。

期限切れ肉、幕引き急ぐ 米親会社CEOが謝罪  :日本経済新聞

  • 同社は中国を世界有数の巨大市場として重要視しており、過去5年間に5億ドル(約500億円)を投資している。
  • 中国の消費者を対象にした食品安全教育のために、今後3年間で約1千万人民元(約1億6500万円)を支出することも発表した。
  • 今回の期限切れ肉の問題は、食の供給網(サプライチェーン)がグローバルに絡み合っていることを鮮明にした。OSIは世界の外食チェーンを支えており、中国事業の早期立て直しで信頼回復を図る方針だ。

2014年7月22日火曜日

名称と基準

脱法ドラッグ:新名称は「危険ドラッグ」 - 毎日新聞」は、
《社会問題になっている脱法ドラッグについて新しい名称を国民に募集した結果、「危険ドラッグ」を選んだと発表した。》 《危険性が伝わる新しい名称を募集して》、極めたものである。
危険性が伝わる ⇒ 暴走運転が減少 という構図を描いているようだが、
結果を期待してみよう

日本らしいサッカー

「日本らしいサッカーができなかった」「日本の強み発揮できず」が表現するもの、それが弱みだ。
こう表現する限り、問題がどこにあったのか、具体的な問題点を隠蔽する。
「日本らしいサッカーができたけど通じなかった」「日本の強みを発揮したけれども相手がそれ以上に強かった」という表現にしたら、もっと正確に現実を捉えること、彼我の力の差を捉えることができるのではないだろうか。反省の中に、対戦相手の姿がない。相手は「想定外」であったのだ

いつまでも、仮定の中でプレイしないで、体験に基づき反省する必要があるのではないか。
我々はよく反省する。しかし、都合のいい様に反省する。猿真似だ。経験を活かした反省にならない。
常に理想を基準にし、現実を夢想する。
「理想通りにいけば、勝てたのに」との弁は、いつ現実に基づいて試合をするのかと疑いたくなる。
反省する時は、現実に基づいて、誰が、どこで、何をしたことが原因で、ゴールに結びついたと具体的なものにしなければならない。
当然、そのような反省はあったうえでの会見発言であろうが、何か現実感に欠けている。

理想として、目指したものはあった。それの完成度はどのようなもので、対戦相手によって、どれだけの選択肢を用意していたのか。図上演習が、机上演習になり、実戦練習になり、戦術を具体化する。
プロセスは同じでも、成果は異なる。人間性が現れてくる。
個人の技量と戦術のマッチング。スマートだけでは通じない。
野外スポーツは元々ワイルドなのだ。この両立をどこまで徹底できるか。

2014年7月17日木曜日

トラウマは怠慢から

ヘイトスピーチ」について、述べた時、〈トラウマ〉に触れた。
「集団的自衛権と湾岸のトラウマ」が〈トラウマ〉を取り上げている。
信念に欠けることがトラウマになったこと、それは自己の怠慢であった。湾岸戦争はそれに気づく切欠であった。この状態に若者は飽きているということが判る。

2014年7月15日火曜日

一日を生きる

日本経済新聞『春秋』の「日付は無数の光景でできている。生まれてから経験した様々な出来事。初めて見た風景。世界中で日々、起きている誕生や死。慶事や」が目に留まった。
その中に、「古代ローマの詩人は『この日をつかめ』と言った」とある。
《模倣とは過去を掴み取ることであり、創造とは未来を掴み取ることである》と謂われることを思った。
過去や未来は思うことができるが今は思った瞬間に過去になる。今は無心に生きるしかない。無心に生きるとは遊ぶことである。「この日をつかめ」とは、「明日の事を思い煩うな=遊べ」ということか? 
予見、予知が進み、問題意識が高まり、煩うことが多くなった。病膏肓に至るで、患う者が出てくる。

閣議決定じゃないでしょう!!

集団的自衛権行使容認の閣議決定が7月14日になされた。
三島憲一・大阪大名誉教授が毎日新聞で「集団的自衛権行使容認の閣議決定 ワイマール空文化、ナチスと同じ手口」と述べている。 
「日露戦争まで祖国防衛戦争を戦った日本が十五年戦争へと進んだ』歴史を踏まえ、「集団的自衛権」について、同じ轍を踏まぬことを祈りながら、その動向を注視している。
平和ボケで、視野狭窄に陥った我々は、原発を容認し、〈ヒロシマ〉で懲りず〈フクシマ〉で原発の災禍を再び経験することになった。
思い込んだら命がけ、初志貫徹の特攻精神しかないのかと疑いたくなる。
原発再稼働を早くも決め、戦前の電力財閥の亡霊の再生を想わせるエネルギー事業再生構想は、杞憂が現実になっているようだ。

次の意思決定

先に「意思決定」についてまとめた。
イチロー、どこに何を求める? 今オフFAに」の記事を見つけ、フォローすることにした。
《10日の試合は休養的な意味合いで先発を外れたが、代打で出場するとヒットを放っている。これがメジャー通算2800安打という節目の1本となった。   意味するものを問われたイチローは「意味は探してはいない。つけるなら、人がつければいいと思う」と苦笑いした》
彼は今何を思っているのか。

2014年7月12日土曜日

社会福祉法人に社会貢献活動を義務付け

社会福祉法人に社会貢献活動を義務付け 規制改革会議」の記事を見て、考えを改めた。
社会福祉法人が、社会貢献活動をしていないことを裏付けるものであり、社会福祉法人の資格をはく奪すれば済むことである。しかしながら、それができないところに問題がある。問題は、社会貢献活動が社会福祉法人の専売特許ではなくなっているところにあるのではないか。
社会福祉と社会貢献の概念が、それぞれ変化し、新しくなっているにもかかわらず、極端にいえば「社会福祉=社会貢献」として、社会貢献を社会福祉法人が独占しているところに問題の現況があるように思う。いや実際には独占できないものである。にも拘らず、縦割り行政で、公益は公益法人に、社会貢献は公益法人である社会福祉法人を中心に・・・」というイメージのままに、改革が進められているように想える。
なぜ、今回のような解決策になったのか。
「わかっちゃいるけど、やめられない」と既得権益を惜しむ所に生まれた対策とした思えない。
そもそもから考え、問題を明らかにしてみよう。半年遡って経緯を探ってみると、

社会福祉法人、財務諸表の公開4割どまり2013/10/24 20:41

  • 厚生労働省はホームページか広報誌で財務諸表を公開している法人は全体の4割にとどまると報告した。
  • 規制改革会議は「税金が入っていながら、あまりにお粗末」(岡議長)と批判し、全ての社会福祉法人に2013年度の財務諸表の公表を求めた。
  • 社会福祉法人は福祉施設や保育園、病院などを経営しており、行政から補助金や税制の優遇を受けている。

社会福祉法人の利益率、上場企業超える6% 優遇見直し論も2013/11/27 0:41

  • 非営利の社会福祉法人の利益が、収入に対して年平均6%程度と上場企業を上回っている。
  • 社会福祉法人の黒字額の合計は年間5千億円を超える。
  • 社会福祉法人は非営利性や公益性を理由に、法人税や固定資産税が非課税と優遇されている。
  • 「社会還元の意思がない法人は非課税優遇の資格がない」と指摘している。
  • 社会福祉法人は非課税措置に加え、企業が法律上参入できない特養の経営をほぼ独占し、保育所経営でも企業が受けられない補助金や低利融資を受けられる優遇がある。
  • 一方厚労省は、社会福祉法人の財務諸表の公表を14年度から義務化することを決めている。

社会福祉法人の財務巡り議論、規制改革会議2013/11/27 19:04

  • 介護や保育での企業との競争条件の公平化へ議論を深めることを確認した。

社会福祉法人に社会貢献活動を義務付け 規制改革会議2014/2/28 19:05

  • 社会貢献は低所得者向けの無料・低額介護サービスの提供が柱。違反した場合、業務停止など罰則を設けることも検討する。
  • 特別養護老人ホームの経営を社会福祉法人などに限る参入規制の緩和を今後議論することでも一致した。
  • 安易に事業から撤退できないよう、新たな規制も検討する。ただ厚労省は民間企業の参入に反対の姿勢を示している。

社会福祉法人への社会貢献義務化に慎重、厚労省2014/3/17 19:57

  • 介護や保育での企業との競争条件の公平化へ議論を深めることを確認した。

社会福祉法人に地域貢献義務付け 内部留保批判で厚労省2014/6/15 0:06
  • 社会福祉法人は2兆円の内部留保を抱えるなど利益体質に批判があり、運営の見直しを求める。
  • 義務に従わない法人には、所轄の行政庁が業務停止や解散を命じるなど処分する方針だ。
  • 地域の福祉を担うが、利益が出やすい高齢者向けの施設運営などに注力する法人も多い。
  • 介護や保育に参入した企業からは「競争条件が不公平だ」との批判が強い。
  • 財政難で公費や社会保険で賄う福祉サービスを広げにくい厚労省は、同法人を活用したい考えで、組織運営の見直し論が強まりそうだ。

「社会福祉法人と社会貢献活動」について、こちらにまとめて置いた。


レリジエンスとは

イノベーターの本棚に、《レジリエンスとは、失敗に挫けずに学習する「個人と組織」のマネジメントとリーダーシップである》という。
『危機とサバイバル』以来、レリジエンスなる語にしばしば出会う。
レジリエンスについてまとめてみた。

イノベーターの本棚

変化の時代に不可欠なレジリエンスという概念

ビジネスパーソンにも注目され始めた「レジリエンス」とは何か?
  • レジリエンスはさまざまな分野で使われる概念ですが、共通しているのは、変化が起こることによって生じる困難に対して、踏み止まり、復元していく能力やプロセスである
  • レジリエンスの高い人を「竹」に例えることがあります。
  • レジリエンスの構築を考える際には、環境学や心理学などの特定分野の視点だけでなはく、少し概念的な視点を持ち、他の分野での知見を参考にすることが効果的なことだ。
  • システム、企業、個人が極度の状況変化に直面したときに、基本的な目的と健全性を維持する力
  • 「頑強性との違い」
  • 「冗長性との違い」
  • 「レジリエンスは元の状態への回復を意味しない、
  • 元に戻るだけではなく、より高いレベルに戻る(成長する)
  • レジリエンスの多くはシステムを開放し、資源の一部を再構築するために「一定の頻度で適度な」失敗を必要とする
  • レジリエントであるには適度な失敗をして、やり方を調整することが必要だ
  • 一方で効率的で脆弱でありながら、他方で非効率で頑強であることです。
  • 「潜在的機能集団」という性質を取り入れる
  • レジリエンスの構築には「システムのダイナミクスと再構築可能性の維持」が不可欠であり、そのためには、
     ①信頼性の高いフィードバックループ
     ②ダイナミックな再構築
     ③固有の対抗メカニズム
     ④分離可能性
     ⑤多様性
     ⑥モジュール構造
     ⑦単純化
     ⑧高密度化
    といった構造が必要だとしています。
  • 都市と熱帯雨林を取り上げて、レジリエンスのために多様性や密集していることの重要性を説いています。

  • どのようなシステムにおいてもレジリエンスは「関わる人の意思と情熱、個人およびチームが変化に適応する能力や目的に向かって結集する力」による
  • 個人のレジリエンスの要因として、
    ①楽天的、自信家といった性格的特徴
    ②自己回復力
    ③自己統制力
    ④信仰心
    ⑤コミュニティ
    ⑥遺伝
  • レジリエンストレーニングの一つとしてマインドフル瞑想のレジリエンス
  • レジリエンスは組織やコミュニティの問題と捉え、そのコアになるのが「信頼」と「協力」
    ①協力と信頼の生まれ方
    ②リスクを抑制する多様性や寛容さ
    ③コミュニティの適応能力
    ④通訳型リーダーの存在


所感:
自然治癒力・信頼の構築・コミュイティソリューションなど、すでに検討された考え方と重複するところが多々ある。参考になった。

ビッグデータの動向 主観的情報を客観的データに

株価もアフリカの流行も予測、米データ分析最前線  :日本経済新聞

  • 同社は独自の分析手法を用いて「投資家心理指数」を作成。平均株価から個別銘柄の指数まで需要に応じて作成する。

■SNSのコメントが情報源

  • 多くのニュースサイトや、450万に及ぶSNSサイトからコメントを常に収集して、投資家の反応を探るとともに、売買につながるかどうかを予測する。
  • 「本当に予測に生かせそうなのは、全体の5~10%」と語る。膨大な量の中から質を保って、指数に反映することが重要という。
  • 日本でもネット証券会社がSNSのコメントを株価分析に取り入れようとしている。だが情報の真偽性の見極めや監督官庁との調整などもあり、実現していない。

■インドで流行するシャンプー予測

  • インドでの日用品調査。シャンプーの容器にバーコードシールを貼り、購入後に携帯電話を通してアクセスしてくれた消費者に感想や要望を聞く。そこから満足度や新機能、売れ筋の地域などを分析して、次の計画を立てる。
  • 予測モデルは商品の流行にしろ、衛生状態の先読みにしろ、天候や経済状況から把握して、一歩先に動くことが狙いだ。

受注増やす「にぎやか職場」、ビッグデータ分析で醸成  :日本経済新聞

■センサーで「つながり」を可視化

  • 「会話が多く、盛り上がっているように“見える”」など、観察者の主観に頼るしかなかった。センサーの導入によって、「活発度」が客観的かつ定量的に把握できるデータとなり、ほかの指標との関係を分析できるようになった。
オペレーターの休憩中の活発度と受注率の相関を発見

■ハブ役が孤立社員を盛り上げる

  • 孤立しがちなオペレーターを特定。各チームの管理者を「ハブ役」に任命し、孤立しがちなオペレーターと積極的にコミュニケーションを取るよう促した。
  • オペレーター1人の1時間当たりの平均受注件数が、導入前は約0.5件。施策の開始後は約0.75件にまで高まった。オペレーターの生産性が1.5倍に上がったわけだ。
  • 「管理者が1人ひとりのオペレーターにきめ細かく目を配ることが難しくなってきた」と長谷川執行役員は話す。だからこそ、つながりをデータ化する仕組みが必要だった。

ビッグデータ革命児、沖縄から仕掛ける流通下克上  :日本経済新聞

■全国の食のデータ集積狙う

  • 店ごとに商品コードが異なるため、全国の販売動向を把握することができなかった。
  • 加工食品はJANコードで統一されているため、各社の情報を統合して、「売れ筋」などを分析できる。だが、生鮮品や総菜は、統合データをつくれず、精緻な販売策に落とし込めない。
  • JDICは流通から商社、公益財団法人、金融機関、業界団体まで、幅広く出資を仰ぐ方針を打ち出している。

■協力店にはデータを無料提供

  • すでに、天気予報を販売予測に結びつけているが、今後は交通データやテレビ番組の情報との連動も視野に入れる。CMを打った地域で販売がどう変化したのか、ライバル商品の動きも含めてリポートするという。

■「上得意客」対策は何もなし
■娘からの手紙に再起を決意
■数字と格闘、「法則」見つける
■売り場を機敏に変え大手に対抗

  • 併売戦略に力を入れる。一度、スーパーに足を踏み込んだら、次々とカゴに商品を入れてしまう「連鎖消費」を仕掛けるわけだ。
  • 大手流通がプライベートブランド(PB)など、価格訴求型の規格品で、地方を席巻しようとしている。そこに対抗するには、消費動向に合わせて売り場を機敏に変化させるしかない。

■業界の営業利益率はわずか1%

  • 生鮮品の廃棄率(金額ベース)は12%、総菜にいたっては18%に上る。食品売り場全体でも、5%のロスを生んでいる。一方、業界の営業利益率はわずか1%。利益の5倍に当たる食品を廃棄していることになる。

2014年7月11日金曜日

慰安婦問題をどう解決するか

毎日新聞の記事を参考に、要旨をまとめると、次のようになる。
  • まず、今回、世評に乗ったことは《難問を考え直す機会になった》ことである。
  • 大事なことは《事実は事実として認め、協力関係を再構築する》ことである。
  • 《過去をこれ以上、掘り返しても互いの信頼が損なわれるだけだ》。
  • 従って、日本側だけでなく、《韓国側にも配慮を求めたい》。
  • そして、最後に《今の政治・政権への不信感や不満を決して忘れないこと》が求められる。

慰安婦問題解決への道
  • 日本側は既にこれを検討していました。就職詐欺で連れて行かれた人が13人、暴力、拉致で連れて行かれた人は5人などというもので、16人の聞き取りの印象は19人の証言と重なります。
  • 事実は事実として認め、協力関係を再構築するよう願っています。
  • 10月28日、斎藤官房副長官と李東官(イドングァン)大統領特使が東京で会談し、次の解決案で合意しました。(1)日韓首脳会談で協議し、合意内容を共同コミュニケで発表する(2)日本の首相が新しい謝罪文を読み上げる。従来、「道義的責任を痛感」すると述べていたが「道義的」を除き、国、政府の責任を認める文言にする(3)駐韓大使が被害者を訪問し、首相の謝罪文と国の予算で謝罪金をお渡しする(4)真相究明のため第3次日韓歴史共同研究委員会を作り、その中に慰安婦問題小委員会を設けて共同で研究を行うよう委嘱する。
  • 政治や外交は結論の発表ばかりで、過程が不明なことが多い。その点では、河野談話検証は安倍首相らの当初の意図はともかく難問を考え直す機会になったのではないか。
松田喬和のずばり聞きます
  • 今は日韓、日中ともに全ての問題が解決しないまま、ただお互いがにらみ合っているだけです。
  • なぜなら首脳会談では北朝鮮の核問題などへの共同対処がうたわれたこともプラスですが、何より韓国側との会談を通じて中国首脳が今、何を考えているかが少し見えるようになったからです。
  • 自由主義国の韓国が共産主義国の中国につくという状況は極めて考えにくい。日韓関係が好転すれば、日本経済の比重もぐっと増します。
  • だから、まずは国内の政治状況を変えないと。
  • 昔なら派閥が政治家を守ってくれたが、今は誰も守らないから、党執行部や官邸に異論を唱えられず、議論にならない。
  • 野党の議席が少ないのは有権者の判断です。公明党も議席が少ない中、よくやった。これからもブレーキ役を期待すべきだと思います。
  • 結局、有権者が政治を変えるしかありません。それには今の政治・政権への不信感や不満を決して忘れないことです。

  • 1993年8月、宮沢喜一内閣の河野官房長官が政府調査に基づき、従軍慰安婦への旧日本軍の関与などを認め、公式に謝罪する談話を発表(歴代内閣は談話を踏襲)。今年2月、国会で調査の信ぴょう性に疑義が示されたのを契機に、政府が専門家による検証を開始。▽元慰安婦に聞き取り調査をする前に談話原案が作成されていた▽韓国側と文言調整をした−−などとする報告書を6月に公表した。

社説:河野談話の検証 これで論争に終止符を
  • 日韓関係改善を迫る米国の意向もあり、首相は3月に談話継承を表明せざるを得なかった。
  • 事前調整があったのは、韓国が受け入れ可能な内容でなければ意味がないと日本も考えたからだろう。そのことで談話の信頼性や正当性が損なわれたと考えるのは誤りだ。
  • 過去をこれ以上、掘り返しても互いの信頼が損なわれるだけだ
  • 韓国側にも配慮を求めたい。過剰な表現で一方的な批判をするのは控えてほしい。

2014年7月10日木曜日

高齢化、必ずしも健康化ならず

健康の基準を、どこに置くか?
高齢者の健康管理が特に話題に上る。
高齢者の健康の基準をどこに置くかで健康の捉え方は変わる。
「心臓は、24・5歳ころの生活状態、運動量、食事の摂取量等を基準に構造化される。従って、その当時の生活状態からの変化が、血圧やコレステロール値として現れることになる」という。
つまり、われわれの無意識の感覚では、身体的に完成し、成人となる年齢と成る24・5歳で最高の装備を完了した時、その状態を健康の原点と感覚するといえる。
ということは、その最高状態から、年齢を重ねるにつれ、徐々に健康は損なわれていくものである。
つまり、健康の基準を原点(24・5歳)においたままでは、それ以降の人生は、ずっと不健康ということになる。先ず、年齢に応じた健康感を持つことが必要になる。
問題は、21世紀に入り、未知の高齢社会を体験することになった人類には、まだ70代、80代の人の持つ健康感に対する常識は確立されていない。未知の不安にさいなまれ、健康を害している人も多いのではないか。さらに豊かな人生を体験できるかもしれず、その際の健康感、健康の基準は全く異なるものになるかもしれない。
長い歴史の中で、夜昼の間断なく活動できるようになったのはごく最近の事である。それまでは我々の生活は星辰の運行と同期していた。夜は休むように体も習慣づけられていたのである。つまりいわゆる体内時計は星辰の運行と同期していた。いわゆるバイオリズムなるものの根源である。

才華が、災禍

才華災禍に転じた。《ブラジルのサッカーの才は災いにもなる》と報じられる。
  • シャンクリーは「サッカーは生きるか死ぬかの問題だと考える人がいる。だが、断言しよう。サッカーはそれよりずっと、ずっと重要だ」
  • サッカーは時折、国民生活の他の分野における才気を刺激するインスピレーションではなく、代用品としての役割を担っているように見える。
  • デモ隊は、競技場だけでなく「FIFA基準」の学校と病院も求めて声を上げた。
  • ブラジルのジルマ・ルセフ大統領はデモ隊の要求の正当性を認め、彼らの願望を満たせるよう、いっそう努力することを約束した。
  • ブラジルはW杯の直後に予定されているBRICS首脳会議を主催する。報道によれば、サッカー好きな習近平・中国国家主席の要求でこのタイミングになったとされている。
  • ブラジル代表チームのルイス・フェリペ・スコラリ監督は、W杯を勝ち取ることは「最低必要条件」だと述べた(ブラジルはスタイルをもってプレーしたいとも考えている)。勝つにせよ負けるにせよ、2位に甘んじないスコラリ監督の姿勢に学び、ブラジルが生活のその他の分野にその姿勢を適用したら素晴らしい。

2014年7月9日水曜日

ヘイトスピーチ

なぜ、ヘイトスピーチが起こるか。「ヘイト」という感情について、「免疫」になっていないことが、「ヘイト」感情に感染する原因ではないか。つまり、「ヘイト」感情がどれだけ、人を傷つけるものであるか、その体験が無い、あるいは足りないことが原因である。免疫抗体ができていないから感染するのである。そしてこの抗体は、感染してつくられるものであり、観戦によってはつくられないのである。
要するに異文化体験をすることが、タイバーシティの中で生きる経験が免疫をつくるのである。
また異文化体験が、間違ったものであると、トラウマになり、正常な反応ができなくなる場合も考えられる。トラウマは特殊な性情である。
〈ヘイトスピーチ〉とは、 《特定の人種や民族への憎悪や差別をあおる言動》のことで、《数年前から、在日コリアンが多い東京・新大久保や大阪・鶴橋で繰り返されている》ものである。《英仏独など欧州主要国は刑事罰を科しているが、日本や米国は表現の自由などを理由に法規制には慎重だ》と謂う。
朝鮮学校授業妨害:街宣損賠訴訟 2審もヘイトスピーチ違法 大阪高裁、在特会の控訴棄却は、「ヘイトスピーチ違法」として、控訴を棄却したことを報じている。
上野千鶴子氏は「現代史教育を軽視した付け」だという

自然の驚異は国防を超える

7月8日台風8号が沖縄を襲った。
台風8号[1]は中心付近の最大瞬間風速が70メートル(秒速)と予想され、気象庁は重大な災害が起こる可能性が著しく高まった場合の「特別警報」を台風では初めて発表した。》と毎日新聞は報じる。同時に、《米軍機61機がグアムなどに避難》したことも報じている。
自然の猛威の前に、軍事的権威も形無し、しっぽを巻いて避難する。


そこで、台風と核エネルギーの比較について考えて見た。
ウェブサイトで、《[Q&A] 台風や核爆発のエネルギーは何ジュールですか ...》を参照し、気候変動の脅威を思った。

見えるということ

ヒトより見える眼 赤外線センサー、市場拡大「第2幕」

ヒトより見える眼は便利で多様な用途が考えられる。
社会のサービス向上が期待され、上に挙げられているようにそのメリットが強調される。
しかし、デメリットも生じる。導入に当たっては我々の生活が大きく変わっていくということである。
便利な道具ができれば、それだけ依存的になる。生活空間の変化は人間関係、信頼関係に新たにこうした眼が加わるということである。「注意」というこうどうは資格も含め五官の通した総合的な働きであった。これに新たな眼が加わることになる。もちろんこの眼をどう位置付けるかは個人によって違う。
スマートシティ、スマ-トライフはあらゆる場面にこうした眼が働く生活空間を予想させる。
我々は周囲の事に煩わせることなく、目の前のことに集中することができる。というわけである。
ストレスはなくなるであろう。しかし、ストレスからの解放は、またカタルシスからの解放でもある。
喜怒哀楽の感情は、個人の行動を正常なものにするために働く。その働きの負担を個人から抜き取り、機械化、外部化して同じ機能をサービスとして提供することで、社会的負荷を増大させ、結果として、アンチスマート空間との間に格差を広げることになり、結局は地球単位ではストレス過剰の空間が生起することになるのではないか。

終に来ましたパーソナルプロダクション

グーグル仕掛けるメーカーの終焉、欲しいスマホは自作 :日本経済新聞

グーグルが、「Project Ara(プロジェクト・アラ)」を立ち上げた。《このプロジェクトが成功すれば、自分好みのスマホをすぐに手に入れられるようになるばかりか、端末メーカーや通信事業者が中心だったスマホ業界の生態系が一変する。》のだ。
《Project Araを立ち上げた狙いは、大きく2つに集約される。1つは、ハードウエア開発の速度や効率をソフトウエア並みに向上させる》ことにある。これにより、《「ユーザーは、新技術を早期に利用できる」(Project Araを担当するGoogle Advanced》という。
その狙いは次のように要約されている
  • 欲しいときに欲しい機能
  • 50ドル以下の無線LANスマホ実現へ
  • ハードの開発環境を無償に
  • モジュール用のマーケットを用意
  • 障壁を壊す
  • モジュール交換で専用端末に変身
  • ものづくりが変わる
  • Project Araが新技術育てる
  • スマホ市場の敗者復活のきっかけに

2014年7月7日月曜日

マタハラなるもの

都議会の「セクハラやじ」に始まる今回の「セクハラ発言」についてまとめてみる。
結論から先に言えば、緊張感の欠如、本末転倒にある。
見栄えをよく、化粧し、ショー化した議会運営にその一因があることは確かである。
全てが集票のためである。選挙も含め、話題中心の、言挙げしやすい人が選ばれ、そうした人が衆目を集める発言をする。手段を選ばず、話題に上ることが一つの成功とするならば、今回の「セクハラやじ」を引きだしたことは、成功事例である。しかし、これを鬼の首でもとったように過去に遡り、喧伝するのは、辟易とする。レベルの低さの露呈である。
兵庫県の県議の「号泣会見」は多くの人の共感を得て、「恥ずかしい」というレッテルが張られそうである。恥ずかしがっているのは誰か、嫌疑を選んだ市民である。同じように「セクハラやじ」は恥ずかしい事なのである。そしてこれは発言を喚起させた関係者全員の問題である。それなのに、誰も恥ずかしがらない。
「村意識」は恥を外部に晒さないように隠蔽した。
しかし「スマート意識」は恥も外聞も気にせず、外部に喧伝していることにも気づかない?
景観・美意識の違いである。昔の唄に「襤褸は着てても、心の錦」とあったがと、しかし、引用するとセクハラにつながりそう・・・。クワバラ、クワバラ

社説:女性蔑視ヤジ 少子化の理由が見えた - 毎日新聞

  • 周囲からは笑い声や拍手まで起こったという。
  • しかも少子化、人口減少というテーマを議論している最中に行われた
  • 結婚、出産、育児を女性の責任としてとらえる風潮だ。「女は産むためのもの」と言わんばかりのヤジにも敏感に反応しない。非難するどころか、笑ったり、盛り上げたりする。
  • 女性議員の数を大幅に増やす必要がある。
  • 蔑視ヤジの被害者側だが、差別にあったら勇気を出して、「ノー」を表明してほしい。
  • 目指すは女性の就任がニュースにならない日、だ。それには、まず政府や国会が、意識改革の旗振り役にふさわしい姿に変わらねばならない。

都議会ヤジ問題 識者に聞く : 大手小町 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • ヤジ問題の本質は、「結婚や出産は個人の自由により選択されるべきだ」という認識の欠落が、都議会全体にあったということ。
  • 相手に「差別発言」だと認識してもらうよう丁寧に対話することも、生きやすい社会を作る一歩になる。
  • 都議会では周りにたくさんいたのに、誰が言ったかなかなか特定されなかった。まずそれが問題だったと思う。
  • そんな日本の政治家を選んだのは有権者。自分たちが送り込んだ人たちであることを見直し、自分たちと地続きの問題だと考えるべきではないだろうか。
  • 結婚という個人にとって大事な選択に、知りもしない他人が口を出すことが重大な人権侵害につながるなど、気づいていないのでは。
  • 都議会はハラスメントに対する理解が足りないのではないか。
  • そもそも、女性議員がもっと多ければ、こうしたヤジは出なかったとも思う。

国会ヤジ:「産まないと駄目」に森雅子氏「マタハラだ」 - 毎日新聞

特集ワイド:マスコミ業界、マタハラの実態 - 毎日新聞

  • 「マタハラ」−−妊娠、出産はもちろん、広くは育児中の働く女性へのいやがらせを意味する「マタニティーハラスメント」が論争を巻き起こしている。

意思決定について

我々は、毎日いろいろな意思決定をしている。意思決定には、様々なレベルがある。メカニズムは同じであっても、重みは異なる。当然である。意思決定に関わる、利害関係者が異なり、状況が違うからである。
〈意思決定〉をキーワードとして、アラート検索し、〈意思決定〉に関するニュースを収集している。
7月6日の結果はこちらから
多種多様な〈意思決定〉が機能していることが分る。
そして最近頓に、「ICTによる意思決定支援システム」が喧伝されている。
しかし、「ICTによる意思決定支援システム」は、もろ刃の剣である。
そのメリットよりも、デメリットが表面化し、制御不能に陥っているのが今日的状況ではないか。
「理研」、然り、「医薬業界」、然り、である。
「意志決定」という表記は辞書にない。何故だろう。「意思決定」が正しい表記とされる。
〈意志決定〉を、「自由意志に基づく決定」と捉えると、それは主体的であり、主観的・絶対的なものであり、個人の〈意思決定〉が〈意志決定〉によるものであれば、その人の志向性、信念が反映される。一方、意思決定は客体的、つまり客観的・相対的である。
極論すれば、「意志決定を欠いた意思決定は結実しない」。
結実したように帳尻を合わせるところに擬装が生まれる。
〈意志決定〉を欠いた「意思決定」が不幸をつくっているように思える。
今日、ICTによるスマート社会は複雑な〈意思決定〉をスマートに行うことができると喧伝するが、要すれば、〈意志決定〉を、〈意思決定〉で代行するものであり、「意志決定=意思決定」とするのは個人の責任であると責任回避する。
〈意志〉と〈意思〉の乖離ここに問題が生じているように思える。

2014年7月2日水曜日

感情は理性を超えて??

発信箱:サッカーと誇り=大治朋子 - 毎日新聞
メディアも「ヒズボラの牙城に響くヘブライ語」と驚きをもって伝えた》という。。
《貧しいレバノン南部の一部の人々が、「敵対国」である隣国イスラエルのテレビ局が放映するヘブライ語の中継を傍受するようになった。》のである。
サッカーに対する熱い感情を抑えることができない。
敵性言語も、適性な働きで、適正な結果を創るかも、熱くなって、敵性感情、ナショナリズム、に至らないことを願う。

2014年6月30日月曜日

俚諺は生きている!!

「坂の上の雲」が日露戦争を「祖国防衛戦争」と位置付けた背景と重ね合わせて、今回の「集団的自衛権」の問題を考えていた。

余録:日米の安全保障関係を犬と飼い主に例えるのは… - 毎日新聞

  • 1966年3月18日の衆院外務委員会で、・・・いわゆる「番犬」発言である
  • 第一に、日本(飼い主)が米国(番犬)に守ってもらっている。第二に、にもかかわらず、日本国民は後ろめたく感じていない(基地提供義務を果たしている)
  • 山崎拓(やまさきたく)元自民党幹事長は「これまでとは異なる防衛政策の大転換だ」と強調する。
  • 番犬の飼い主から警察犬へという180度の転換
椎名外相の「番犬」発言を例に、立場が180度転換し、我々の祖国防衛の仕組みが変わると指摘する。

60年、70年安保の時代に、国民を納得させ、植え付けらえた「飼い主」意識を、改めて「番犬」認識に変えなければならないのである。この事をどれだけ認識しているだろうか。
これは二つの事を考えさせる。
一つは、これまで「米国〈番犬〉の飼い主である」という誤解の上で行動していたこと。
二つには、これからは「米国〈飼い主〉の番犬として」、これまで築いてきた関係の上で役割だけを変えることができると考えていること。
これらに伴い、次のような問題が予想される
前者は、日米関係を歪んだものにしており、その代償が求められる。
後者は、まさに切実な問題である。想定外の事態が発生する。
立場役割が変わった時、本性が現れるものである。拙速であってはならない。
そこで留意しなければならないのが、アメリカ人の番犬に対する観方である。
イギリス流の犬の訓練は著名であるが、共通するものが底流にあると思われる。
俚諺に《狡兎死して走狗煮らる》とある。このことを我々は既に経験済みである。
『坂の上の雲』は日本人が近代化の走狗になったことを我々に告げている。
歴史が繰り返さないことを祈るばかりである。

2014年6月29日日曜日

促成栽培は根が弱い!! 一目瞭然、野暮な説教もせざるを得ない??

W杯 決勝T進出の16チーム出そろう NHKニュース
  • ヨーロッパが6チーム、南米が5チーム、北中米カリブ海が3チーム、アフリカが2チーム
  • 特に南米は出場した6チームのうち5チームが勝ち上がり、勝負強さが際立っています。
  • 一方、アジア勢は今大会、日本、韓国、イラン、オーストラリアの4チームが出場しましたが、1990年のイタリア大会以来、1勝もできずすべて1次リーグで敗退しました。

競争、強制それが経済原理!!

パソコン好きは部屋にこもる。カーマニアは女友達とドライブへ。IT機器とクルマ、いずれも若い男が好む分野だが、愛好家同士は  :日本経済新聞
  • 社会性と経済性を兼ね備えた新市場を巡り、IT企業や自動車会社の間で主導権争いが激しくなってきた。
  • 技術の精度、法律、万一の時の責任問題などの壁を見すえつつ、民間企業が競争を通じ事故や高齢化という社会課題の解決に取り組む。その結果が個々の企業だけでなく国の成長にもつながる。そういう時代だ。
ことを伝える。
国に代わって、企業が国際的活動の第一線に、技術を引っ提げて登場している。
それは、市場が技術の実験の場を提供するからであり、実験結果が、実態とは関係なく、経済的合理性から強制される。その結果が個人だけでなく、民族を分断し、各地で紛争が起きているというそういう時代でもある。
官製技術の実験が政治的駆け引きの場としての戦場で、民生技術の実験が経済的駆け引きの場としての市場で行われている。その言い訳、目的として、平和の実現、幸福の追求を掲げているのである。
民間企業が競争を通じ事故や高齢化という社会課題の解決に取り組む》というが、個人は競争に倦んでいないか。《競争を通じ》という前提そのものの変革が必要ではないか。
問題は、競争が内発的であるかどうかである。
そして競争の意味、価値を問い直すことが求められているのではないか。
我々は「限定合理的に生きる」存在である。その限界を踏まえて志向する・・・

2014年6月27日金曜日

『ザックの誤算』を読んで

「皮算用」で、ザックジャパンについて振り返った。


毎日新聞は、『ザックの誤算』を特集している。どのように総括しているか、

以前から持っていた、素朴な疑問の答えを見つけたい。

  • ブラジル大会なのに、なぜ海外組はヨーロッパからだけ?
  • 恵まれた環境でプレーを続けた結果か。
  • 促成栽培の限界とカズの強さ

『暑さ対策、万全だったか』

万全でなかったと思うが、
  • 一度も勝てず・・・何が誤算だったのか。「ザック・ジャパン」の敗因を検証した。
  • 高温多湿でブラジルと環境が近い米フロリダ州での合宿で、暑さ対策に取り組んだ。
  • 「気候のいい欧州で1年プレーすれば、暑さに慣れない体に変わってしまうと実感している」
  • 海外組には指宿合宿前から合同自主トレーニングを行うなど、協会は暑さや湿気に体が慣れるようサポートしてきた。
  • しかし、イトゥは連日、涼しいというよりは肌寒い日が続いた。
  • 初戦のコートジボワール戦に臨んだレシフェの夜は時折、強い雨が降ったこともあり、気温こそ26度と高くはなかったが、湿度は77%。
  • イトゥの選定について、ザッケローニ監督は自ら足を運んで選んだことを強調する。

大きすぎた本田の存在

期待のかけ過ぎ、日本の珍種、経済効果を狙った突破口、最終的には売れるか売れないか
  • 「アイデアが足りなかった」と振り返った。
  • 個々の選手が、しなやかで独自性のあるアイデアを発揮できなかったのはなぜか。
  • 海外でプレーする本田が代表戦や合宿に遅れて合流すると、ほかの選手が「チームがぴりっとする」と証言するように、ピッチの中心であり続けた。
  • 「(本田らに)気を使う」関係ができあがり、同じ方向を向かなければ、このグループに入れないような雰囲気すら漂っていたという。
  • だが、大久保に与えられた時間は少なすぎた。
結局、ストレス耐性の弱さから退行し、自動症に陥るということ。
日本人としての節操が、持っている個性を生かし切れない。
「海外組」といっても、日本代表選手には、カズのように南米で活躍している選手はいない。


混沌する地政学

地政学とは、地勢学のこと?
「(世界新秩序 米中を追う)米の対テロ軟化、懸念する中国:朝日新聞デジタル」と伝える。
  • 無人機[15]による攻撃を多用し民間人も巻き添えにした対テロ[16]作戦をめぐって米国とパキスタン[17]の関係がぎくしゃくする一方、中国は戦略的に重要なパキスタン[18]を「真の友人」と呼び、深い関係を保ってきた。
  • だが、部族地域に潜むイスラム武装勢力[19]には米国同様に手を焼く。国際テロ組織アルカイダ[20]指導者だったオサマ・ビンラディン[21]容疑者殺害後、米国が対テロ[22]作戦を軟化させていることも、中国には気がかりだ。
  • 米軍は2016年末、アフガンから撤退する。中国企業はアフガンで、世界屈指の銅の埋蔵量が期待される鉱山の開発権を得たが、反政府勢力の脅威で工事が進まない。イラク[23]では、中国が原油の輸入を急増させ、13年には米国をしのぐ最大の輸出相手になった。イラク[24]に駐在する中国人は1万人にのぼる。
パワーバランスの妙というか、《権謀術数》《奇々怪々》、《天網恢恢疎にして漏らさず》と大義が実現するか、大疑を抱いている。

2014年6月26日木曜日

皮算用

ザッケローニ氏は2010年8月30日、サッカー日本代表監督に就任した。
東日本大震災のほぼ半年前のことである。ザッケローニ・ジャパンは震災と共にあった、その活躍は復興を支え、復興への過大な期待を背負っていたように思われる。
その期待が、W杯5回連続出場を実現させたが、グループリーグ敗退によって打ち崩された。
しかもCグループ最下位で・・・。
一方で、与し易いと見ていたギリシヤはコートジボワールに勝ち、決勝リーグに進んだ。
対戦前には、ギリシヤチームの選手の待遇が喧伝され、チームの士気は低いはずであると・・・。そうした苦境の中で彼らは決勝リーグに進んだのである。イタリア、スペイン、ポルトガルと同様にEU危機の元凶と叩かれた国であった。イタリアもスペインもまたポルトガルも敗退した。

結局、選手や監督、もちろん見る人、伝える側にも、甘さや身びいきに過ぎた面があったのだろう。世界の壁の高さを目の当たりにして、「1億総皮算用」で幕を下ろした夢の後味がほろ苦い。》とある。

同じな皮算用を「2020年の東京五輪」に期待していないだろうか。
経済再生、復興に向けて壮大な皮算用がされているように思えてならない。

2014年6月25日水曜日

今求められるリーダーシップとは

『リーダーシップとは何か』(ロナルド・A・ハイフェッツ著)の「大統領のリーダーシップ」の項に
不均衡の時代には回答を求める人々の切実さが強まり、オーソリティーの立場からのリーダーシップの必要性は一層重要になる。しかし、オーソリティーの人物がその依存関係を強化するようなことをし、自分が回答をもたないのに、自らを惑わしてそれをもっていなけれなばらないと考えると、拙劣な役割を果たしてしまうことになる。知っているべきだというプレッシャーから、答えを出してしまうのだ。それが十分に試されていない、人々を誤った方向に導く間違った回答であってもである。》とある。
翻って、安倍政権を眺めてみる。拙速に過ぎないか。

2014年6月23日月曜日

分離すれば、統合が必要に

(社説)問題児の分離 「これで解決」ではなく:朝日新聞デジタル」は荒れる学校の問題解決が、これでいいのかと問いかける。その要旨は以下のとおりである。
  • 大阪市[1]教委が、授業妨害などの問題行動を繰り返す児童・生徒を学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を設けることを決めた。
  • 「まじめにやろうとする生徒らがバカをみることはあってはならない」(橋下徹[2]市長)
  • 邪魔者のように追い払われたと受け止めれば、大人をうらむ気持ちが更生の妨げにならないか。
  • 何より、「悪い子」を分けることが、本当に「よい子」のためになるのだろうか。
  • 立ち直った「元問題児」が荒れる子の相談相手となっている学校がある。教員や警察のOBの出番かもしれない。
確かに分離だけでは解決しない。問題が起きた原因について何等触れていないのも問題である。
何時まで分離するのか、結局、最終的には統合の問題になる。
分離すればそれだけ、距離が拡がる。それは騒音と共に懸命の叫び声も届かない距離である。
結局、汚染水処理と同じパターンか?
当面の都合だけ考えた対応では、問題は拡大する。
隔離したら、いつ融合するのか、更生、復帰のプログラムが必要である。

要するに、この問題は、問題児だけによって引き起こされた問題なのか?
そうではなく、家庭環境、地域社会、学校制度等、問題児を取り巻く、人間関係、社会環境によって創りだされた構造的なものである。にも拘らず、それを特定の個人に押し付けるのは公平性に欠ける。
「まじめにやろうとする生徒らがバカをみることはあってはならない」というが、彼等は、苦しんでいる人を直視し、その叫びを聞くことを「馬鹿らしい」と感じる人間なのか。
教養はあっても、素養の足りない、そうした子供が多くなっていないか?要は早熟なのである。
人間は、他の動物と異なり、幼児期間が長い。それはそれだけの時間を必要とするということである。
にも拘らず、高度な幼児教育が、考え出され、挙って、天才を育てようと奮闘する。
促成栽培に陥るのである。問題児ができる仕組みなのではないか。
もしかしたら、問題児のように反応することが正常な人間の反応ではなかったか。
正常なものを問題児として切り離しては、後には異常しか残らない。
絶望するしかなくなってしまう。これは社会にとって由々しき問題なのです。

一つには、子供自らが考えることである
二つには、子供から問題解決の機会を奪わないこと。
三つには、子供同士の接触を多くすること。
子供に、自らの問題に取り組み解決する時間的ゆとりを与えること、これが大人の役割である。
最近、頓に、子供の世界に、大人が、自分の都合で、口を挟みすぎると感じている。

上掲の社説は「何より、「悪い子」を分けることが、本当に「よい子」のためになるのだろうか。」と問うているが、答えは、「なりません」です。
英語を使って恐縮だが、cureには、careが必要で、それにはwithでなければならないのです。
社説も「立ち直った「元問題児」が荒れる子の相談相手となっている学校がある。」とwithの必要を指摘するが、「教員や警察のOBの出番かもしれない。」とすぐに大人を動員するのは安易すぎないだろうか。「仲間」が要るのです。

医薬業界、「最後は金目」ですね

昨日、「武田よ、お前もか」で、官製談合にも近い、医薬業界の問題について、語ったばかりである。

  • 「新聞記者なら、もっと正確な表現で聞いてくれ。病気を治す……と言うなら、病気の90%は薬では治らない。薬で治る病気は……へんとう炎、気管支炎、肺炎。これは抗生物質があるから治る。かび、水虫……あとは、ばい菌がついた病気だな」
  • 「高血圧を治そう、糖尿病を治そうと思っているが、アレは数値を下げるだけ。治してはいない」
  • 「降圧剤を突然やめると、また脳卒中を起こすこともある。薬は治すことはできないが、進行を止めることはできる。薬効と副作用をはかりに掛けて、薬を決めるんだが……何種類も飲ませるのは名医ではないな。まあ、イロイロと事情があるんだろうけど」と言葉を濁した。
と紹介する。イロイロな事情とは、手前勝手な都合のいい事情のことだ。
ノバルティスファーマの高血圧治療薬ディオバンについて、
  • この“インチキ論文”で、製薬会社はこれまで1兆2000億円を売り上げ、五つの大学は会社から計11億円を超える「奨学寄付金」を受け取っていた。グルとしか思えない。
  •  薬事法で逮捕された元社員の法定刑は「2年以下の懲役か、200万円以下の罰金」。それで済めば……と製薬会社は思うかもしれない。
  • しかし、国公立の教授は「みなし公務員」。特捜部の頑張りで、贈収賄が成立すれば……大病院の「多すぎるクスリの病理」は治るかもしれない。
と特捜部の頑張りに期待している。
しかし、ここに武田薬品の不正が加わるともう国家的な犯罪の様相を呈してきますね。臨界点を超え、医薬業界はメルトダウンを起こし始めているようですね。
業界だけでなく、どこかで甘い汁を吸っている人がいるんでしょうね。
共通番号で医療費抑制 政府方針、投薬など管理」なんてする前に、効かない薬が流通しないようにすることが先でしょう!!!

医学・薬学の発展のためには研究が必要で、その為には病人が必要だし・・・。
早い話、ウィルスが絶滅すれば、ウィルスバスターは無用の長物ですね。
しかし、ウィルスバスターが侵されるとウィルスをまき散らす増幅器に過ぎなくなりますね。
暴走する原子炉と同じで、誰も近づけなくなります。

忘れられる権利

ビッグデータの活用促す新たな法制度 :日本経済新聞が、
《欧州司法裁判所が新たにインターネット上の「忘れられる権利」を認めたことで、企業は様々な対応に追われることになりました。米グーグルが欧州の利用者を対象に、検索結果から自分自身に関する情報へのリンクを削除できるサービスを5月末から始めたのはそのためです。》
と、『忘れられる権利』なるものが出現したことを知った。
インターネットは、「砂上の楼閣」で、屋上屋を重ねて、結果は元の木阿弥になる?
でもそれを弁証法的進化と名付けている。
インフォーム(情報)の世界もリフォームしなければ、コンフォーム出来なくなっている。

2014年6月22日日曜日

武田よ、お前もか!!

予想されたことではあったが、やはり、業界の体質なのでしょうか。
武田薬品:降圧剤論文 学会グラフ、社員が作成 経緯説明へ - 毎日新聞
《関係者によると、同社は第三者機関の調査に対し、研究者側から委託を受け学会発表のグラフを作成していたが、データの改ざんはなかったと主張。学会発表と論文のグラフが異なったことについては、社員らが「記憶がない」などと述べ、原因は分からないという》

ここも限界質量を超えているのでしょう。
健康とは何か」で指摘したように、健康の基準が変わった。都合よく病人が作られている。
日本人間ドック学会、日本高血圧学会、日本動脈硬化学会、循環器学会学会、日本応用老年学会、動脈硬化学会など、学会により基準値が異なるのである。そして、今度は、治療のために、効果の不明の治療薬を、半永久的に投与する。
まさしくぼろ儲けの仕組み、これはもう産学官の共謀によって構築されていると勘繰りたくなる。
経営学では競争優位を確保するために、ビジネスモデルを構築を説きます。
各社はその構築に凌ぎを削ります。
そして武田薬品はエクセレントカンパニーとして、その経営が賞賛され、そのビジネスモデルは各社によって研究されています。武田薬品の成功には、別の秘訣がありそうですね。
企業の買収は他社もやっています。それだけでは、競争優位は保てないのでしょうね。
金力が徳義心を買収することを漱石はすでに100年前に指摘していました。慧眼ですね。
医学・薬学・生物化学などライフサイエンスに関わる分野は、他の科学とは異なり、それなりの倫理観を期待したのですが、無理なのでしょうか。理研もそうですが・・・・。
これも社会的な抑圧の故ですかね???

普通の国

集団的自衛権について

社説:視点 集団的自衛権「普通の国」論 - 毎日新聞は、
遺産という古くて新しい視点。国民の血税である経済支援が本当に評価されなかったのかという検証。加えて外交能力の向上など別手法での対応がまだ考え尽くされたわけではない。これで特殊な国としての生き様を捨てるのはいかにも惜しい。》という。
〈フクシマ〉の汚染処理が不十分なままに、〈ヒロシマ〉で罹患した核アレルギーで我々は退行しているのか。判断力が不足しているようだ。検証も不十分なままに、ただ先を向いて歩いていく姿はまさに、フィードバックなしの、フィードフォーワードで集団自殺を習性とするレミングの姿を想像させる。
検証ではなく、自省、反省が必要なのだが。

毎日新聞も、集団的自衛権の特集を組み、その事例を細かく「検証」しているが、検証だけで済ませるプロセスに問題はないか。プロセスが固定化し、検証が上滑りしているのではないか。それでは、普通の国にはなれないのではないか?

2014年6月16日月曜日

”らしさ”と”熱さ”

「背負うのが自分らしさ。W杯は躍動したい」 と長谷部は語っていた。

  • 「いろんなことはイメージしています。とにかく自分の良いところっていうのを、チームのやり方と融合させて、攻撃に守備に、僕のポジションなら両方やらなきゃいけないので。……躍動。躍動したいですね」と力強く語った。
〈自分らしさ〉を発揮するには、激情・情熱、つまり〈熱さ〉が必要であった。しかし、湿度80パーセントの熱さのなかで、日本は4年間、習得・強化してきた〈日本らしさ〉を発揮できずに終わった。
なぜか?ここで想像を膨らませてみると、「〈熱さ〉が出せなかった」ということだ。なぜなら、すでにフィールドは高温多湿で熱かった。それでも日本チームは前半よく戦った。が、後半、息が切れた。なぜか、オーバーヒートしたからだ。《過ぎたるは及ばざるが如し》である。クールダウンできなかった。
日本と比べて、コートジボワールは冷静であった。〈自分らしさ〉を発揮するために〈熱さ〉は必要なかった。彼らは冷静であればよかったのだ。

頭でやるサッカーと体でやるサッカーの違い

結果的に、基礎体力の差ということになりそうだ。〈自分らしく〉あるために〈熱さ〉を必要とし、一皮も二皮もむけなければならない日本人とその必要のない者との差であった。
スマート社会で、日本人が失ったもの(本能)、失おうとしているもの(感覚)が大きく映し出された戦いであった。

思考力とは

思考力の中心には行動がある。
「1位京大、思考力に評価 人事が選ぶ大学ランキング 徳島大6位・九大9位、地方の国立健闘」日本経済新聞6月16日付は、
《就職・転職支援の日経HRは企業の人事担当者を対象に、新卒社員の出身大学のイメージ調査を実施した。「対人力」や「知力・学力」「独創性」など5項目にまとめ、総合評価が最も高かったのは京都大学だった。2位に神戸大学、3位に大阪市立大学が続き、関西の国公立大学が上位を占めた。採用にあたる人事担当者の評価ランキングは就職活動を気にする受験生の大学選びの参考になりそうだ。》
人事担当者の評価ランキング = 大学選び》は短絡的な、思考力を欠いた選択だと思うが、思考力の背景には、試行錯誤の経験がある。その経験の豊かさが発想力の豊かさにつながる。
例えば、綺麗に整地され、区画整理された頭と、開墾は不十分であるが、草木が茂り、野鳥や昆虫などの生物が群れ集うそうした滋養豊かな頭との二つがあったとすれば、どちらが豊かな思考力を期待するであろうか。前者の頭は特定の用途には効率的に利用できる。しかし、思考が限定されている。後者は、効率性は未定である。しかし、あらゆる可能性を秘め、思考力を働かせる余地がある。
思考力を豊かにするには、生きた経験をすることである。
そうした意味では受験勉強なるものは思考を効率的にするかもしれないが、思考力は減退させるものと謂える。
ところでICT教育が導入され始めたが、思考力は向上するのであろうか。
その判定は難しいものになるだろう。思考・思考力をどう定義するかに拠るが、思考力は減退するのではないかと個人的には思う。それを思考という重荷からの解放として、進化と評価しているかのようである。もしそうであるなら、パスカルの謂う「人間は考える葦である」といった格言が意味する人間の価値が減退することが進化ということになり、進化の概念を書き換える必要が出てくる。

2014年6月14日土曜日

不正を不正と認識せず

科学的思考では、「〈不正〉を正しいことを証明できなかった〈仮説〉に過ぎない。」とでも考えるのであろうか。擬装を単なる仮説の綻びと考えているかのようである。
『サイエンスカフェ:不正を不正と認識せず - 毎日新聞』は、
《STAP細胞の不正でも会見した研究者に明確な反省は感じられなかった。「不正を不正と認識しない」。その言葉が妙に説得力を持って聞こえる。》
という。改めて科学者の鈍感を思い知らされる。
促成栽培で、必要な素養が十分に育たないままに伸びてしまったモヤシがバランスを失っているように見える。
《大学にはさらに科学史や科学哲学の授業を課し、広い視野と責任感を持った人材を育ててほしい》と、その治療に当たって、歴史・哲学を課すことを提言する。
退行し、麻痺した科学者の感覚は、理性では治せないのであろう。
弁証法の登場である。


2014年6月13日金曜日

ノバルティスのデータ改ざん

ノバルティスの社員が逮捕された。またしてもデータの改ざんである。
神聖であるべき科学の領域が侵されている。
問題をまとめてみれば、次図のようになる。メーカーと大学の癒着の上に胡坐をかく許認可行政。論文作成はメーカーにとって広告効果、研究者にとっては学会発表、学位論文のために、また研究費の援助を受ける口実として大きなメリットを生むものである。結果として、産学官による「ドラッグラグ大国」の創出、国民は高額医療費の負担を強いられる結果となる。

毎日新聞は以下の記事を特集する。

臨床試験疑惑 主論文も改ざん疑い ノ社立件も視野2014年06月12日

  • 臨床試験のデータを2009年の試験終了直後に受け取っていた
  • これを基に執筆されたバルサルタン[1]に関する同大の主論文もデータ改ざんが指摘されており、
  • 脳卒中などについてバルサルタンに有利な結果が出るようにデータを操作した図表を研究者に提供。
  • バルサルタンに脳卒中や心疾患の発症を抑える効果があるなどとしていた。
  • 白橋容疑者は自身で統計解析し、作成した図表を研究チームに提供。これを基に主論文が執筆された。

2014年6月12日木曜日

無重力な思い

日経新聞「春秋」に次のような文章を見つけた。
《人の重心はへその辺りにある。貝原益軒の養生訓では命の根がある場所。ここに力がないと体を支えられない。活動に支障も出るそうだ。航空会社にもあてはまる。へそは安全運航と顧客満足のはず。再建できて初心を忘れ、位置が見えなくなっていないか。会社運営の原理を学び直さないと、業績で臍(ほぞ)をかむことになる。》
《アルキメデスの原理》が発見された逸話から、《日本航空のシステム障害では、重心が計算できず、178便が欠航、約1万4千人が迷惑した。》ことに触れ、貝原益軒の養生訓へと話が展開している。

広辞苑に拠れば、思う、想うの語幹は重いの語幹と同源かと謂う。
重力に逆らい立ちあがり、二足歩行するようになった人間にとって重さを感じることが思うことの始まりであったことを想像させる。二足歩行にはバランスを取ること、重心の移動が最重要課題であり、最初に学習しなければならないことの一つであった。
進化(脳の発達)の過程で重い⇒思いが深い関係にあったことは容易に推測される。
大切なものに重要という言葉をあてたのも、思うことと重さの関係を表しているのであろう。
相手を思うということは、相手の重さを感得することと考えてみてはどうだろう。
そしてこのことは、我々が重力に支えられた存在であることを改めて気づかせる。
快苦感情は重圧に依って、重圧から解放されることから生まれる。
重力などの環境要因によって思考も成り立っていると考えられる。
若し我々が無重力状態で育ったなら、〈おもい〉ではなく、異なるもの、例えば〈かるい〉と名付けられるようなものを身に付けたかもしれない。

2014年6月11日水曜日

予測とその必要性

気候変動予測の裏側、性能「PCの1万倍」が必要な理由は予測が必要な理由を挙げている。
そしてその精度は急速に高まっている。そこに問題はないのだろうか。精度を上げるための努力(エネルギー)が環境(主体性)とのギャップを拡大しているのではないか。
システムが拡大し、分散管理、リーダーシップの必要性が説かれている。にも拘らず、主体性が最も発揮される説明(仮説の提案)部分から人間性《生きた経験)が排除されている。

このように、生きた経験が反映されない実験の繰り返しは、結果を実証する責任を回避したもので、その付けを後世に残すことになる。
物事は生活の中で生かされて初めて価値が出るのである。
中世、我々日本人は「生活にプラスであるものを善とし、マイナスものもを悪と名付けた」と謂われる。
コンピュータ〈情報システム)は偉大な発明である。
しかし、善用されなければ、人を惑わす圧倒的な力(悪)として働く。
その威力に見合う、意力の涵養が求められる。我々には現在原子力を使い熟す意力が備わっていないことだけは確かなようである。
システムは人工的である。人間の主体性が失われては、暴走するのみである。
システムが善用されるか悪用されるか、その主体性に委ねられている。

匿名性について考える

被告の弟が自殺… 発生から6年 今改めて考える「秋葉原事件」 ネット掲示板への固執が凶行を決意させた?」を読んで、ネットワーク社会の匿名性について考えてみた。
記事の要点は以下のものだ。
  • 「第三者の目」の限界と、「個人」が存在しない「世間」の怖さだ
  • 彼の意識は「掲示板がリアルで、リアルが非リアル」であったように思う。
  • 掲示板に秋葉原無差別殺傷事件を宣言してしまったことで、もう後戻りできないところまで来てしまっていることに気づきました」という掲示板への固執からだ。
  • その躾は屈辱的だったと批判する彼もまた、自身の母親同様に「言葉」で相手に説明する手段を知らない。
  • 掲示板の崩壊こそが「リアル(=自己が存在する場所)」の崩壊だったのだろう。
  • 事件が発生すると、加害者家族は、個人が存在しないこの“世間”に取り囲まれる
  • 匿名性が極めて高いインターネットが、もともと匿名性の高い「世間」の暴走をさらに加速させている
《「第三者の目」の限界》についは、本文に譲るとして、《「個人」が存在しない「世間」の怖さ》について考える。

《事件が発生すると、加害者家族は、個人が存在しないこの“世間”に取り囲まれる》という。事件が発生しなくても、「SNS参加者の関心に上れば」、十分に関係者はこの世間に取り込まれるのである。
つまりこの世間の,〈俎上に載せ〉られれば、もう〈俎板の鯉〉である。どう料理されるかは料理人次第である。綺麗に血抜きをして手際よく粗を取り、極上のお作りに仕上げるのである。新作メニューが競われているかのように・・・。
体話の不足が、肌合いが不足している。
赤ん坊に触れた時に感じる〈安らぎ〉のような感覚体験の不足が原因しているのではないだろうか。
社会がスマートになるにつれ、優しさまでもスマートになっているのだろうか。
優しさが消え、肌合いががさつき、逆立っていくように思えてならない。

科学的思考とは何か

『科学的思考とは何か』(竹内均著)は、現代の技術がシステム的であることを次の三つの面から指摘し、
第一に、それは個々の技術の束ね合わせという意味でシステム的である。第二に、生産だけでなく、生産の結果生じる廃棄物の回収や循環を考慮しなければならないという意味でシステム的である。第三に、価値観や好みの変化や社会的責任を考慮しなければならないという意味でシステム的である。
その著しい特徴は「束ね合わせ」「システム化」「ソフト・テクノロジー」「マネージメント」にあるという。
「科学的思考とは何か」「システムとは何か」、そして気象予測、地震予知など膨大な予算が予知・予測対策に割り当てられている。「なぜ今、予知・予測なのか」まとめてみた。経過・結果はこちらから


システムとは何か

「〈システム思考〉が必要である」といわれる。
なぜ、今、〈システム思考〉なのか。
システムとは何か。
考えをまとめてみた。

システムとは

システム

『現代科学思想事典』はつぎのようにいう。

《電気工学、機械工学尚の分野で機械装置を設計する際には、どのような構成要素をどのように結合させれば装置全体として最大の機能を発揮させうるかが重要な問題となる。このような機能が主となり、システムという観念が注目されてきた。システムとは「ある共通の目的に奉仕する複数の要素と要素間の相互依存関係よりなる複合体」と定義される。そしてより広い範囲の問題にも解決の一般的図式を与えるシステム分析、システム設計などシステム工学の分野を形成するに至り、今日その応用は生産工程の管理、情報処理システム、経営管理や宇宙開発など広い領域に及んでいる(目的をもった人工的なシステムの場合)一方、十九世紀に入って生物学や心理学においては古典的物理学の影響の強い原子論や要素主義的な分析への批判から、ある系を構成する部分や要素などはそれ自体で独自の意味を持つ究極的単位とはみなせないとするむしろそれはあたかも目的や秩序をもつ全体の組織化の原理により理解されうるとした。例えば全体論に立つL・ベルタランフィの理論生物学やゲーラー、コフカなどのゲシュタルト心理学が発展した。特にベルタランフィ波形の組織化、統合化の法則や動的平衡の現象を自然の様々のレベルに見出し、組織化された全体に関する科学と規定された一般システム理論を展開している。彼はそのシステムを「相互作用下にある諸要素の集合」と定義している。生物学区、心理学、社会学などの研究から共通の原理を抽象する経験主義的な研究のほかにも演繹的または公理系的システム論の建設がW・R・アシュビー、M・メサロヴィッツなどにより試みられた。アシュビーは環境からの入力の影響下にある変換の組としてのシステムというもっとも抽象的で可能的なものの全体に照らして現実の系に解釈、説明を与え、また安定性や目的概念などを生気論の助けを借りずに分析している。》

複雑な現象の総合的把握

《ブルバキ学派の数学やN・チョムスキーの言語学で、レヴィ=ストロースの人類学などを踏まえてJ・ピアジェが全体性、返還及び自己制御の三つの要素で特徴づけた構造の概念との関連も無視できない。システムとは実在そのものでなく、関係という概念を通じて実在から注そうした像と考えることもできる。またピアジェでは向王の概念は観察されるがままの相互作用の体系ではないにせよ、単なる主体の意識に属する形式というものでもなく、操作的行動を通じて確証されるものと考えられている。あらゆる現象観に相互作用が働いているという認識は、エンゲルスの自然弁証法を引き合いに出すまでもなく、科学技術の発達に伴う人類の自然に対する支配力の増大や社会の複雑化につれますます痛切なものとなっている。今日ではアッコフ、K・E・ボウルディンング等のシステム論者は従来の物理、科学、生物、社会といった専門学問の区分は死前にとっては単位人為的なものにすぎず、複雑な現象の理解のためには専門の壁を除いて生の素材に取り組む学際的集団研究の必要性を強調している。
最も問題のあるシステム概念は人為的であってかつ全体として目的を持たぬシステムである。例えば自然発生的集落や都市の交通系など、個々の要素(住民、ドライバー)はそれぞれ目的をもった主体であるが、システム全体としては目的を持っていない場合である。人間や社会に対するシステム論的方法の早急な適用への警告はシステム論者自身からなされている。システムという概念は、古典力学における質量、エネルギーのような、いわば幻想の根底をなす保存料的な概念とは、対照的な関係的、構造的概念である(あるいは形式的形相的概念)と同時に群論やグラフ理論などいわゆる有限数学の手法を有力な武器として捜査されうるが、その際何を要素と定め、何をシステムとして選択するか(切断)という点で、観察者に依存し、主観性を含む概念である。》

要するに、「相互作用下にある複合体を機能連関の統合として捉えたもので、観察者に依存する、名目論的なもの」である。
また、『科学的思考とは』(竹内均著)は現代の技術について、

《技術の総合、廃棄物その他の回収及び循環、価値観の変遷及び社会的責任という三重の意味で、現代の技術はシステム的である。このようなシステムを組むには、先ずシステムの目的と評価尺度を決定する。次に、ブレーンストーミングとデータの収集および分析を行う。》

要するに、科学、科学的思考は、思考実験を繰り返し、機能を統合化し、情報システムを生み出した。システム概念は情報システムとして体化し、思考実験を促進し、科学的思考はシステム思考として機能し、PDCAに要約された。
科学的思考⇒思考実験⇒システム化⇒情報システム⇒システム思考

2014年6月4日水曜日

自然について

『現代科学思想事典』伊東俊太郎編によれば、

ギリシアにおける自然

一般に「生まれる」という言葉と結びつくものと考えられている。そこでは生まれ、成長し、衰え、死するものが「自然」であった。つまり「自然」とはそのうちに生命力を有し、自らからの力により生成発展するものであった。従ってそれは近代の「自然」概念の如く「他から力を加えられない限り、その運動状態を変えず、静止するものは永久に静止する」(ニュートンの第一法則)ことを本性とする自然ではなく、むしろアリストテレスがその「自然学」」の中で定義したように「自らのうちに運動の原理をもつもの」が自然であった。
このように自然自身が一種の生命力を持ち、生成発展の原因をもつ――そのように自然の素材が生命をもつという意味での「物活論」が、ギリシアの少なくとも支配的な自然観であった。
古代ギリシアにおいては、近代におけるように死せる無機的自然ではなく、生命ある有機的自然が「自然」の原型であった。このようなギリシアの自然観においては、「自然」は何ら「人間」に対立するものではない。人間はむしろそのような生命的自然の一部として、それに包み込まれている。自然は人間に対し異質的対立的ではなく、むしろこれと同質的に調和する。神ですらそこでは「自然」を超越するのではなく、それに内在的である。実際「万物は神々に満ちている」(タレス)のであり、「踏み入ればそこにも神々は住む」(ヘラクレイトス)のである。
近代におけるように、我々に全く無縁で異質的なこの自然に、外から「実験」という「拷問」をかけ、それを「支配」するのではなく、我々に親縁な同質者として、それを内から「直観」し「理解」することである。そしてそこに直観し把握さるべきものは、外的現象としての自然の「法則」ではなく、そのものの内的本質としての「形相」であった。結局ギリシアにおいては、自然は人間や神をもその中に包み含む生きとし生ける統一体であって、このような一種の「汎自然主義」を基礎としていたといえよう。

中世における自然

ところが中世キリスト教世界に入ると、上述したようなギリシアの「汎自然主義」は粉砕され、神と人間と自然との截然たる階層的・異質的な秩序が現れてくる。そこでは自然も人間も神によって創造されたのであり、神はこれらのものから全く超越している。
そしてこの三者はいずれもそれぞれ独自な役割と活動をもちながら、下位のものは上位のもののために存在する。人間は神のために存在し、自然は人間のために存在する。人間はこの中間にあって知性により神を知り、理性により自然を認識する。この中世の自然観においては神・人間・自然がこのように階層的に分断されることによって、先ず神は自然の一部ではなく、これを超越する。自然に内在していた神は消えたなくなり、「大いなるパーンは死んだ」のである。ついで人間もまた自然の一部ではなくなった。自然はもと人間と同じく神によって創造されたものとして、今やそれ自身としては人間の全くあずかり知らぬ「外なるもの」となる。人間は自然と同質的なものではなく、それから疎外される――というよりも自然を越え出てその上に臨み、それを支配し利用するものとなる。ここに、自然を人間と全く独立無縁なものとしてこれを客観化し、この「気心の知れぬ」第三者に、外から実験的操作を加えて白状させ、これを純粋な他者として科学的に把握しようとする近代の実証主義的態度の形而上学的源泉が看て取れるのである。この意味では確かに「キリスト教の時代の帰結が自然の機械論化であり、キリスト教が実証科学と技術を可能としたのである」(ベルジェフ)。もちろん中世思想は一挙にしてこのような帰結に達したのではない。しかしそれがギリシアの「汎自然主義を破り、自然を人間と同質的なものとしてではなく、人間とはまったく異なる独立な第三者としたことは、自然から人間を追放し、これを専ら機械論化してゆく近代の自然観を準備したことは疑えない。

近代における自然

上述のように自然は神によって人間に対し、第三者として定位された。今や自然は何ら人間との類推を許されぬそれ自身の独立な存在となった。のこの「非人間化」ア推し進められる時、それは軈て自然から人間的要素としての色や匂いなどの「第二性質」やさらには「目的意識」などを追放して、専らこれを「大きさ」「形」「運動」などの自然自信の要素において、因果的に分析してゆくという立場に至る。こうした自然の観方に、ルネサンス以降復活したギリシアの数学的方法が結びつくならば、それは既にほぼ近代の自然観が成立したといってよいであろう。つまり本来人間の側の性質であるところの「質」を捨象し、専ら「量的」関係だけで、自然を客観的因果的数学的に把える「機械論的自然観」がこれである。中世においてここに至る思想的素地がすでにあったとはいえ、このような徹底的な反省は近代哲学の祖デカルトを待たなければならなかった。デカルトは若くして成功を修めたその『幾何学』に彼の「自然の機械論化」の鍵を見出し、ここに用いられている方法を数学的対象のみならず自然界の事物一般にも適用し、あらゆる物体を一様な幾何悪的「延長」として把握し、それらの物体の量的関係のみを求めてゆこうとした。この意図を遂行するために、デカルトがまずなさなければならなかったのは、「実体形相」の消去――つまりアリストテレス的な霊魂〈プシューケー〉のスコラ的翻訳である。「生命原理」を物体から除去することであった。彼にとってこのように物体から霊魂的・心的なものを取り除くことは、同時に精神から一切の物的なものを取り除くことであり、ここに彼の徹底した二元論が成立する。ここでは心とか霊魂とか呼ばれてきたものは「純粋椎」として純化され、同時に自然は単なる延長として一切の人間的生命的要素を欠いた数学的対象となる。ここに古代ギリシアの有機的自然観は、近代の無機的自然観にとって代わられ、physisの訳語とされたnaturaは、今やnascor(生まれる)との連関を断ち切ることとなる。単位「形」「大きさ」「運動」という延長的な面からのみとらえられ、それ自身色も匂いもない数学的物理的自然が、本来の自然であって、生命的自然と呼ばれるものは、前者がある特別な配置をとった結果に過ぎないのである。このようなデカルトにおいて典型的に示されている近代の機械論的自然観は、その後根本的には変わらず、依然として我々の今日の科学的思考を嚮導しているといえよう。

自然の支配

近代の自然観を問題とするとき、右の「機械論的自然観」と並んで、もう一つの特長を挙げておかねばならない。それは人間によって「支配され利用さるべき自然」という新しい概念である。既に述べた用意ぎっりしあにおいては自然は人間により整復さるべき「対立者」ではなく、かえって人間と同質のものとして内から直感し理解さるべきものであった。それは理論の対象であっても支配の対処ではなかった。しかし中世キリスト教世界では、自然を本来人間に仕えるものとして把え、これを技術的に利用しようとする功利的・実践的自然観がすでに十二世紀以来芽生えていた。しかしこのイデーを最も自覚的かつ雄弁に表明したのはデカルトと並んでもう一人の近代哲学の祖とされているフランシス・ベイコンであった。彼において自然はまず未知なる第三者として、経験に即して実験的に試され、そのことにより自然は「解剖」され、それによって得た知識に基づいて支配され、現実に利用さるべきものであった。これが「知は力である」といった時の彼の新しい実践的知識観であり、「自然はそれに服従することによって征服される」といった時の自然に対する新しい態度であった。彼はその著『学問の進歩』において、自然についての学問を自然のなかの原因だけをたずねる「思弁的」科学と、逆に結果を生ぜしめる「操作的」科学とを区別したが、この後者の概念にはギリシアには存在しなかった自然の実践的支配のイデーが表現されている。
彼にとって科学とは単にアリストテレス的な観相〈テオーリアー〉ではなく、自然に働きかけ、これを支配しようとする実践的な知識であり、このためには「自然の物体をむき出しにし、人工的に変化させ処理する技術」としての「実験」が重んぜられる。これによる自然の統御とその利用により[人類の欠乏と悲惨とを克服する一連の発明を生み出す]ことを彼は企図したのである。
このようなデカルト=ベイコン的な近代の自然観は確かに多くの成功をおさめ、人類の物質的条件を根本的に改善し今日の科学技術時代を現出せしめている。この意味でそれは一定の積極的な役割を果たしてきたといえよう。しかし今や外ならぬこの近代の自然観がそのようなプラスの面だけではなく、「公害」その他のマイナスの面をも生み出している当のものであることを否定することはできないだろう。我々はすでにベイコンのように、近代の自然観とそれに基づいた近代科学のゆく末を、手放しのオプティミズムをもって見ているわけにはいかない。近代の機械論的自然観がもたらした人間と自然との乖離を乗り越えて、再び自然全体と人間との調和、自然の一部としての人間を改めて定位しなおす新しい思考が開始されなくてはならないだろう。

2014年6月2日月曜日

STAP効果

発信箱:STAP効果=青野由利は次のように言う。
STAP騒動がここまで拡大した背景にも、そんなギャップがあったのではないだろうか。
全くである。科学信仰が崩れるいいきっかけである。
材料科学が専門の岸輝雄さんの言葉には、異分野への釈然としない思いがにじむ。
解釈が一般化していないこと、「世間」を狭くし、ガラパゴス化へ進む体制が在るのでは・・・
これはほとんど、特性化している?
人々の科学的知識の底上げや、急速に進む生命科学への理解を助ける効果もあるはずだ。
これは、我々一般人への警告でもある。責任はシェアしましょう。
過信を慎み、ポジティブシンキングで、ドアはノックして科学をたずね(訪ね、訊ね、尋ね)てみることだ。
最近、政治、経済、実業界で不正・擬装が多発し、社会システムの信頼性が揺らいでいる。
韓国でフェリーが沈没し、過積載が問題になり、韓国の政財界は大揺れである。
過積載、偽装をせざるを得ないほどに社会的な需要(欲望)が肥大している、アンバランスな現実を直視しなければならないのではないだろうか。
韓国では民衆の怒り(私憤)が、公憤・義憤となって、社会制度の根幹を揺さぶっている。
「浄化作用が機能し始めた」といえる。これが正しく機能し、清浄化につながることが望まれる。
一方、日本はどうであろうか。
「船頭多くして船山に登る」。これを多くで力を合わせると船も山に上げられるという意味だと思っている若者も多い。》と毎日新聞は伝える。本末転倒、支離滅裂である。
そもそもから始めなければならない…・

2014年6月1日日曜日

幸せの学び

幸せの学び:<その97> あるブラジル移民=城島徹に出合った。

幸福論として、ページを設け、所感をまとめていく。
他人は何を仕合わせと感じ、考えているか、体感的理解を深めたい。

2014年5月31日土曜日

いじめは共同謀議

長崎・中3自殺:一部同級生「みんな共犯者」 当日朝、教室で騒ぎに−−学校調査

「過負荷がアヤマチのもと」と題し、《怠惰とナルシシズム》がその元凶であること、それは社会的過負荷によって引き起される。その典型的なものとして「いじめ」があることを指摘した。
従って、「いじめ」は当事者は勿論であるが、われわれ一人一人が対決すべきことを回避することによって生み出されたものであるということである。冒頭の記事の中に
  『みんな共犯者だよ』と言っている生徒がいた
  『自分たちのいじめのせいで死んだ』と認識していることを示す重要な言動だ
とあるのは、ホンネは腐っていない証拠だ。
「いじめ」には必ず何らかの隠蔽がある。
隠蔽をつくる原因は、迷惑の意味の履き違えにある。
「船頭多くして船山に上る」を「力を合わせればどんなことでもできる」と解釈する間違いをどう質すか、過積載で沈没した韓国船はチームワークが悪いことになり、過積載をすること、法を犯すことが悪いことには至らない。
いじめの問題も、学校や生徒、父兄などの当事者のチームワークの問題として捉えるのではなく、
教育自体が過積載になり、生徒が狂気には知らざるを得ないほど、衝動的に行動する状況を教育システムが創り出している。と考えることはできないだろうか。

2014年5月30日金曜日

民主主義下の合従連衡、数の論理で、量質転換を目指す?

2010年4月に結党した「たちあがれ日本」に石原新太郎が参加し、2012年11月13日に「太陽の党」に改名、2012年11月17日、日本維新の会に合流し、翌年1月19日、橋本・石原の共同代表制に移行した。

◆石原氏、分党を表明「結いとの合流、合点いかない」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2901C_Z20C14A5000000/?n_cid=kobetsu

◆石原氏が会見「結いとの合体、賛成できない」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2901J_Z20C14A5000000/?n_cid=kobetsu

◆石原氏が新党結成へ 橋下氏側「維新の党名継承」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2900C_Z20C14A5MM0000/?n_cid=kobetsu

◆維新が分党を決定、石原新党に15~20人参加http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS29041_Z20C14A5MM8000/?n_cid=kobetsu

■蜜月2トップ「決別」 橋下氏・石原氏、維新分裂で会見
 http://news.asahi.com/c/afhYbo4VgAeo5yaz
またまた離婚騒動である。予想通りの離婚である。
「敵の敵は味方」の合従連衡であった。これからまた新たな婚約を結ぶことになる。
大事なのは国民との婚約である。それは既に破棄されているのか?
我々はこの離婚劇に損害賠償を求めるのか、それとも祝儀を出すのか、いずれにせよ、出費であることに違いない。

「船頭多くして船山に登る」。これを多くで…
確かに、我々は現状に合わせて意味を理解しようとする。このように若者が故事の意味を取り違えるのも、船頭が船長になり大型機船を運転するようになると、水陸両用、山にまで登る船を想像することも可能になった。バーチャルリアリティでは、戦艦は宇宙を自由に遊泳できる、そしてそれはチームワークの勝利と漫画教育を受ければ、上記記事のような解釈も当然のこととしても不思議ではない。
「山に登ろう」とする若者を中心とする〈維新〉と「山には登山電車で」と若者を質そうとする〈太陽〉では、信念が違う。「北風と太陽」の話が逆転しているように思われる。
どちらもどの山に登るのかはっきりしない。
維新、2人が越えられなかった壁

分党という別れ方 政党助成金に群がる党 成果配分は公然と行われる擬装。
偽装が傲然と行われるようになり、表情は厚顔となる。頭は頑固になる。
官憲のトップに立ち、擬装を取り締まる?
ねじれは、必ず偽装を生み、偽装は必ず、悪を為す。
悪も善も熱処理し、消毒し、生成し、再利用する。
人間はそうはいかない。しかし、量質転化を図らなければ汚染処理は進まないのである。

物理的汚染処理と精神的汚染処理。
要するに、民主主義なるものは、共同謀議に全員を巻き込み、「我は他人よりちょっとよかれ」で、善にも悪にも加担しない中庸を求めるものとなる。
善悪の彼岸に至る質量転化には相応の環境が必要なのである。

2014年5月22日木曜日

自省:思考停止せず

袴田事件:元裁判官「死刑ありきで自白採用」 物証弱さ認識 - 毎日新聞

袴田事件については、「「袴田事件」について思うこと」で述べた。
その後、『平気でうそをつく人たち』を読み、「自省」することの大切さを改めた。
あらゆる人間の悪の根源が怠惰とナルシシズムにある》と著者ペックはいう。そして、「集団ナルシシズム」について次のように言っている。
《この凝集力として最も大きな力をもっているのが、おそらく集団ナルシシズムだと思われる。この集団ナルシシズムは、その最も単純かつ最も心地よい形として、集団のプライドという形で表出される。グループの構成員が自分の所属するグループに誇りを抱くと同様に、グループ自体が自分のプライドを高める方向の動きをする。》
この「集団ナルシシズム」から脱却するには、個人の「自省」と「浄化」が必要である。冒頭の記事の中で、
熊本さんは「5点の衣類が出てから裁判長の考えが変わったようだ。(審理に与えるインパクトは)大きかった」と証言。自身は、衣類発見のタイミングなどが不自然と感じ、袴田さんとは別人のものと考えていた、と振り返った。
とあった。
裏切り者のレッテルを張られることを覚悟しなければならない。
それは相当に勇気がいることである。臆病ではだめである。
付和雷同せず、裁くということは一大事なのである。
袴田事件:48年 「捏造」生んだ「信念」 「犯人視」捜査記録明記 - 毎日新聞

2014年5月19日月曜日

がんの診断と自殺および他の外因死との関連について

国立がん研究センターの多目的コホート研究によれば、
《がん診断後1年以内の自殺および他の外因死のリスクが有意に高い》ことが判ったという。《がんになっていないグループの自殺のリスクおよび他の外因死のリスクに比べ、がん診断を受けたグループの1年以内の自殺のリスクおよび他の外因死のリスクはともに約20倍でした。一方、診断後1年以上経過した自殺のリスクおよび他の外因死のリスクは、がんになっていないグループと違いがみられませんでした。》という。、
がんは日本人の2人に1人がなり、死因の約3割を占めるが、治療技術の進歩などで、5年生存率は03〜05年の統計で5割を超えている。特に早期で発見された時の5年生存率は約9割で、必ずしも死に直結する病気ではなくなった。このため国が12年に定めたがん対策推進基本計画では、死亡率の減少と同時に「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」を全体目標に掲げている。
という。
  参考資料(厚生労働省平成24年(2012)人口動態統計(確定数)の概況
自殺を減らすには、リスクを低めること、正しい認識が必要ということである。
正しい認識とは、患者だけの問題ではない、仕組みの中にある認識である。
認識の違い、信念の違いが、信頼感の障碍に??
医療技術の進歩と死亡率の低下を正しく認識することは勿論であるが、最も身近にいる、医者や看護士の認識はどうだろうか。

平気でうそがつけるのは???

先に、「科学は技術を正せるか 本末転倒した分子生物学??」と題して投稿した。
ロバート・ゲラー氏の示唆に随い、「ご冗談でしょうファインマンさん」を読み、ファインマンの謂う科学者の良心なるもの、彼の誠実さに触れた。ファインマンは次のように語っている。

《われわれは長い歴史を通して、自分自身を欺かぬ心構え、つまり純粋な科学的良心を培ってきたというのに、私の知っている限りでは残念ながら特にこれを教える科目というものがない。ただ何となくこれを肌で感じ、心に滲み込ませることによって自分のものとしてくれることを、ひたすら念じているだけです。》
《ですから私が今日卒業生諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために心ならずもこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような幸運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。》

「ご冗談でしょうファインマンさん」の読後感については後日述べたい。
ここでは、今回の「STAP細胞問題」で最初に私の頭に浮かんだ『平気でうそをつく人たち』という著書を取り上げる。その中で、著者は次のように言う。

《我々は知的怠惰から、科学的思考というものが趣味や好みと同様にその時の流行に左右されるものだ、ということを忘れ去っている。科学の権威筋が現在口にしている意見は、最新のものというだけであって、決して最終的、決定的なものではない。我々一般大衆は、自分の身の安全のためにも、科学者や科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、また、そうすべき責任を負っている。別の言い方をするならば、我々は、決して、自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないのである。これは厳しい要求かも知れないが、少なくとも善悪の問題について自分自身の判断を下し得る程度には、誰もが科学者となるべく努めるべきである。善悪の問題は、科学的考察の対象から除外するにはあまりにも重要な問題であるが、これを全面的に科学者の手に委ねるには、やはり、あまりにも大きな問題である》

この著はわれわれの科学信仰に対する警告の書であると思う。我々が民主主義なるものを知り、リーダーシップなるものを知った時、それを実現する責任は一人一人にあるということである。
今日の社会的混迷は、自業自得、我々自身が創り出しているものだということである。

2014年5月15日木曜日

「"認知症800万人"時代 行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~が放送されている。
これまでの放送内容な以下のとおりである。
そして今日、
の記事を読む。
過酷なものである。過積載による破綻である。
過分な延命が齎す不仕合せか。
限界質量を超えた人が増えているということである。自分を復元する力が失われている。
能力以上に期待を大きくし、時間を無視した成長発展が悲劇を生んでいる?

地球は私たちみんなのかけがえのないふるさと

「地球3千周、ふるさと感じた」 若田さん帰還、元気な姿:朝日新聞デジタル
《地球は私たちみんなのかけがえのないふるさとだな、と感じた》
と若田さんは語る。それは《半年間で地球を3千周くらいした。1周地球をまわるたびに》、感じたという。無重力感が想起させたものであろう。
それは、地球の重力が我々を地球人にしていることを意味する。
米航空宇宙局[4](NASA)の専用機で拠点のある米国ヒューストンに向かった。医学検査で体調に問題はなく、地上に慣れるリハビリ[5]を行う。
というほどに、宇宙人になっているのだ。

国際宇宙ステーション[1](ISS)から地上に戻った若田光一[2]さん(50)は日本時間14日午後、カザフスタン[3]のカラガンダ空港に到着した。》
若田さんが、地球から遠くの宇宙空間で、深謀遠慮で掴み取った感覚である。







2014年5月13日火曜日

体現するとは

クローズアップ2014:ザック哲学、海外組体現 最多12人、W杯日本代表 毎日新聞5月13日

体現の文字が躍る。〈体現〉の条件は何か。
〈体現〉を阻んだものは、何か。サッカーにもガラパゴス化はあるのだろうか。

◇野心的な姿勢、浸透
  • 相手に合わせるのではなく「攻撃サッカー」を貫くメッセージを打ち出した。
  • 一人一人、すべての技術を向上させる必要がある。若手はもっと海外に出るべきだ
  • 野心的な「攻め」の姿勢が、浸透しつつある。
  • 経験を糧にした海外組の活躍を当てにする。
  • 代表監督もグローバルな視点で選ぶ必要性を痛感。
◇目標達成には高い壁
  • 「まずは1次リーグ突破」と控えめだ。
  • ひとつの目安が「8強」。協会の14年度予算でも、W杯8強の賞金1400万ドル(約14億円)を収入として計上している。
  • 8強の前には高い壁がそびえる。
攻撃力を増すためには対抗心、個の強さを高めることが必要だ。そのためには野心が重要となる。
異質な海外経験がチームの和を強めるというのだ。
先ず個人が生命力を高めることであろう。個人の闘志がチームに火をつける。素養を磨くことだ。
教養が文明を生きる力とすれば、素養は野蛮を生きる力と対置できる。
教養が社会活力とすれば、素養は自然活力となる。
教養をつけても、素養はみがけない。
素養は粗野、野心と結びつく。心身を野に置く事によって身に付くものである。
教養が意識を高めるものならば、素養は無意識を高めるものと言える。
教養が理性ならば、素養は本能である。
闘志を燃やすのは情念、本能である。闘志は本性・素性を現わすことなのだ。
体現するには、野心を抱き、闘志を燃やすことが必要なのだ。そのフィールド(野)が心を耕すのである。