東日本大震災のほぼ半年前のことである。ザッケローニ・ジャパンは震災と共にあった、その活躍は復興を支え、復興への過大な期待を背負っていたように思われる。
その期待が、W杯5回連続出場を実現させたが、グループリーグ敗退によって打ち崩された。
しかもCグループ最下位で・・・。
一方で、与し易いと見ていたギリシヤはコートジボワールに勝ち、決勝リーグに進んだ。
対戦前には、ギリシヤチームの選手の待遇が喧伝され、チームの士気は低いはずであると・・・。そうした苦境の中で彼らは決勝リーグに進んだのである。イタリア、スペイン、ポルトガルと同様にEU危機の元凶と叩かれた国であった。イタリアもスペインもまたポルトガルも敗退した。
同じな皮算用を「2020年の東京五輪」に期待していないだろうか。
経済再生、復興に向けて壮大な皮算用がされているように思えてならない。
長谷部キャプテンが言ったように、「結果がすべて」の世界である。しかしそこで戦うには圧倒的な差があるのが現実で、この自覚・覚悟が必要なのである。基礎的身体能力には違い・特性がある。
ボルトが桐生に「17歳というのはこの先、長い競技生活が控えている。十分な時間をかけ、陸上を楽しむべきだ」とアドバイスしたという。
桐生、錦織の活躍には感動するが、同時に、故障棄権の心配が常に付きまとう。
この体質・素質を改善するにはハイブリッドしかない?
日本チームのメンバーは、海外組と国内組から構成されている。国際経験の豊富な海外組が選出される可能性が高いのは当然である。
卓球の世界を見てみると、中国の帰化選手がそれぞれの国の代表として、世界選手権を戦っている感がある。(技術が輸出され、現地生産を始め、その国のGDPを高める構造と同じである。)昔の国威発揚・掲揚とは異なっている。しかし、我々は国の威信をかけて観戦している。
オリンピック精神は、スポーツの祭典を謳い、国や民族については言明を避けている。「オリンピック競技大会は、個人種目若しくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(オリンピック憲章第9条)としているが、メディアによって国威発揚されていることは明らかである。
国威発揚の最高のシーンがこれだ(右図)。
楽しむことで素晴らしい姿を実現したのが日本人サポーターである。「勝って驕らず、負けて怯まず」美事!!、感動した。
皆が、皆でという連帯、〈サムライ〉精神の顕われ、誇らしく思った。
ザッケローニ監督は責任を取って辞任を表明した。
日本を去ることになる。有難う。お疲れ様。
しかし、我々、日本に残された者は、この結果を今後も背負うことになる。
宴は終わった。復興という現実に目を向けることが必要である。
原発で瀕死の日本が、経済再生でグローバルな経済戦争を続けることで、2020年に東京五輪で、決勝戦に駒を進めることができるのだろうか。
それよりも心配なのが、我々が約束した「おもてなし」を実現できるかである。
真に問われるのは、この約束である。華美で豪勢な〈おもてなし〉か、清楚で誠実な〈おもてなし〉か。
身の丈に合った、ゆとりを以った「日本らしさ」を実現したいものである。
長谷部キャプテンが言ったように、「結果がすべて」の世界である。しかしそこで戦うには圧倒的な差があるのが現実で、この自覚・覚悟が必要なのである。基礎的身体能力には違い・特性がある。
ボルトが桐生に「17歳というのはこの先、長い競技生活が控えている。十分な時間をかけ、陸上を楽しむべきだ」とアドバイスしたという。
桐生、錦織の活躍には感動するが、同時に、故障棄権の心配が常に付きまとう。
この体質・素質を改善するにはハイブリッドしかない?
日本チームのメンバーは、海外組と国内組から構成されている。国際経験の豊富な海外組が選出される可能性が高いのは当然である。
卓球の世界を見てみると、中国の帰化選手がそれぞれの国の代表として、世界選手権を戦っている感がある。(技術が輸出され、現地生産を始め、その国のGDPを高める構造と同じである。)昔の国威発揚・掲揚とは異なっている。しかし、我々は国の威信をかけて観戦している。

国威発揚の最高のシーンがこれだ(右図)。
楽しむことで素晴らしい姿を実現したのが日本人サポーターである。「勝って驕らず、負けて怯まず」美事!!、感動した。
皆が、皆でという連帯、〈サムライ〉精神の顕われ、誇らしく思った。
ザッケローニ監督は責任を取って辞任を表明した。
日本を去ることになる。有難う。お疲れ様。
しかし、我々、日本に残された者は、この結果を今後も背負うことになる。
宴は終わった。復興という現実に目を向けることが必要である。
原発で瀕死の日本が、経済再生でグローバルな経済戦争を続けることで、2020年に東京五輪で、決勝戦に駒を進めることができるのだろうか。
それよりも心配なのが、我々が約束した「おもてなし」を実現できるかである。
真に問われるのは、この約束である。華美で豪勢な〈おもてなし〉か、清楚で誠実な〈おもてなし〉か。
身の丈に合った、ゆとりを以った「日本らしさ」を実現したいものである。
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