挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

「アラブの春」のゆくえ

「アラブの春」の根底にあるもの、それは、近代化精神を生んだプロテスタンティズム(勤勉さ)により、文化が矯正されていくことへの反抗ではないか。
「アラブの春」の背景にはキリスト教とイスラム教の間にはレコンキスタに象徴される歴史的な対立がある。アラブは十字軍を破り、中世、アラブは世界の中心として圧倒的な力を誇っていた。
アラブはキリスト教徒をヨーロッパの辺境に封じ込めた。
ヨーロッパ(キリスト教徒)は1492年のグラナダ陥落により、レコンキスタが終わる迄暗黒の時代を迎えることになった。
アラブの圧倒的な力が、その力に対抗しようとした精神が、今日のヨーロッパを生んだと謂われる。
アラブにはヨーロッパを育てた誇りがある。
それを無視して、現今のアラブの動向を「アラブの春」と呼び、民主化の流れ、近代化への気運の高まりと捉え、社会改革へとつながるものと期待するのは手前勝手な見方である。
塩野氏の史観を援用しながら、「アラブの春」の深層を開明してみたい。
最近の動向はこちらから

地中海の南側を眺めながら   (『日本人へ』塩野七生著より)

北アフリカから中東にかけての、イスラム世界全体が騒然としている。
二〇一一年二月末の今現在はっきりしているのは、エジプトとチュニジアではいずれも三〇年、二〇年と長期にわたって絶対権力を行使して来た大統領が失脚し、一方リビアでは、四〇年もの間の独裁者が徹底制圧を宣言して居坐っていることと、それ以外にも西はモロッコから東はバーレンに至るまでの国々で、今なお反政府運動が続いているということだけである。
発端はチュニジアで、職がなくて屋台で野菜を売って生活してきた若者がその屋台を没収され、絶望して焼身自殺をしたことから始まった。そしてこのニュースが、IT時代とて瞬く間に西に東にと広まったことから反政府運動が燃え上がったのだが、一週間という短期間にもかかわらず、その広がりと強さは、誓っていうが、欧米の事情通でも誰一人予測していなかったと思う。
ローマからだとチュニジアにもリビアにも、飛行機に乗れば一時間で着ける。それゆえイタリアでは強い関心、というより強い心配、で事態の成り行きを見守っているのだが、私個人としても深く考えさせられたのだった。
なぜなら、ここ数年の私は、イスラム世界と向き合っているからである。「ローマ人の物語」で古代を書いた後に中世に入ったのだが、かってのローマ世界も中世にはいると、地中海を挟んで北側に位置するキリスト教世界と、南側に広がるイスラム世界に二分されるからで、ヨーロッパの、中でも南ヨーロッパの中世時代を書くとなると、イスラム世界を無視することは許されないからだ。
その最初の作品になる「ローマなき後の地中海世界』では、「右手に剣、左手にコーラン」のスローガンをかかげ、一千年もの長きにわたって南欧を荒らし続けたイスラムの海賊と、それへの防衛のために海軍を創設し、それによって増強した船と人を、海賊相手だけでなく交易にも活用することで経済的にも大を成していった、アマルフィやピサやジェノヴァやヴェネティアの男たちを書いたのだった。
なぜ一方では、交易によって富を得る方向に早くも進んだのに、他の一方はその間も、相変わらず海賊を続けていたのか。
この問いに対しては、双方の輸出と輸入の品の比較が答えの一つにはなった。海賊相手のチャンバラは続けながらもその海賊の同朋との交易にも励んでいたのがあの時代のイタリア人だったが、彼らが北アフリカに売っていたのは手工業製品で、今風に言えば物づくりの成果である。
一方、北アフリカから輸入していたのは、今ならば石油や天然ガスとくるところだが、中世ではサハラ砂漠を越えて運ばれて来ていた、中央アフリカの金鉱で産する「金」だった。つまり、一千年昔でも北アフリカの輸出品は、天然資源であったのだ。いかに高価でも天然資源を輸出するだけでは全員を食べさせるには十分でなく、ゆえに海賊業も続けるしかなかったのかも知れなかった。
ちなみに、地中海から海賊が姿を消すのは十九世紀に入ってからで、西欧諸国が北アフリカの国々を植民地化して以後のことである。ヨーロッパ人の方に、法を守る精神が強かったのではない。本音は、本国と植民地の間を行き来する船が海賊に襲われるのでは困る、に過ぎなかったのだが、結果としては地中海からの海賊の追放には役立ったのである。今ではヨーロッパ人は、海賊と聞けば、ソマリア沖の事かと思っている。
中世の海賊に次いで私が手掛けたのが、同じく中世に起こった十字軍であった。こちらの方は「右手に剣、左手に聖書」という感じで、キリスト教徒の方が中近東に攻め込んだのである。未だ最終巻は執筆途中だが、ここでも私を考え込ませる問題は尽きない。
その一つが、十字軍は結局キリスト教側の敗北で終わったのだが、それ以降は、勝ったにかかわらずイスラム側は停滞し、破れたキリスト教側の方が繁栄の道をたどるのはなぜか、である。
この場合は前作の時と違って、交易商品の種類の違いはさして参考にならない。当時の中近東はイスラム世界の中心で、生産する品の質はヨーロッパより優れていた。ゆえに問題は、優れた製品とその値でも買える購買層が広い範囲で確立していたか否か、ではないかと考えている。それがイスラム世界では広い範囲では確立していなかったのではないか、と。
一方、ヨーロッパでは、フィレンチェやヴェネティアのように共和体の都市国家が台頭してくる。土地に経済基盤を持たない、自分自身の頭と手だけが頼りの人々が集まって、できた国なので、生産する中流階級が主力を占め、それによって経済力も向上する。優れた工業製品でも優れた芸術品でも、こうして内需が保証されることで、より広い購買層の確立に繫がり、それが、十字軍の終焉から百年も経ずして始まる、ルネサンス、つまり「ヨーロッパの時代」につながっていったのではないか、と。
民主政体は、安定した中産階級のないところには確立しない、といわれる。ならば、圧政者の追放には成功しても、自らの意志で生産に励む健全な中産階級が確立していない社会に、民主的な政体は根付くことができるのか。イラクでもアフガニスタンでも成功しなかった。それが、エジプトやリビアやチュニジアだと成功できるのだろうか。私には、圧政者を追放した後のこれらの国が、それ以前の部族社会に戻ってしまうのではないかという気がしてならない。それと共に、部族社会こそがテロリズムの温床であったことも思い起こしながら。


さらに、塩野氏は次の項で、「アラブの春」への対処の仕方を示唆している。

夏に思ったこと   (『日本人へ』塩野七生著より)

私自身は、それ一筋とでもいうように、西洋の歴史を書き続けている。ただし執筆中は、現代に生きる日本人に教訓を与えるなどという考えはまったくない。
そのような考えをもつとそれに使えそうな史実にばかり注意が向くようになるので、そうなっては歴史の全体像が描けなくなってしまうからである。というわけで、歴史物語執筆中の私の頭の中は完全な白紙。
それなのに、読んでくれた中でも少なくない数の人が、昔の話を読んでいるのに現代を考えさせられる、という。それは私に特別な才能があるからではなくて、歴史とは、形態は変わったにしろ繰り返すということではないか。でなければ、人間とは、本質的なところでは一向に進歩しない存在である、ということかも。
『ローマ人の物語』の第三巻を「勝者の混迷」と名付けたのは、あれを準備していた頃の日本ではバブルがはじけた直後だったからで、この巻の内容は、カルタゴに勝利した後のローマを襲った混迷状態。日本も、経済上にしろ勝者だった。
とはいえ、日本の混迷がその後二十年も続くとは想像もしていなかったが、古代のローマでも、いかに時間がゆっくりと経つ時代とはいえ、混迷から抜け出せたのは百年も過ぎてからだった。混迷からの脱出は、いつでも誰にとってもむつかしいのである。それも、敗者ではなくて勝者を襲った混迷はなおのこと
『ローマ亡き後の地中海世界』で書きたかったのは、北アフリカに住むイスラム教徒と南ヨーロッパのキリスト教徒の、地中海を舞台にしての対決であった。
だがこれは同時に、北アフリカから襲って来る海賊と、それから守るためにイタリアの海洋都市国家、ヴェネツィアやジェノヴァやピサが作り上げた海軍、との対決の歴史でもあったのだ。そして、食べていけないために海賊をやるしかない民族と、手工業や通商で食べていけるので海賊をしなくてもよい民族との、対決でもあったのである。
当時は黄金や大理石という天然資源の輸出国であった北アフリカでは、自国民に「職」を保証できる社会をつくることまではできなかった。一方、製造立国であり交易立国であったイタリアは、住む人々に「職」を保証できたのだ。
幸いにも今では、地中海からは海賊は姿を消している。が、ソマリア沖には出没する。そして、あれを書き終えた今ならば言えそうだ。
海賊という現象は、貧しい者が豊かな他者を襲って奪う、のではなく、「職」を保証できない国に生まれた人間が、、保証できる国に生まれた者を襲う現象である、と。
あの時代からは五百年は過ぎている二十一世紀の今、海賊は襲っては来なくなったが、難民は来る。それも、これだけは昔と同じに、地中海が穏やかで風が北に向かって吹く夏に押し寄せる。
ジャスミン革命を起こしたのになぜ、と思うくらいに、今やシリアからもエジプトからも、リビアからもチュニジアからも来るのだ。地中海の中央に突き出した形のイタリアは、それを一身に受けて悲鳴を上げている。難民たちは武器は持っていなくてもケータイは持っているので仲間内の連絡はでき、収容所内で暴動が起きるたびにイタリア当局は、非人間的な待遇をしているからだと、国連の難民救済機関から非難されている。
非難されてもイタリアは、どうしようもない。自国民にさえも「職」を保証できなくなっているのだから。
「十字軍物語]で書いたのは二百年にわたる十字軍の歴史だが、大昔の侵略戦争と思うのか、日本では専門に研究している人さえもいない。確かに十字軍は今では行われないが、イェルサレムとパレスティーナをめぐる争いは終わったわけではない。
中世ではキリスト教対イスラム教の対立であったのが、現代ではユダヤ教徒イスラム教の対立になっているだけである。それも、今の方が対立状態は激化している。
なぜなら、ルネサンスと啓蒙主義を経ることでバランス感覚の有効さを学んだキリスト教徒に対し、イスラム教徒もユダヤ教徒も、ルネサンスも啓蒙主義も経験していない。ということは互いにプリンシプルに拠って立ち、ゆえに相手に譲歩しようとはしないので、解決には遠くなる一方というわけだ。
もしもパレスティーナ問題の当事者が十字軍時代のようにキリスト教徒とイスラム教徒であったら、もっと前に解決していたのではないかと思ってしまう。プリンシプル、とは何やら素晴らしいもののように聴こえるが、縛られやすいという性質も持っているのだ。 
また、パレスティーナ問題は当事者間で解決すべき、という言葉をよく耳にするが、私には、大国の逃げ口上に聴こえる。当事者ともなると、積み重なった憎悪や怨念から自由になるのが難しいので、それを乗り越えないと達せない解決には、意外にも不適なのだ。
ちなみに、二百年の十字軍史の中で最も長期にわたる共生を実現したのは、いずれもヨーロッパから遠征してきた非当事者の大国の王の二人で、二人とも過去のもろもろは忘れよう、という考え方で共通していたのだった。
今書いているのは、ヨーロッパ中世では最大の問題であった、宗教と政治をめぐる対立である。一日のノルマを果たすとテレビの部屋に移り、シリアやエジプトでの騒動を見ている毎日だ。何だろうと「アラー・アクバル」(アラーは偉大なり)と叫んでいるだけではどうにもしようがないな、と思いながら。
宗教はアヘンである、とまでは言わない。しかし、政治家は、失政をすると落選という形で責任を取らされるが、宗教者はお前たちの信心が足りなかったというだけで、責任は取らない。それで、信仰心が厚い人ほど、足りなかったと思って恐縮し、ますます神にすがることになる。つまり、狂信化する一方になる。
この思いで爆発しそうになっている国に、人道的という理由にしろ、暫くはかかわりを持たない方がよい。十字軍の再来と言われかねないからで、キリスト教国でもない日本は、静観していた方がよい。世界には、善意だけでは処理不可能な問題が多いのです。


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