現今の改竄、偽装、いじめの問題の解析を試みた。
また『顕著な心理障害はすべて「過剰規定」(多重規定)されたものである、という法則が精神医学にはある。』と本著はいう。
我々はしばしば「誤り」や「違い」を問題にするが、〈アヤマチ〉は〈「誤」チ〉ではなく、〈「過」チ〉と表記する。
過負荷、過積載、過剰がアヤマチなのである。
適応は問題ないが、過剰適応はアヤマチであり問題となる。
過剰に急速な進化、これもアヤマチになる。
"人の一生は重荷を負て、遠き道をゆくが如し、いそぐべからず”(家康)。
先人の言葉を噛みしめながら、この論考を進める。
適応は問題ないが、過剰適応はアヤマチであり問題となる。
過剰に急速な進化、これもアヤマチになる。
"人の一生は重荷を負て、遠き道をゆくが如し、いそぐべからず”(家康)。
先人の言葉を噛みしめながら、この論考を進める。
1.怠惰とナルシシズムが悪の根源である
栄光の国アメリカ、〈ベストアンドブライテスト〉によって統治されている国アメリカが「ソンミ村の虐殺」を行い、ベトナム戦争に敗退した。
そしてそうした共同作業システムは社会の《過剰なストレスによって生み出された》ものであるという。
6.悪を創り出す構図
『フクシマ』も、
栄光の国アメリカ、〈ベストアンドブライテスト〉によって統治されている国アメリカが「ソンミ村の虐殺」を行い、ベトナム戦争に敗退した。
- あらゆる人間の悪の根源が怠惰とナルシシズムにある、
- この自分にできる最善のことを怠るごとに、我々は、たとえ明白に法に反していない場合であっても、何らかの罪――神に対する罪、隣人あるいは自分自身に対する罪――を犯していることになる。
- 自分自身の罪悪感に耐えることを絶対的に拒否する
- 他人をスケープゴートにする
- 自分自身の中にある病を破壊すべきであるにも拘らず、彼らは他人を破壊しようとする。
2.怠惰とナルシシズムがソンミ村事件を起した
《強度のナルシシズムにとらわれた(つまり邪悪な)人間は、自己の完全性イメージを脅かす相手に対しては、だれかれお構いなしに攻撃をしかける。それと全く同じように一九六七年後半には、あらゆる集団が陥りがちな強度のナルシシズムにとらわれていたアメリカの軍組織が、本来ないはずの残忍性と欺瞞を以て、自己の尊厳を踏みにじられていたベトナム国民に攻撃をしかけたのである。》

- 虚偽とは、実際には、他人を欺くよりも自分自身を欺くこと
- 邪悪性とは罪の意識の欠如から生じるものではなく、罪の意識から逃れようとする気持ちから生じるものである
- 人間の悪の心理学的問題の中核をなしているのが、ある種のナルシシズム
- 悪性のナルシシズムの特徴としてあげられるのが、屈服することのない意志である
- これは、健全な自負心の一部となっているものであり、自尊心の現実的な感覚である
3.個人・集団・国家による共同作業
そして《それは個人・集団・国家による共同作業 》であったという。- 任務部隊の隊員全員が、それぞれの経歴や自己選択によって、また、米軍部およびアメリカ社会全体によって設けられている選別制度で選ばれ、一九六八年三月にソンミ村に送られたのである。決して、無作為に集められた男たちの集団ではない。パーカー任務部隊は、その任務だけでなく、そのユニークな構成からして、高度に専門化された集団だったのである。
- この隠蔽には異常なほど結束した加担――すなわち共同体的参加――が見られるため、バーカー任務部隊の隊員全員が「虚偽の人々」であったということができる。というより、今考えてみると、少なくともベトナム戦争当時のアメリカ国民全体が虚偽の人々であったと結論付けることができる。
- 六年もの間、我々アメリカ国民は、アメリカの一般大衆全体を大きく、直接的に巻き込むことなく、あの比較的大規模な戦争を行うに十分な数の専門化された殺し屋を雇っていたという事実である。
4.過剰なストレスによって生み出された

- 邪悪な人たちの特徴となっているある種のナルシシズムは、特に意志に影響を及ぼしている
- フロムは、人間の悪の根源を進行的プロセスであるとみている。
5.人間は進化と退化の狭間を生きる
ベストアンドブライテストであっても退行する。
退行すると現実に正対することができなくなるのである。
退行すると現実に正対することができなくなるのである。
- ストレスとは善の試金石
- 高潔さとは、状況の悪化に反応して退行することなく、苦痛に直面して感覚を鈍らせることなく、苦悩に耐え、しかもそれによって影響を受けることのない能力である
- 人間の偉大さを測る尺度の一つが――そしておそらくは最良の尺度と思われるのが――苦しみに耐える能力である
6.悪を創り出す構図
- 大半の人たちは、リーダーとなるよりはむしろ追随者となることを好むという事実である。
- これは、何よりもまず、怠惰の問題として考えることができる。
- ナルシシズムの利用は――無意識のものであろうと意図的なものであろうと――潜在的に邪悪なものである。
- 邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物あるいはすべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって内省や罪の意識を逃れようとする。
『スタップ問題』も
- 邪悪な人間が何らかの形で攻撃的になるのは、自分が失敗した時である。
『フクシマ』も、
同様の構図で問題、悪の所在を確認できる。
7.近代化の宿命(選択の自由)
それは、科学信仰に基づく、近代化の宿命でもある。
それは、科学信仰に基づく、近代化の宿命でもある。
8.本能と切り離された
・専門化集団だからこそ、陥る罠
・専門化集団だからこそ、陥る罠
- 専門化集団というのは、いずれも、自己選択と集団選択の結果生まれた特殊な集団である。
- 第一に、専門化した集団は、必然的に、自己強化的な集団特性を身に着けるようになる。
- 第二に、したがって専門化した集団は、特にナルシシズムに傾きがちとなる。
- 第三に、社会全体が専門化された役割を実行する特殊なタイプの人間を雇い入れる
・科学者集団であっても 、陥る罠
- 決定的なスケープゴーティングが働いていた
- ラリーをいけにえとして捧げることによって、自分たちの地域社会を浄化しようとした
- 我々アメリカ人が、アメリカ社会が、意図的に彼らを選び、雇い、我々にとってはダーティーワーク、つまり汚れ仕事である殺しを、我々に代わって彼らにやらせたのである。
- 殺しを行わなければならないときには、それに伴う苦痛や苦悩を真正面から受け止めるべきである。さもないと、我々人間全体が、自分を自分の行動から隔離することによって邪悪なものになってしまう。なぜなら、悪というものは、自分自身の罪の意識を拒否することから生じるものだからである。
知的怠惰に陥るな
- 我々は知的怠惰から、科学的思考というものが趣味や好みと同様にその時の流行に左右されるものだ、ということを忘れ去っている。科学の権威筋が現在口にしている意見は、最新のものというだけであって、決して最終的、決定的なものではない。我々一般大衆は、自分の身の安全のためにも、科学者や科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、また、そうすべき責任を負っている。別の言い方をするならば、我々は、決して、自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないのである。これは厳しい要求かも知れないが、少なくとも善悪の問題について自分自身の判断を下し得る程度には、誰もが科学者となるべく努めるべきである。善悪の問題は、科学的考察の対象から除外するにはあまりにも重要な問題であるが、これを全面的に科学者の手に委ねるには、やはり、あまりにも大きな問題である。
- 悪の概念が科学者によって悪用されることを防ぐ最善のセーフガードとなるのが、科学を「科学的」なものに維持し、広く議論が奨励される民主的文化に根差したものに維持していくことである。
9.ストレス耐性の強化
社会を強化するためには、ストレスが必要である。
その社会を維持していくには、我々は〈ストレス耐性〉を強化しなければならない。
それは個人のリーダーシップ(浄化力)を高めることであり、
- ごく普通の職業軍人が、意識的にではないにしても無意識のうちに戦争を望み、待ち焦がれるのは当然のことである。戦争は彼らにとって充足の時である。自分の職業に伴う強力かつ必然的な心の偏向を克服し、平和のために働き、平和を論ずることができるのは、通常以上に高徳かつ精神的偉大さを備えた少数の軍人のみである。こうして稀に見る有徳の士、無名の英雄の出現はまず期待できない。それどころか、軍人というものは常に戦争を支持し、戦争の側に立つものである、ということを我々は十分に覚悟すべきである。
- 一九六八年当時のアメリカ合衆国軍はいやいやながらベトナムでの戦闘に加わっていたわけではない。この意実を考えてみれば、ここで言わんとしていることの意味がわかると思う。当時の職業軍人の間に広まっていたものの見方は、疑念や慎重さ、あるいは抑制を伴ったものではなかった。そこにあるのはただ熱狂のみである。
- 殺しをも含めてあらゆるものを容易かつ効率的に行うための機械、装置、設備に対する我々アメリカ社会全体の心酔が、軍に反映されていたということができる。
10.それは素養を磨くこと
覚悟する(素性を養う)ことを学習しなければならない。
〈ストレス耐性〉を強化することの重要性はフローベルの幼児教育理論等にも伺える。
幼児は遊戯を通して社会性を質す訓練をしているのだ。
武士道は〈臆病に習う〉ことによって、退行を防ぎ、自信と信頼 を高めることを説く。
仕合をすることによって、肉体の鍛錬を通して精神を仕合わせたのである。
11.量質転化の仕組み
善に傾くか、悪に傾くかは紙一重である。
メビウスの帯の不思議が、現実に混乱を起こしている?
メビウスの帯の不思議が、現実に混乱を起こしている?
12.利他的利己主義と利己的利他主義
《ごく普通の職業軍人が、意識的にではないにしても無意識のうちに戦争を望み、待ち焦がれるのは当然のことである。戦争は彼らにとって充足の時である。自分の職業に伴う強力かつ必然的な心の偏向を克服し、平和のために働き、平和を論ずることができるのは、通常以上に高徳かつ精神的偉大さを備えた少数の軍人のみである。こうして稀に見る有徳の士、無名の英雄の出現はまず期待できない。それどころか、軍人というものは常に戦争を支持し、戦争の側に立つものである、ということを我々は十分に覚悟すべきである。》ということにならないように、高潔の志を養い、士を育てる。
市民としての我々は、政府に「政府の仕事」をさせることで満足していたのである。国民を導くのはジョンソンの仕事であり、我々はそれに従うだけだ、というわけである。市民があまりにも無気力であったために、目覚めることができなかったのである。おまけに、我々アメリカ国民は、ジョンソンのテキサス魂的ナルシシズムを共有していた。アメリカの国家的姿勢や政策に間違いのあろうはずがない。我々の政府は自分のしていることを知っているはずだ。
いかにせん聖の高く呼びさます 声にも覚めぬ世の中の夢
悪とは人間の自由意志に必然的に伴う共存物であり、人間特有の選択力に対して我々人間が支払う代価である。
悪党とは
メビウスの帯のように多様な結果が生まれてくる。メビウスの帯の実験
思考停止は、思考が停止するまで、禁止される。自殺であるから。
天が教えるものは天地は一大活物であること
いかにせん聖の高く呼びさます 声にも覚めぬ世の中の夢
悪とは人間の自由意志に必然的に伴う共存物であり、人間特有の選択力に対して我々人間が支払う代価である。
悪党とは
我々人間の行う殺しは選択によるものである。
良心の分散管理に必要な信頼をどう構築できるかにかかっている
善悪の基準は、生死の基準を超えるものか?
良心の分散管理に必要な信頼をどう構築できるかにかかっている
善悪の基準は、生死の基準を超えるものか?
感覚と切り離された思考(営み)を理性という
我々は他人を見る時、どのように見るのであろう。
環視、監視、看視、観視、感視、勘視
立場、使用する道具によっても視る行為は異なったものになる。
メビウスの帯のように多様な結果が生まれてくる。メビウスの帯の実験
メビウスの帯
一回:二倍の長さのメビウスの帯 3分の1の幅で切ると大小二つのメビウスの帯?
二回:二つのメビウスの帯の和がつながった状態で
思考停止は、思考が停止するまで、禁止される。自殺であるから。
自殺が忌避されるのは思考・理論が成立しなくなるからである。
科学は疑似科学を否定する。科学を成り立たせるために。
人間は科学的に生きて居るわけではない。
科学は狭量である。科学が進化すればするだけ、疑似科学の圧力は強くなる。
疑似科学の名のもとに遅れてくるものを抹殺する。
野蛮・自然を抹殺、開拓することにより、科学的に整地する。
自由を許されている。
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