余録:日米の安全保障関係を犬と飼い主に例えるのは… - 毎日新聞が
- 1966年3月18日の衆院外務委員会で、・・・いわゆる「番犬」発言である
- 第一に、日本(飼い主)が米国(番犬)に守ってもらっている。第二に、にもかかわらず、日本国民は後ろめたく感じていない(基地提供義務を果たしている)
- 山崎拓(やまさきたく)元自民党幹事長は「これまでとは異なる防衛政策の大転換だ」と強調する。
- 番犬の飼い主から警察犬へという180度の転換。
椎名外相の「番犬」発言を例に、立場が180度転換し、我々の祖国防衛の仕組みが変わると指摘する。
これは二つの事を考えさせる。
一つは、これまで「米国〈番犬〉の飼い主である」という誤解の上で行動していたこと。
二つには、これからは「米国〈飼い主〉の番犬として」、これまで築いてきた関係の上で役割だけを変えることができると考えていること。
これらに伴い、次のような問題が予想される
前者は、日米関係を歪んだものにしており、その代償が求められる。
後者は、まさに切実な問題である。想定外の事態が発生する。
立場役割が変わった時、本性が現れるものである。拙速であってはならない。
そこで留意しなければならないのが、アメリカ人の番犬に対する観方である。
イギリス流の犬の訓練は著名であるが、共通するものが底流にあると思われる。
俚諺に《狡兎死して走狗煮らる》とある。このことを我々は既に経験済みである。
『坂の上の雲』は日本人が近代化の走狗になったことを我々に告げている。
歴史が繰り返さないことを祈るばかりである。
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