挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年6月12日木曜日

無重力な思い

日経新聞「春秋」に次のような文章を見つけた。
《人の重心はへその辺りにある。貝原益軒の養生訓では命の根がある場所。ここに力がないと体を支えられない。活動に支障も出るそうだ。航空会社にもあてはまる。へそは安全運航と顧客満足のはず。再建できて初心を忘れ、位置が見えなくなっていないか。会社運営の原理を学び直さないと、業績で臍(ほぞ)をかむことになる。》
《アルキメデスの原理》が発見された逸話から、《日本航空のシステム障害では、重心が計算できず、178便が欠航、約1万4千人が迷惑した。》ことに触れ、貝原益軒の養生訓へと話が展開している。

広辞苑に拠れば、思う、想うの語幹は重いの語幹と同源かと謂う。
重力に逆らい立ちあがり、二足歩行するようになった人間にとって重さを感じることが思うことの始まりであったことを想像させる。二足歩行にはバランスを取ること、重心の移動が最重要課題であり、最初に学習しなければならないことの一つであった。
進化(脳の発達)の過程で重い⇒思いが深い関係にあったことは容易に推測される。
大切なものに重要という言葉をあてたのも、思うことと重さの関係を表しているのであろう。
相手を思うということは、相手の重さを感得することと考えてみてはどうだろう。
そしてこのことは、我々が重力に支えられた存在であることを改めて気づかせる。
快苦感情は重圧に依って、重圧から解放されることから生まれる。
重力などの環境要因によって思考も成り立っていると考えられる。
若し我々が無重力状態で育ったなら、〈おもい〉ではなく、異なるもの、例えば〈かるい〉と名付けられるようなものを身に付けたかもしれない。

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