挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年6月14日土曜日

不正を不正と認識せず

科学的思考では、「〈不正〉を正しいことを証明できなかった〈仮説〉に過ぎない。」とでも考えるのであろうか。擬装を単なる仮説の綻びと考えているかのようである。
『サイエンスカフェ:不正を不正と認識せず - 毎日新聞』は、
《STAP細胞の不正でも会見した研究者に明確な反省は感じられなかった。「不正を不正と認識しない」。その言葉が妙に説得力を持って聞こえる。》
という。改めて科学者の鈍感を思い知らされる。
促成栽培で、必要な素養が十分に育たないままに伸びてしまったモヤシがバランスを失っているように見える。
《大学にはさらに科学史や科学哲学の授業を課し、広い視野と責任感を持った人材を育ててほしい》と、その治療に当たって、歴史・哲学を課すことを提言する。
退行し、麻痺した科学者の感覚は、理性では治せないのであろう。
弁証法の登場である。


0 件のコメント:

コメントを投稿