西洋での惑星の名前はヴィーナス(金星)、ジュピター(木星)などですが、現在の惑星名に到るまでは、シュメール人から冥王星の発見まで長い歴史があります。又、日本での金星、木星という呼び方は、江戸・明治以降のように思われていますが、実は平安時代からあります。
第1部(このページ)は西洋での、惑星をはじめ太陽系内の天体とクレーターなどの地名の由来をたどります。第2部(日本の方へ)では東洋での由来と、白羊宮・金牛宮など黄道十二宮の名前の歴史を振りかえり、平安時代のホロスコープの紹介もします。
NASAから頂いた画像で構成したカラー口絵(別ウィンドウで開きます)も用意しています。
1.メソポタミアからローマへ
紀元前3000年頃、メソポタミアで都市国家を建設シュメール人は、太陽神ラトゥ、月神ナンナ、金星神イナンナなどの天体神を崇拝していました。これらの神はバビロニア人に受け継がれましたが、神の名前はバビロニア風に変えられ、太陽神シャマシュ、月神シン、金星神イシュタル(シャマシュとシンは男、イシュタルだけが女の神様)となりました。バビロニアの神話では、主神マードックが太陽、月、惑星を作り、1年を12の月に分けたとされ、マードック自身は木星に対応しています。
古代ギリシアでは、宵の明星と明けの明星は、それぞれヘスペロス(英語ではHesperus;西の、又は夕方の星の意味)、イオスフォロス(夜明けの星)と呼ばれていました。この2つの星が同じものだということを発見したのは、ピタゴラス(前6世紀)ともパルメニデス(前5世紀前半)とも伝えられています。Greek MythologyのTHE PROCESSION OF THE DAY の画像の一番右側に、翼を生やした姿で描かれているのがイオスフォロスで、それぞれ4頭立ての馬車に乗ったイオス(曙)とヘリオス(太陽)を先導しています。
メルクリウス(水星)、アフロディテ(金星)、アレス(火星)、ゼウス(木星)、クロノス(土星)の5つの惑星名がそろって見えるのは、プラトン(前427-347)の『エピノミス』が初めてで、これらはバビロニアの神に対応するギリシアの神をあてたものです。この書でプラトンは、水星はギリシア人のあいだには知られていなかったがエジプトやシリアの観測によって伝えられた、また、惑星に神様の名前を付けるのは、アフロディテ信仰の盛んなシリアの立法者にふさわしい(ギリシアではアスタルトなどの東方の女神をギリシア神話に当てはめてアフロディテと呼んでいた)、などと記していて、こうした命名法がプラトンの時代からそれほど遡らないことを示唆しています。
アリストテレスの偽書『宇宙論』では、金星について「光をはこぶものがあり、これをアプロディテの神殿とも、また他のひとたちはヘラの神殿とも呼んでいる」(村治能就訳)としています。バビロニアの女神イシュタルにならって、金星に女神の名前をつけることについては一致していたものの、まだこの時点では、どの女神をあてるかは統一されていなかったようです。他にも火星にヘラクレスを、水星にアポロンをあてる人もいました。「光をはこぶもの」はギリシア語でフォスフォロス(Phosphorus、光:photo-と同語源)で、英語では、明けの明星の他にリン(元素記号P:原子番号15)の意味があります。一方、この語に対応するラテン語はルシファー(Lucifer)で、神に逆らった天使が悪魔になったとされます。
金星以外の惑星についても神々の名前が付けられる以前は、土星はファイノン(Phaenon:光るもの)、木星はファエトン(Phaethon:輝くもの)、火星はフィロエイス(Pyroeis:火の)、水星はスティルボン(Stilbon:光を放つもの)と呼ばれ、ギリシア語で書かれた古代のホロスコープでも、こうした名前が使われていました。
又、太陽と月をつかさどっていたのは、もとはヘリオスとセレネ(それぞれ太陽と月を表わす普通名詞に由来する)というマイナーな天体専門の神様でしたが、いつの間にかアポロンとアルテミスというメジャーな神様に乗っ取られた(?)ようです。
これらの名前がローマ風になったマーキュリー(水星)、ヴィーナス(金星)、マーズ(火星)、ジュピター(木星)、サターン(土星)はキリスト教時代を生き抜き、今日に至っています。サターンはローマの神サトゥルヌスから来ているので、悪魔サタンとは何の関係もありません。又、英語などゲルマン語系の曜日はゲルマンの神(フレイア→Friday)になっていますが、ラテン語系の金曜日はvenerdi(←ヴィーナス:イタリア語)など、ローマ神話の神の名が使われています。(曜日の順序の由来については、曜日の順序とピタゴラス音律に書きました)
2.ヨーロッパからアメリカへ
時代は流れて1610年、望遠鏡で木星を覗いたガリレオはそのまわりに4つの衛星を発見し、彼のパトロンだったメディチ家のコジモ2世を記念して、メディチ星と名付けました。これに対して、独立に衛星を発見したと主張するマリウス(アンドロメダ銀河M31を最初に望遠鏡で見た人としても知られています)が、イオ、エウロパ、カリスト、ガニメデ(ゼウスの愛した美女と美少年)と命名して、結局こちらの方が普及してしまいました。
1781年、ドイツからイギリスに渡ってきた音楽家のウィリアム・ハーシェルは新しい惑星を発見し、当時のイギリス国王ジョージ3世にちなんで「ジョージの星(Georgium Sidus)」と命名しました。ウラノスという名前を提案したのは、ティティウス=ボーデの法則を紹介したことで有名なボーデです。しかし、その他にも色々な名前を提案する人がいて、イギリスやフランスでは1800年を過ぎても、「ジョージの星」や「ハーシェルの星」といった呼び方がされていました。最終的にウラノスに落ち着いたのは、その外側の惑星が名付けられたのと、ほぼ同じ頃だったといいます。
1801年の元日、イタリアはシチリア島のパレルモで、ピアッツィが最初の小惑星を発見し、フェルディナンドのケレスと命名しました。ケレスは穀物の女神で、シチリアを守護する女神でもあります。フェルディナンドはその時シチリアを統治していた王の名前ですが、こちらは他の王の名前と同じ運命をたどりました。その後、小惑星の発見が相次ぎ、パラス(アテネの別名)、ユノー(ゼウスの正妻ヘラのローマ神話での名前)、ヴェスタ(ローマの炉の女神)と女神の名前が付けられていきました(小惑星の続きは後ほど)。
ルベリェとアダムスが天体力学の計算によって予想した位置に、ガレが新しい惑星を発見したのは1846年のことです。ガレはヤーヌスという名前(2つの顔を持つローマの神、英語の1月Januaryの語源)を主張しましたが、ジョン・ハーシェル(ウィリアムの息子)やエンケといった他の天文学者は、フランス水路局の提案したネプチューンを支持したので、今回はあっさりと決着しました。
火星の2つの衛星は、1877年にアメリカのホールによって発見されました。その名前には、火星の神であるアレス(ローマ神話ではマルス)と金星の神であるアフロディテ(同ヴィーナス)の間に生まれた子供の名前フォボスとダイモス(それぞれ、「狼狽」と「恐慌」を意味する)がつけられました。フォボスは、英語の~フォビア(~恐怖症;アクロフォビアacrophobiaで高所恐怖症)の語源にもなっています。
日本に滞在したこともあり、火星の運河論争を引き起こしたアメリカのパーシバル・ローウェルは、晩年、海王星の外側の惑星Xを発見しようと情熱を燃やします。彼が亡くなったあとも、ローウェル天文台では惑星探しが続行され、やっと1930年にトンボーによって発見されました。この時も、ゼウス、ミネルヴァ、ローウェルなど色々な名前が候補に挙げられました。しかし、イギリスのオックスフォードに住む11才の女の子、バーニーが提案したプルートーという名前が、ローウェルの頭文字P.L.を含み、最果ての惑星にふさわしい名として採用されました。この名は、彼女の祖父から知り合いの天文学者のターナーへ、ターナーから電報でローウェル天文台へと急いで伝えられ、発見から2ヶ月足らずで正式に提案されたものです。ちなみに、火星の2つの衛星を命名したのは、彼女の祖父の兄だそうです。
1978年に発見された冥王星の衛星カロン(又はシャロン)Charonは、スティクス(ギリシア版三途の川)の渡し守の名前ですが、発見者クリスティーの奥さんの名前がシャーリーンCharleneで音が似ていることから選ばれた、とのことです。
天王星、海王星、冥王星というのは何となく三兄弟のような気がしていましたが、神話では、ウラノス(天王星)からクロノス(ローマ神話ではサトルヌス:土星)が生れ、クロノスから生れたゼウス(ジュピター:木星)、ポセイドン(ネプチューン:海王星)、ハーデス(プルートー:冥王星)がそれぞれ空、海、冥界を治めることになったのでしたね。
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ガリレオ以降、木星から海王星までの惑星をめぐる衛星も、多数発見されています。衛星の名前は、基本的にはギリシア・ローマ神話から取られていますが、天王星の衛星だけは、シェイクスピア(パック、ミランダなど)とポープ(ウンブリエルとベリンダ)の作品の登場人物から命名されました。
他にも、一時は存在が主張され、バルカン(火、とくに火山の神;英語の火山volcanoと同語源)やネメシス(復讐の女神)といった名前まで付けられたものの、その後、存在が否定されてしまった惑星や衛星もあります。詳しくは、ザ・ナイン・プラネッツ(日本語版)のまぼろしの惑星をどうぞ。
西洋では、天文学の中心は古代バビロニアからギリシア・ローマへ、そして近代ヨーロッパからアメリカと移り変わりますが、惑星をはじめ太陽系の天体に神様の名前をつけるという習慣はシュメール以来変わらなかった、と言えます。
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英語のプラネットplanetは、ギリシア語の「さまようもの」を表わすプラネテスに由来します。衛星をサテライト(satellite;ラテン語のsatelles:従者、取り巻きの意味:から)と名づけたのはケプラーです(単に月:ムーンmoonとも言います)。小惑星は惑星と違って望遠鏡でも点にしか見えないことから、ハーシェルはアステロイド(asteroid:恒星状のもの)と呼びました。19世紀後半からは、マイナー・プラネット(minor planet:文字通り小惑星)という呼び方もされるようになります。コメットcometは髪の毛(コマcoma)に似ていることから付けられました。流星の英語での呼び方については前に「凶兆としての流星」3.西洋に書きました。
3.クレーターの名、名
水星のクレーターには、ヘルメス(メルクリウス)が、リラを発明した学芸の神様ということで、ゲーテやベートーベン、ミケランジェロといった芸術家の名前が付けられています。日本からは、Basho(芭蕉)、Eitoku(狩野永徳)、Futabatei(二葉亭四迷)、Harunobu(鈴木晴信:浮世絵師)、Hiroshige(歌川(安東)広重)、Hitomaro(柿本人麻呂)、Kenko(吉田兼好)、Kosho(康勝;運慶の第四子、六波羅蜜寺の「空也上人像」など)、Kurosawa(黒沢琴古;尺八奏者) 、Murasaki(紫式部)、Okyo(丸山応挙)、Saikaku(井原西鶴)、Sei(清少納言)、Soseki(夏目漱石)、Sotatsu(俵屋宗達)、Takanobu(藤原隆信;神護寺の「源頼朝像」「平重盛像」など)、Takayoshi(藤原隆能;「源氏物語絵巻」を描いたとされる)、Tsurayuki(紀貫之)、Unkei(運慶)、Zeami(世阿弥)と20人が、名を連ねています(この人選はどうなんでしょう? USGS Astrogeology Research ProgramのMercury Nomenclature: Crater, cratersによりました)。
金星は厚い大気に覆われていて、望遠鏡でその表面をうかがうことは出来ませんが、探査機マゼランが、レーダーを使って多くの地形を明らかにしました。クレーターなどには女神や女性の名前が付けられ、大陸にはアフロディテやイシュタルといった名が付けられました。
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ガリレオが望遠鏡を月に向けた後、多くの人が月に注目しました。ラングレヌスは1645年に発表した月面図で、月の地形に王や貴族の名前をつけて行きました。その2年後、ヘヴェリウスは『月面誌(セレノグラフィア)』を発表し、月の山脈や海、クレーターに地上の地名を付けました。しかし、これらの命名の内、現在の残っているのはラングレヌスが自分の名前をつけたクレーター、ヘヴェリウスが名づけたアルプス、アペニンなどの山脈名くらいで、わずかしかありません。
今受け入れられている地名の多くは、1651年にイエズス会士のリッチオリが付けたもので、海については抽象的な名前(静かの海、雨の海など)、クレーターについては科学者の名前がつけられました。しかし、主要なクレーターに全て名前をつけられてしまったので、彼の後に生まれた偉大な科学者には、小さなクレーターしか残されていませんでした。又、1959年のソ連の探査機ルナ3号以降、地上からは見えない月の裏側の様子も明らかになり、そこにある多数のクレーターにも科学者の名前がつけられました。日本人関連については、NASDAの月についてのFAQ月面の地名で日本に関係したものはありますか?に一覧がありますが、多くは小さかったり、月の裏側にあったりします(満月を南北に二分する線が経度の0度で、90度E~90度Wまでが地上から見られます。実際には月も少し揺れ動いている(秤動)ので、もうちょっと先まで見えます)。
月面図はビクセンの月面観光案内で、「月面図へ」をクリック。STERN Homepageの月からは、「世界最初の月面図」や「世界最初の月面スケッチ」などのページがご覧になれます。
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19世紀のスキャパレリは火星の運河論争の種をまいた人ですが、火星表面の模様にヘラス(ギリシア人は自国をこう呼んでいた。ヘレニズムHellenismの語源)、アルカディア、エリシウム(ギリシア神話の楽園)、大シルチス(リビア沖;現在のシドラ湾)といった名前を付けていきました。その後、大きなクレーターにはスキャパレリやローウェルをはじめとする科学者の名前が、小さなものには地球の街の名前(日本からはTsukuba、Kagoshimaなど)が付けられました。又、各国の言語で火星を表わす言葉(日本からはKasei)が大きな谷の名前になりました。
火星の地図については、火星表面の地図や、横浜市立科学館の火星の地図(リンク集)もどうぞ。望遠鏡で見える表面の模様(明るい部分と暗い部分)と、地形(高低差)は一致しません。地形図は、上記リンク集から「火星地形図」をクリックして下さい。
火星の2つの衛星のうち、ダイモスのクレーターには、衛星を発見したホールと妻の旧姓スティックニーの名が(スティックニー・クレーターの方が大きい)、フォボスのクレーターには、2つの衛星の存在を予言したスウィフトとボルテールの名が付けられています。
スウィフトは、ガリヴァーが訪れた天空の島ラピュタの天文学者は、火星の2つの衛星を発見していて、その軌道半径がそれぞれ火星直径の3倍と5倍(実際には1.4倍と3.5倍)、公転周期が10時間と21時間半(実際には8時間と30時間)だと知っている。そして、これらの値はケプラーの第3法則に従っている、と書いています。しかし、これは実際に衛星が発見される150年前のことです。啓蒙主義者ボルテールも、『ミクロメガス』の中で、火星の2つの衛星に触れています。この説の大元はケプラーらしく、彼はガリレオが木星に4つの衛星を発見したことを聞き、比例関係から火星にも2個、土星にも6個か8個の衛星があるだろうと考えたのでした。ただし、ケプラーは衛星の軌道半径や公転周期について何も言っておらず、その出所は分かっていません。ケプラーの名は火星本体のクレーターに付けられています。
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探査機ガリレオが、小惑星ガスプラに接近したときに撮った画像には、多数のクレーターが写っていました(画像は「星のしるし」付録:星のかたちに置いています)。ガスプラはロシア・クリミア半島の保養地の名前ということから、クレーターには各国の温泉の名前がつけられました。バース(イギリス;ハーシェルが音楽家として働いていた所)、スパ(ベルギー)などで、日本からはBeppu(別府)が名乗りをあげています。
木星から海王星までのガス惑星本体には堅い表面はないので、地名はありません。一方、探査機で明らかになった衛星の表面の地形には、色々な名前が付けられています。又、冥王星は探査機が行っていない唯一の惑星で、表面の詳細は分かっていません。しかし今年2003年春、冥王星とカイパーベルト天体(後述)を探査する、NASAのニュー・ホライズン計画の予算が承認され、2006年打ち上げ、2015年冥王星到着を目指しています。
4.彗星・小惑星の名、名
彗星には、発見者の名前が三人まで付けられます。日本人のコメット・ハンターも、池谷・関彗星や百武彗星など、多くの彗星を発見しています。東亜天文学会の原田昭治さんによる日本人が発見した新彗星リスト(2002年3月まで)、最近の発見リストはComet Discoveries (彗星の発見)をご覧下さい。
一方、ハレー彗星は紀元前から記録があって、ハレーが発見したわけではありません。彼は、ニュートン力学から1531年、1607年、1682年に出現した彗星の軌道がよく似ていることに気づき、この彗星が再び1758年に回帰することを予言しました。ハレーはそれを見ることなく、1742年に86才の高齢で亡くなってしまいます。しかし、その前の1682年の出現の時、既に26才だったハレーは、後に自分の名がつくことになる彗星を観測していて、その観測記録も残っています。ただ、彼の元にはまだ整った観測機器はなかったため、当時の水準に比べても観測精度は良くなくて、彗星の軌道計算の時にも他の人のデータを使っています。
回帰が予言された1758年には、メシエを先頭にして発見競争が繰り広げられましたが、最初に見つけたのはドイツのアマチュア天文家パリッシュで、クリスマスの明け方のことでした。
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小惑星は発見されると仮符号がつき、何回も観測して軌道が確定した後で正式の確定番号(1番ケレスからの通し番号)がふられ、その後に発見者が命名します。しかし、彗星と違って発見者自身の名前をつけることは出来ません。2003年7月現在では確定番号のついた小惑星が 60,000個を越え、その内約 10,000個が命名されています。最近はLINEARなど、地球に衝突する可能性のある小惑星を探すプロジェクトが進行中で、発見数が爆発的なペースで増加しています。
付記: 2006年3月現在では確定番号がついた小惑星が約 120,000個、その内約 12,000個が命名されています。発見数の増加ペースに、命名のペースが追いついていないことが分かります。ここまで来ると、小惑星全てに命名する必要があるのか、という話になりますが…
小惑星につける女神の名前はすぐにネタが尽きて、人名、地名、その他色々な名前が付けられています。小惑星の名前についてはITmedia:ニュース速報の「Zashikiwarashi」もまわってる 小惑星を調べてみたに、面白い記事があります(文中にも出てくる「Gorgo」(681)は、ギリシア神話の怪物女三姉妹で、そのうちの一人メドゥーサだけが不死身ではなく、ペルセウスに退治されました。あの人の名前もここから来ているのでしょう)。ふぇりさんの小惑星の名前研究所では、小惑星の名前が項目別にまとめられています。確定番号のついた小惑星の日本語リスト(命名されているものについては、その由来も)はJANNET 小惑星に、最新の英語リストはMPC>Lists and Plots>Minor PlanetsのDiscovery Circumstances: Numbered Minor Planetsにあります。
1992年以降、海王星の軌道より遠くにある天体が発見され、その存在を予言した天文学者の名をとって、エッジワース・カイパーベルト天体と呼ばれています。これらの天体にも小惑星番号がつけられ、ヴァルナ(Varuna:インドの天空神;キリ良く20000番)、クワーオワー(Quaoar:アメリカ先住民の創造神;キリ良く50000番)などと命名されています。それより前の1999年頃には、冥王星に小惑星番号10000番をつけよう、という動きがありました。しかし、冥王星が惑星から格下げされるのでは、と騒ぎになって見送られ、結局、10000番の小惑星はギリシア語で10000を表わすMyriostosと命名されました。冥王星は結局2006年に惑星から「格下げ」され、小惑星番号134340番が与えられました。
こう見ると何でもありのようですが、最近200年の軍人・政治家と、主要な宗教に関わる人名は禁止されています。かつては、それぞれが好きに名づけていたので、同じ天体や場所に複数の名前がついていることも多かったのですが、現在はIAU(国際天文学連合)が統一的に管理しています。命名の手続きについては、ザ・ナインプラネッツの付録 5: 天体の「正式な」名前をご覧下さい。太陽系内天体の全般的な情報については、上記ザ・ナイン・プラネッツや日本惑星協会が定番でしょう。
5.元素の名、名
元素と惑星は錬金術によって、太陽=金、月=銀、水星=水銀といった風に対応していました。水銀の元素記号はHg(原子番号=電子の個数=陽子の個数は80)ですが、英語名は水星と同じくマーキュリーです。ローマ神話のメルクリウス、ギリシア神話のヘルメスは、神々の伝令使をつとめ、商業、交易、学芸、さらには泥棒(!)の守護神でした。水星は惑星中最も動きが速く、水銀も常温では唯一の液体の金属であることから、この神の名で呼ばれました。ちなみに、この神様のフランス語名はエルメスで、もとは馬具を作る会社がこの名を冠していましたが、やがてブランド品のバッグを作るようになりました。
さて、1789年ドイツの化学者クラブロートは未知の物質を見つけ、当時、発見されたばかりの惑星ウラノス(天王星)にちなんでウランと名付けました(彼が見たものは実はウランの酸化物で、元素として単離したのは別の人です。ウランの原子番号は92)。その後、1940年にアメリカのマクミラン、シーボルグらによって、原子番号93、94の元素が発見されます。これらの元素は惑星の配列をもとにして、それぞれネプツニウム(海王星から)、プルトニウム(冥王星から)と名付けられました。それにしても、プルトニウムが「冥界の王の元素」というのはシャレにならない命名です。
他にも、天体名が名前の由来になった元素がありますので、命名された順に紹介します。元素周期表は元素の周期表(新しいウィンドウが開きます)などにあります。
テルル(Te:原子番号52):1798年にクラプロートが発見し、彼が9年前に命名したウランに対比させて、地球(ラテン語のtellus:もとは、英語で地球を表わすアースthe earthと同じく「土」の意味)から命名。
セレン(Se:原子番号34):1783年にミュラーが発見し、テルルに似た元素(周期表で同じ列にある)ということで、1818年にベルセーリウスが月の女神セレネから命名。
セリウム(Ce:原子番号58):1803年にベルセーリウスが、発見されたばかりの最初の小惑星セレス(ラテン語ではケレス)にちなんで命名。
パラジウム(Pd:原子番号46):1803年にウラストンが発見し、2番目の小惑星パラスがその前年に発見されたことにちなんで命名。
ヘリウム(He:原子番号2):1868年皆既日食の時に、太陽の彩層で未知の元素が観測され、ロッキャー卿が太陽(ヘリオス)にちなんで命名。地上で発見されたのは、もっと後です。
直接の関係はありませんが、ギリシア神話の巨人タイタン族にちなんで付けられたのが、元素のチタン(ラテン語読み;原子番号22)と、土星最大の衛星タイタン(またはチタン)です。原子番号90のトリウムは、北欧神話の雷の神トールThor(英語のサンダーthunderと同語源)から来ていますが、これは英語の木曜日Thursdayの語源にもなっています。
惑星の名前の由来(東洋編)より転載
1.中国へ
中国での惑星の呼び名は、もともと
辰星(しんせい):水星
太白(たいはく):金星
螢惑(けいこく):火星 (「螢」は本当は少し違う字です)
歳星(さいせい):木星
鎮星(ちんせい):土星
でした。例えば、歳星は約12年(正確には11.86年)で天球上を一周しますが、中国の戦国時代(紀元前4~3世紀)には全天を12に分けて(十二次)、歳星がいる位置で年を表わしていたので「歳を表す星」という意味の名前が付きました。惑星の命名は五行説の成立より先行するらしく、後になって各惑星に歳星=木、螢惑=火などと五行(木火土金水)が配当されたようです。
唐代には、西洋の影響を受けたインド占星術が密教とともに入り、『宿曜経(すくようきょう)』などによって紹介されます。『宿曜経』は、インド出身の僧不空(ふくう)が、自分の持っている知識を口述したもので、サンスクリットの原典はありません。まず759年に史瑤が訳しましたが、あまり良いものではなかったので、764年に楊景風が改訳し注釈をつけました。このとき惑星名は火曜・木曜、又は火精・木精と、他の文献(『七曜攘災決』など)では火星・木星、又は火官・木官というふうに漢訳されました。『七曜攘災決』の「攘」は「尊王攘夷」の「攘」で追い払うの意味、全体では七曜によってもたらされる災いをはらう方法の意味で、惑星などの位置を計算するための表などが書かれています。宿曜道は、現在の一週間の曜日や、ホロスコープ占星術などももたらしました(後述)。
中国の正史(新しい王朝が、前の王朝の歴史をまとめた正統な歴史書)を眺めると、そこに木星などが登場するのは、(僕の見た範囲では)『宋書』「暦志」の崇天暦(1022年始行)の項が最初で、この頃にはかなり普及していたと思われます。それまでにも、「火と土」、「木、火、土三星」といった表現はありますが、「火星」「木星」は見あたりません。その後の『元史』『明史』では、「暦志」(暦の解説)には木星など、「天文志」(天変とその占いなど)には歳星などと使い分けられています。木星・土星といった呼び名の方が分かりやすい気がしますが、占いの方は過去の文献からの引用が多いので昔からの表現が残った一方、暦の記述に関しては新しい呼び方が採用されたと思われます。
注):実は、『史記』に「木星与土合」という表現があり、漢代の王充の『論衡』にも「火星」と書かれています(『大漢和辞典』)。しかし、前者の前後の文中では単に「火」「土」などで「星」はかけている、又、後者の他の箇所では、火星はさそり座のアンタレスを指していることを考えると、後世の筆が入っているのかも知れません。(別に、いくつか例外があってもいいですけれどね)
2.日本へ
日本最古の漢和辞典『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』(10世紀前半)では、長庚(ちょうこう;中国での宵の明星)の和名が「由不豆々」(ゆふづつ;「つつ」は星のこと)、明星(明けの明星)の和名が「阿加保之」(あかほし)となっています。この書物をネタ本に使ったと言われる『枕草子』にも「星は、すばる。彦星。みやう星。夕づつ、、、」とあります(「みやう星。」がないテキストもあります)。古代ギリシアの場合を考えると、日本でも夕づつと明星が同じ惑星だという認識があったのかは分かりません。また、『倭名類聚抄』には他の惑星名は書かれておらず、和名は分かりません(もともと付いていなかった、という可能性もありますが)。
『枕草子』の「名おそろしきもの」には「ほこ星」が挙げてありますが、これは彗星のことです(北斗七星の第七星を指すという説もあります)。漢語の彗星と日本語の「ほうきぼし」は同じ発想で、日本では他に「ほたれぼし(穂垂れ星)」という呼び方などがありました。流星の和名については、「凶兆としての流星」1.日本をご覧下さい。
「ひ」(日)と「つき」(月)の語源については諸説あって、ひ(日)はひ(火)とは別の言葉で、ひ(霊)、又は、「ひかり」の「ひ」がもとになっているのではないか、月は、明るさが日に「つぐ」(次ぐ)ところから、又、毎月一度輝きが「つきる」から、などの説があります。もともと、日と月、太陽と太陰がペアになっていたはずですが(太陽暦・太陰暦のように)、いつの間にか太陽と月、と言うようになったようです。
飛鳥時代に天文の知識を中国から輸入したとき、太白、歳星といった惑星の呼び名も入ってきました。この頃から、歴史書に日月食や、惑星の接近現象の記録が多く残されるようになります。
『宿曜経』が成立して40年ほどたった平安時代のはじめ、中国へ留学した空海はこの書物を日本に持ち帰ります(806年)。宿曜道(すくようどう)とともに、日本にも金星、金曜といった呼び方や、一週間の曜日・ホロスコープ占星術(3.平安時代のホロスコープ参照)ももたらされました。藤原道長の「御堂関白記」の具注暦(日付けだけではなく、その日の吉兆が記され余白に日記やメモが書き込めるようになっている)に記されている「蜜」は、イラン系のことばの日曜を意味する「ミール」の音訳で、現在の日曜日と連続(整合)しています。しかし、『宿曜経』はそれほど詳しいものではなく、日本で宿曜道が盛んになるのは、日延によって「符天暦(ふてんれき)」がもたらされ、それによって惑星の位置計算がされるようになった10世紀後半以降です。又、宿曜道の人々は、日月食の予報をめぐって暦道や算道と争ったりもしました。
神田茂氏の『日本天文史料』に載っている惑星現象の記事を見ると、日本での惑星の名前はほとんど「歳星」などですが、平安時代以降ちらほらと「木星犯天江星」や「土星犯木星」などといった記事も出てきます。江戸時代になると専門家の間では、火星、木星といった呼び方がかなり増えていきます。ただ、同じ本のなかでも、土星、土曜、鎮星など色々な呼び方が使われていたりと、特に用語の統一を気にしたようにも見えません。江戸時代の百科事典『和漢三才図絵』(1713年)の見出し語は「歳星」などで、下に小さく「木曜」などと書かれているので、ある程度は一般に知られていたと思われます。金星、火星などと統一されたのは明治になってからでしょう(『近世科学思想(下)』など、いくつかの文献を拾い読みしました)。
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斉藤国治氏によると、天王星と海王星という名は中国で付けられたそうです。1930年に発見された冥王星については、神田茂氏が日本名を「プルートー」とする一方、野尻抱影氏は「冥王星か幽王星としたらどうか」と提案しました。結局、「冥王星」が日本、そして中国でも広く使われるようになりました。ただし、神田茂氏が編集していた『理科年表』と『天文月報』では、1943年まで「プルートー」で通したそうです。
また、中国では5惑星のことを総称して「五星」「五緯」などと呼んでいて、「惑星」という語は見当たらず、井本進氏によると「惑星」は長崎の通詞・本木良永(もときりょうえい、1735-94)の造語か、とのことです。一時期、山本一清氏や野尻抱影氏は「惑星」の変わりに「遊星」を使っていました。現代中国語では、個々の惑星の名前は日本と同じですが、「惑星」に当たる言葉は「行星」で、一週間の曜日は、月曜日が「星期一」で土曜日の「星期六」まで続き、日曜日は「星期天」です。
3.見出された平安時代のホロスコープ
桃裕行氏の論文や矢野道雄氏の『密教占星術』などによると、ギリシアで発達したホロスコープ占星術(その人が誕生した時の惑星の配列から運勢を占うという、おなじみのものです)は、インドへ伝わり、そこから密教占星術(宿陽道:すくようどう)として唐代の中国、平安時代の日本まで伝わりました。『宿曜経』に見える黄道十二宮は、
羊、牛、男女、蟹、獅子、女、秤、蝎、弓、磨羯、瓶、魚
となっています。ちなみに現在の名前は、
白羊、金牛、双子、巨蟹、獅子、処女、天秤、天蝎、人馬、磨羯、宝瓶、双魚
おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うお
(ただし、黄道十二宮と現在の星座は一致していません)
で、名称が違っているものでも、ほぼ分かります。
やぎ座に対応する磨羯宮の「まかつ」はインドのワニに似た怪物マカラをそのまま音訳したものです。やぎ座は上半身はやぎ、下半身は魚として描かれますが、その起源はメソポタミアにあって、ギリシア神話のパンがパニックを起こして、、、という話は、やぎ座の姿を説明するために後で作られたもののようです。又、インドでは、ふたご座は男女のペアとされています。
一方、もともとの東洋の占星術は、天変(日食や惑星どうしの接近、彗星など)を観察して、これは国や支配者にとって何々の前兆である(王が死ぬ、とか戦争が起きる)、というように占うもので、ホロスコープ占星術とは全く違った体系でした。
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『源氏物語』で光源氏が生まれたときに、高麗の人相見が光源氏を親王でなく臣下にした方がいいと言い、「宿曜のかしこき道の人」も同意見だったという話がありますが、これは光源氏のホロスコープを作って占った、という想定だったようです。
平安時代のホロスコープというのもいくつか残っています。『続群書類従』巻908にある、天永三年十二月二十五日丑時(ユリウス暦で1113年1月15日午前2時ころ;十二月二十五日は1月14日に当たりますが、当時の1日の始まりは明け方でしたので、現代風に言えばもう日付けが変わっていました)に生まれた人のホロスコープでは、放射状に12等分した同心円の内の方に、十二宮の名前が
白羊、青牛、陰陽、巨蟹、獅子、小女、秤量、蝎虫、人馬、磨羯、宝瓶、雙魚
(雙は双の旧字)とあって、外の方の円には、日天と月天、水星・金星などの5惑星、計都と羅ゴ(ゴは目へんに候;日月食の計算に関連した存在しない2惑星)の九曜の黄道上の位置が示されています。この人の本命宮(誕生時に東の地平線に昇ろうとしている宮)は蝎虫宮で、本主宮(誕生時に月があった宮)は人馬宮などとして、天性、栄福、運命、行年(各年の運勢)などが占われています。現在とは違って、太陽が入っている宮は重要ではなかったようです。純粋な形の宿曜道が行われたのは室町初期くらいまででした。
その後、16世紀末の長崎の天文家、小林謙貞はゴメスの「天球論」を訳して『二儀略説』(岩波の日本思想大系63に所収)を著わしました。そこでの十二宮の名前は、
白羊、金牛、双兄、巨蟹、獅子、室女、天秤、天蝎、弓馬、磨羯、流水、大魚
です。ギリシア神話では、おひつじ座はイアソンが取りに行った金羊毛、おうし座はゼウスが化けた白い牡牛ですが、西洋と東洋でいつの間にか、羊と牛の色が反対になっています。
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西洋から日本への影響というと、江戸・明治以降の直接的なものしか思い浮かびませんが、かつてはユーラシア大陸を横断するような伝達ルートもあって、惑星の呼び名を始め、曜日や黄道十二宮、さらにはホロスコープ占星術ももたらされていたのです。
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