挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年6月23日月曜日

分離すれば、統合が必要に

(社説)問題児の分離 「これで解決」ではなく:朝日新聞デジタル」は荒れる学校の問題解決が、これでいいのかと問いかける。その要旨は以下のとおりである。
  • 大阪市[1]教委が、授業妨害などの問題行動を繰り返す児童・生徒を学校から引き離し、1カ所に集めて指導する「特別教室」を設けることを決めた。
  • 「まじめにやろうとする生徒らがバカをみることはあってはならない」(橋下徹[2]市長)
  • 邪魔者のように追い払われたと受け止めれば、大人をうらむ気持ちが更生の妨げにならないか。
  • 何より、「悪い子」を分けることが、本当に「よい子」のためになるのだろうか。
  • 立ち直った「元問題児」が荒れる子の相談相手となっている学校がある。教員や警察のOBの出番かもしれない。
確かに分離だけでは解決しない。問題が起きた原因について何等触れていないのも問題である。
何時まで分離するのか、結局、最終的には統合の問題になる。
分離すればそれだけ、距離が拡がる。それは騒音と共に懸命の叫び声も届かない距離である。
結局、汚染水処理と同じパターンか?
当面の都合だけ考えた対応では、問題は拡大する。
隔離したら、いつ融合するのか、更生、復帰のプログラムが必要である。

要するに、この問題は、問題児だけによって引き起こされた問題なのか?
そうではなく、家庭環境、地域社会、学校制度等、問題児を取り巻く、人間関係、社会環境によって創りだされた構造的なものである。にも拘らず、それを特定の個人に押し付けるのは公平性に欠ける。
「まじめにやろうとする生徒らがバカをみることはあってはならない」というが、彼等は、苦しんでいる人を直視し、その叫びを聞くことを「馬鹿らしい」と感じる人間なのか。
教養はあっても、素養の足りない、そうした子供が多くなっていないか?要は早熟なのである。
人間は、他の動物と異なり、幼児期間が長い。それはそれだけの時間を必要とするということである。
にも拘らず、高度な幼児教育が、考え出され、挙って、天才を育てようと奮闘する。
促成栽培に陥るのである。問題児ができる仕組みなのではないか。
もしかしたら、問題児のように反応することが正常な人間の反応ではなかったか。
正常なものを問題児として切り離しては、後には異常しか残らない。
絶望するしかなくなってしまう。これは社会にとって由々しき問題なのです。

一つには、子供自らが考えることである
二つには、子供から問題解決の機会を奪わないこと。
三つには、子供同士の接触を多くすること。
子供に、自らの問題に取り組み解決する時間的ゆとりを与えること、これが大人の役割である。
最近、頓に、子供の世界に、大人が、自分の都合で、口を挟みすぎると感じている。

上掲の社説は「何より、「悪い子」を分けることが、本当に「よい子」のためになるのだろうか。」と問うているが、答えは、「なりません」です。
英語を使って恐縮だが、cureには、careが必要で、それにはwithでなければならないのです。
社説も「立ち直った「元問題児」が荒れる子の相談相手となっている学校がある。」とwithの必要を指摘するが、「教員や警察のOBの出番かもしれない。」とすぐに大人を動員するのは安易すぎないだろうか。「仲間」が要るのです。

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