武士道の淵源
武士道は特権階級である武士(男性的で獣のごとき力を持つ種族)の名誉と責任に関する行動基準である。
禅が武士道の精神的支柱を築いた。
「現世の事象を脱俗して『新しき天と新しき地』とに覚醒する事を目的とした。
主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、ならびに親に対する孝行とともに服従心を武士に賦与したのは神道の教義である。
この知識の性質は道徳的であり、人の道徳的性質の内省たるべきである。
日本人は本来、五倫に基づき生活をしていた。孔子の教え(儒教)はこれを確認したに過ぎない。
知識は心と同化し、品性となって現れる時、真の知識になる。
王陽明の思想は聖書の教えと同じであることを示している。
彼の教えは、心に神の光明である良知が宿る、という。
日本人の心に王陽明の思想は響いたのである。
義
義とは「決断力」であり、
節義は士に不可欠である。
義人が少なくなったことを孟子は嘆く。
義は聖書に言う「楽園」を回復する道であると孟子は言う。
義理とは「正義の道理」で、世論が履行を期待する漠然たる義務である。
義務を避けることを妨げるのが義理である。
義理はキリスト教の愛の教えに劣る第二義的力である。
正しき勇気感、敢為堅忍の精神が「義理」を正しく働かせる
勇・敢為堅忍の精神
勇とは「義しきことをなすこと」である。
「勇」に値する敵を選ぶことが仁を生むのである。
仁・惻隠の情
封建制は必ずしも専制政治ではない。上杉鷹山がこれを証明した。
個人の人格が社会的団結(国家)に依存する我が国民にとって、君主の権力の行使は親父的考慮を持って一般に緩和せられて重圧と感ぜられない
義に過ぎても、仁に過ぎてもよくない。柔和なる徳である仁は正義と道義によって塩づけられなければならない。
武士の愛は盲目的でなく、有効なものである。
礼
実際の価値に基づく差別である「社会的地位」に対する正当なる尊敬を表現するものが真の礼である。
聖書のコリント人への手紙13章4節の「愛」を「礼」に置き換えて、「礼」はキリスト教の「愛」の実行であることを示す。
誠
「誠」はロゴス説と類似した超自然力を付与され、儒教では神と同視された。
「武士の一言」の真実性を保障したのは証書ではなく武士の品位であった。
「武士の一言」といえば、その言の真実性に対する十分なる保障であった。武士は然諾を重んじ、その約束は一般に証書によらずして結ばれかつ履行せられた。証文を書くことは、彼の品位にふさわしくないと考えられた。
わが国で「正直」が道徳的に高い地位を獲得したのは哲学的誘因によるものであった。
アングロ・サクソン民族の高き商業道徳によれば、「正直は引き合う」と教える。
産業の進歩は信実が有利なる徳であることを教えるが、「徳それ自身がこの徳の報酬である」という最高の徳については教えない。
“Honest”と”Honour”は語源が同じで、正直と名誉は不可分に混和している。
名誉
名誉に対する観念は社会が核家族となり、家族の連帯を失っていくとき、共に薄れてゆく。
洋の東西を問わず、「恥」は道徳的実行力を持つものとして重んじられた。
西郷南洲の言葉はキリスト教の教えるところと同じものである。
与えられた分を尽くすことにより「名誉」は生じる。
忠義
我が国の忠義は他のいかなる国におけるよりも高いものに発達させた。
日本における「忠」はソクラテスが国家、国法に対して求めた忠節と同質のものであり、国家、国法に代えて人格者によって表現されたに過ぎない。
忠義とは理想を名誉に置き、生命を手段とし、主君の明知と良心に訴えることである。
教育訓練
武士の教育の第一は品性におかれ、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えたる鼎足は智仁勇で、本質的に行動に求められた。
哲学と文学とは彼の知育の主要部分を形成した。
封建時代の戦争は科学的性格をもって行われなかったこと、武士の教育全体が数学的観念を養成するに適しなかったという。
武士の徳たる名誉心は、利益を得て汚名をきるより損失を選んだ。
節約は経済的理由によるものではなく、克己の訓練の目的より出てきた。
従って、武士道では理財の道を卑しきものとした。それは教育の主目的が品性の確立にあったから
仕事とは、価格で測られるものではないことを武士は信じた。
そのに真正なる教訓を見出した。金銭で測ることのできない師は武士の生きたる模範であった。
克己
他人を煩わせない、思いやるところに克己が要求された。
高尚な徳である克己も頑固を生み、偽善を培い、情感を鈍らすことがある。
自殺及び仇討ちの制度
「真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり」。生死の問題ではなく、義に殉ずることが求められる。
老子は怨みに報いるに徳をもってすと教えた。しかし正義(直)を持って恨みに奉ずべきことを教えたる孔子の声のほうがはるかに大であった。
復讐はただ目上の者若しくは恩人の為にのみ正当であった。
婦人の教育及び地位
奉仕の教義に関する限り、武士道は永遠の真理に基づいている。
自己犠牲の精神を生んだ武士道を旧来の習慣として廃すべきとする軽率を戒め、かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうかと疑問を呈する。
武士道の善悪の基準が西欧の基準と異なることを次のように言う。
武士道の感化
武士道は個人の純粋道徳であり、社会の安寧秩序を求めるものである。
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
斯くすれば斯くなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂(吉田松陰)
武士道は過渡的日本の指導原理になりうる。
“新日本の現在を建設しかつその将来の運命を達成せしむべき原動力”であるとする。
日本は自己の発意を持ってヨーロッパから文武の組織の方法を学び、それが今日までの成功をきたしたことを強調する。
その源泉は武士道であった。
武士道の将来
制度的基盤を失った武士道は自らも革新しなければならない。
ベンサム・ミル型の知的なものになっている。
武人の使命よりもさらに高く更に広い使命があるという
個人主義が道徳的要素たる資格において勢力を増すに従い、武士道はキリスト教と同じく、個人に焦点を当て、より広い範囲に適用することの必要性を説く。
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