挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

「武士道」新渡戸著が教える事

武士道の淵源



武士道は特権階級である武士(男性的で獣のごとき力を持つ種族)の名誉と責任に関する行動基準である。
漢字の『武家』もしくは『武士』という語も普通に用いられた。彼らは特権階級であって、元来は戦闘を職業とせる粗野な素性であったに違いない。この階級は、長期間に亙り絶えざる戦闘の繰り返されて居る中に、最も勇敢な、最も冒険的な者の中から自然に徴募せられたのであり、而して淘汰の過程の進行するに伴い怯懦柔弱の輩は捨てられ、エマスンの句を借用すれば、「全然男性的で、獣の如き力を有つ粗野なる種族だけが生き残り、これがサムライの家族と階級とを形成したのである。大なる名誉と大なる特権と、従って之に伴う大なる責任とを有つに至り、彼等は直ちに行動の共通基準の必要を感じた。殊に彼等は常に交戦者たる立場にあり、かつ異なる氏に属するものであったから、その必要は一層大であった。恰も医者が医者仲間の競争をば職業的礼儀によって制限する如くまた弁護士が作法を破った時は査問会に出なければならぬ如く、武士も又彼等の不行跡についての最終審判を受くべき何かの規準がなければならなかった。


禅が武士道の精神的支柱を築いた。
仏教は武士道に対して之等を寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守〕がその門弟に業の極意を教え終った時、之に告げて言った、「これ以上のことは余の指南の及ぶところでなく、禅の教えに譲らねばならない」と。『禅』とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想を以って達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。而してその目的は私の了解する限りに於いては、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。かくの如く定義してみれば、この教えは一宗派の教義以上のものであって、何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。


「現世の事象を脱俗して『新しき天と新しき地』とに覚醒する事を目的とした。
主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、ならびに親に対する孝行とともに服従心を武士に賦与したのは神道の教義である。
この知識の性質は道徳的であり、人の道徳的性質の内省たるべきである。


日本人は本来、五倫に基づき生活をしていた。孔子の教え(儒教)はこれを確認したに過ぎない。


知識は心と同化し、品性となって現れる時、真の知識になる。
王陽明の思想は聖書の教えと同じであることを示している。
彼の教えは、心に神の光明である良知が宿る、という。


日本人の心に王陽明の思想は響いたのである。

義とは「決断力」であり、


節義は士に不可欠である。


義人が少なくなったことを孟子は嘆く。


義は聖書に言う「楽園」を回復する道であると孟子は言う。
義理とは「正義の道理」で、世論が履行を期待する漠然たる義務である。
私はしばらく『義理』について述べよう。之は義からの分岐と見るべき語であって、始めはその原型から僅かだけ離れたにすぎなかったが、次第に距離を生じ、遂に世俗の用語としてはその本来の意味を僅かだけ離れたにすぎなかったが次第に距離を生じ、遂にはその本来の意味を離れてしまった。義理と言う文字は「正義の道理」の意味であるが、時を経るに従い、世論が履行を期待する漠然たる義務の感を意味するようになったのである。その本来の純粋なる意味に於いては、義理は単純明瞭なる義務を意味した。――従って我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということを言うのである。之等の場合において義理は義務である。何となれば義務とは「正義の道理」が我々に為すことを要求し、且つ命令する處以外の何ものでもないではないか。「正義の道理」は我々の絶対命令であるべきではないか。
義務を避けることを妨げるのが義理である。
義理はキリスト教の愛の教えに劣る第二義的力である。
正しき勇気感、敢為堅忍の精神が「義理」を正しく働かせる

勇・敢為堅忍の精神

勇とは「義しきことをなすこと」である。


「勇」に値する敵を選ぶことが仁を生むのである。

仁・惻隠の情

封建制は必ずしも専制政治ではない。上杉鷹山がこれを証明した。
個人の人格が社会的団結(国家)に依存する我が国民にとって、君主の権力の行使は親父的考慮を持って一般に緩和せられて重圧と感ぜられない
ポブエドノスチェフは英国社会の基礎と他の欧州諸国の社会の基礎との対照を明瞭にして、大陸諸国の社会は共同利害の基礎の上に組織せられているに反し、英国社会の特色は高度に発達せる独立の人格にありと為した。このロシヤの政治家は、ヨーロッパ大陸諸国殊にスラヴ系諸国民の間においては、個人の人格は何らかの社会的団結、終局においては国家に依存すると述べたが、このことは日本人については特に然りである。この故に我が国民にありては、君主の権力の自由なる行使はヨーロッパに於けるが如くに重圧と感ぜられざるのみでなく、人民の感情に対する親父的考慮を以って一般に緩和せられているのである。
義に過ぎても、仁に過ぎてもよくない。柔和なる徳である仁は正義と道義によって塩づけられなければならない。


武士の愛は盲目的でなく、有効なものである。

実際の価値に基づく差別である「社会的地位」に対する正当なる尊敬を表現するものが真の礼である。
聖書のコリント人への手紙13章4節の「愛」を「礼」に置き換えて、「礼」はキリスト教の「愛」の実行であることを示す。

「誠」はロゴス説と類似した超自然力を付与され、儒教では神と同視された。
「武士の一言」の真実性を保障したのは証書ではなく武士の品位であった。
わが国で「正直」が道徳的に高い地位を獲得したのは哲学的誘因によるものであった。
アングロ・サクソン民族の高き商業道徳によれば、「正直は引き合う」と教える。
産業の進歩は信実が有利なる徳であることを教えるが、「徳それ自身がこの徳の報酬である」という最高の徳については教えない。
“Honest”と”Honour”は語源が同じで、正直と名誉は不可分に混和している。

名誉

名誉に対する観念は社会が核家族となり、家族の連帯を失っていくとき、共に薄れてゆく。
洋の東西を問わず、「恥」は道徳的実行力を持つものとして重んじられた。


西郷南洲の言葉はキリスト教の教えるところと同じものである。
与えられた分を尽くすことにより「名誉」は生じる。

忠義

我が国の忠義は他のいかなる国におけるよりも高いものに発達させた。
日本における「忠」はソクラテスが国家、国法に対して求めた忠節と同質のものであり、国家、国法に代えて人格者によって表現されたに過ぎない。
ソクラテスが彼の闘争の問題について、国宝が彼と論争するものとして述べている議論を記憶するであろう。その中で、彼は国法もしくは国家をしてかく言わしめている、「汝は我がもとに生まれ、養われ、かつ教育されたのであるのに、汝も汝の祖先も我々の子及び召使いでないということを汝はあえて言うか」と。これらの言葉は我が国民に対しなんら異常の感を与えない。何となれば同じことが久しき前から武士道の唇に上っていたのであって、ただ国法と国家はわが国にありては人格者によりて表現されていたという差異があるに過ぎない。忠はこの政治理論より生まれたる倫理である。


忠義とは理想を名誉に置き、生命を手段とし、主君の明知と良心に訴えることである。

教育訓練

武士の教育の第一は品性におかれ、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えたる鼎足は智仁勇で、本質的に行動に求められた。
哲学と文学とは彼の知育の主要部分を形成した。
封建時代の戦争は科学的性格をもって行われなかったこと、武士の教育全体が数学的観念を養成するに適しなかったという。
武士の徳たる名誉心は、利益を得て汚名をきるより損失を選んだ。
節約は経済的理由によるものではなく、克己の訓練の目的より出てきた。
従って、武士道では理財の道を卑しきものとした。それは教育の主目的が品性の確立にあったから
仕事とは、価格で測られるものではないことを武士は信じた。
そのに真正なる教訓を見出した。金銭で測ることのできない師は武士の生きたる模範であった。

克己  

他人を煩わせない、思いやるところに克己が要求された。
高尚な徳である克己も頑固を生み、偽善を培い、情感を鈍らすことがある。

自殺及び仇討ちの制度

「真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり」。生死の問題ではなく、義に殉ずることが求められる。
真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり、これがために死を招くも決して不名誉ではない。これに反し天の与えんとするものを回避するための死は全く卑怯である!サー・トーマス・ブラウンの奇書「医道宗教」の中に、わが武士道が繰り返して教えたるところと全く軌を一にせる語がある。それを引用すれば、「死を論ずるは勇気の行為である、しかしながら生が死よりもなお恐ろしき場合には、あえて生くることこそ真の勇気である」と。十七世紀の一名僧が諷して言える言に――「平生如何ほど口巧者に言うとも死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり」と。また「ひとたび心の中にて死したるものには、真田の槍も為朝の矢も透らず」。
老子は怨みに報いるに徳をもってすと教えた。しかし正義(直)を持って恨みに奉ずべきことを教えたる孔子の声のほうがはるかに大であった。
復讐はただ目上の者若しくは恩人の為にのみ正当であった。

婦人の教育及び地位

奉仕の教義に関する限り、武士道は永遠の真理に基づいている。


自己犠牲の精神を生んだ武士道を旧来の習慣として廃すべきとする軽率を戒め、かかる軽挙によって彼らの獲得する権利は、彼らが今日受け継いでいるところの柔和の性質、温順の動作の喪失を償うであろうかと疑問を呈する。
武士道の善悪の基準が西欧の基準と異なることを次のように言う。

武士道の感化

武士道は個人の純粋道徳であり、社会の安寧秩序を求めるものである。
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
斯くすれば斯くなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂(吉田松陰)
武士道は過渡的日本の指導原理になりうる。
“新日本の現在を建設しかつその将来の運命を達成せしむべき原動力”であるとする。
日本は自己の発意を持ってヨーロッパから文武の組織の方法を学び、それが今日までの成功をきたしたことを強調する。
その源泉は武士道であった。

武士道の将来

制度的基盤を失った武士道は自らも革新しなければならない。
ヨーロッパの経験と日本の経験との間における一の顕著なる差異は、ヨーロッパにありては騎士道は封建制度から乳離れしたる時、基督教会の養うところとなりて新たに寿命を伸ばしたるに反し、日本の於いては之を養育するに足るほどの大宗教がなかったことである。従って母制度たる封建制の去りたる時、武士道は孤児として残され、自ら赴く處に委せられた。現在の整備せる軍隊組織は之をその保護の下に置き得るであろう、併し吾人の知る如く現代の戦争は武士道の絶えざる成長に対して大なる余地を供しない。武士道の幼児に於いて之を哺育したりし神道は、それ自体既に老いた。支那古代の聖賢はベンサム・ミル型の知的成り上がり者によって取って代わられた。
ベンサム・ミル型の知的なものになっている。
武人の使命よりもさらに高く更に広い使命があるという


個人主義が道徳的要素たる資格において勢力を増すに従い、武士道はキリスト教と同じく、個人に焦点を当て、より広い範囲に適用することの必要性を説く。




0 件のコメント:

コメントを投稿