「アラブの春」との関連性については、今後のこととして、イスラム国樹立宣言がなされた2014年6月29日、以降の動向をまとめておく。
イスラム国について
ことバンクによれば、次のようである。
イスラム国は、2014年6月29日、ISIS(ISIL)の最高指導者アブ・バクル・バグダディが樹立を宣言した国。反シーア派を鮮明にしているISIS(ISIL)は、残虐なテロ集団という報道がある一方、支配下に置かれたイラク北西部のスンニ派住民や、カリフ制再興を望んでいた国内外のイスラム教徒からは、一定の支持を得ているとも伝えられる。湾岸戦争の産物である。イスラム国の成立の一因は湾岸戦争にある。湾岸戦争は石油資源をめぐる権力争いであった。
それが9.11をはじめとするテロのきっかけになったのである。
サダム・フセイン(1937年4月28日 - 2006年12月30日)はテロの元凶とされ、イラク戦争を仕掛けられ、2003年12月14日サダム・フセインは逮捕され、2006年12月30日処刑された。
イスラム国のゆくえ
イスラム国の行方は、近代化の行方である。西欧近代化は、今日グローバル化、グローバリズムと名を変えて進行中である。
そのスピードは、20世紀におけるそれスピードの比ではない。
現在、世界で起きている多くの問題は、この近代化が創り出したものである。地域動向が近代化がグローバルに進む世界動向に添ったものであるとき、そこには春が訪れ、対抗するものであったとき、そこには紛争が起きるのである。この地域動向が世界動向と接する狭間をハンチントンは、「フォルトライン」と呼んだ。
そこでは、とてつもない格差、落差が生じているのであり、トフラーの言った「未来の衝撃」が人々を襲っているのだ。
「パンドラの箱」は開けられ、近代化は、環境問題を引き起こすことになった。
環境保護、生物多様性、種の保存などなど大義名分を推し立てて近代化は進められる。
しかし、実際に起きていることは、乱開発、乱獲、乱入による、環境破壊、外来種による侵食、種の絶滅である。
環境問題の根本的な解決策が見いだせないままに、次善の策を選択する。
恣意的な選択は、結果として矛盾をはらんだままである。デフォルト、無策、問題の先送りである。
自然保護、生物多様性を大義として、人類は、グローバルな闘争を繰り返している。
その帰結が、今日の世界の混迷であり、アラブの春に続く、「イスラム国」の誕生である。
キリスト教原理とイスラム原理の闘いの様相を呈している。
※「イスラム国」興隆の背景等の解説などはこちらから
近代化の罠
対立は歴史的であり、新たな感情的な対立を生み出している。同時に起きている「エボラ出血熱」のパンデミックな勢いと共に問題の深刻さを強めている。
インフラが未整備なところに新たな資源(細菌)を掘り起こしてしまったのである。
同様に、イスラム国の問題も、近代化が蓋をし、隔離してきたアラブ諸国の感情という鉱脈から「21世紀イスラミー」という感情を掘りここしてしまったのである。
カダフィーが、カストロが、サダム・フセインが、チャベスが、ゴルバチョフが、鄧小平が、ソルジェニーツィンが、ビン・ラディンが、そうし西欧の矛盾を最も肌で感じ取っていたのではなかったか。つまりこれらの人は、フォルトラインで、反体制側で戦った人であった。体制の矛盾にはまった人たちである。
世界の大義を自認するアメリカは『貧困大国』とも呼ばれ、貧困ビジネスが市場を侵攻している。
対抗勢力であったソ連は崩壊し、民主主義の暴走の歯止めであった社会主義の力は失われた。
グローバリズムは、アメリカンウェイで進んでいるのである。
このアメリカンウェイが堀起こしたものが、エボラ出血熱であり、イスラム国である。
近代化のゆくえ
アフリカからの難民をどう隔離するか、EUが抱えている問題は難民による侵攻である。隔離政策に基づく、資源開発、この資源開発には、人間という資源も含まれる。
穿って見れば、西欧はアラブ世界(中東・アフリカ)の資源を乱開発して、今日の富を築き上げてきたのである。
ローコストの資源を土台として、その人的資源を構成していたのがアラブ世界の住人であり、彼らは隔(分)離政策により、西欧社会の中に世間(コロニー)を形成していった。そのコロニーの住人が情報社会の中で、目覚めたとき、彼らの生活環境を取り巻く壁があることに気づいたのである。
「ベルリンの壁」と同じように、その壁を壊し始めたのがアラブの春ということになる。
アラブの春の根は深いのである。
そして、近代化によって、世界に移植された外来種が、勢いを得て、人権を主張し始めたのである。
本家、本地帰りをしているのである。アイデンティティをもとめて・・・。
「自由・平等・博愛」が近代化の旗印であった。
「自由」の先兵であった、アメリカが、近代化を定着させ、結実させるためには、「平等・博愛」を学ぶ時が来たともいえる。
神は、自由を許すと同時に、「汝の隣人を愛せよ」と言われたのである。
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