挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年5月19日月曜日

平気でうそがつけるのは???

先に、「科学は技術を正せるか 本末転倒した分子生物学??」と題して投稿した。
ロバート・ゲラー氏の示唆に随い、「ご冗談でしょうファインマンさん」を読み、ファインマンの謂う科学者の良心なるもの、彼の誠実さに触れた。ファインマンは次のように語っている。

《われわれは長い歴史を通して、自分自身を欺かぬ心構え、つまり純粋な科学的良心を培ってきたというのに、私の知っている限りでは残念ながら特にこれを教える科目というものがない。ただ何となくこれを肌で感じ、心に滲み込ませることによって自分のものとしてくれることを、ひたすら念じているだけです。》
《ですから私が今日卒業生諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために心ならずもこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような幸運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。》

「ご冗談でしょうファインマンさん」の読後感については後日述べたい。
ここでは、今回の「STAP細胞問題」で最初に私の頭に浮かんだ『平気でうそをつく人たち』という著書を取り上げる。その中で、著者は次のように言う。

《我々は知的怠惰から、科学的思考というものが趣味や好みと同様にその時の流行に左右されるものだ、ということを忘れ去っている。科学の権威筋が現在口にしている意見は、最新のものというだけであって、決して最終的、決定的なものではない。我々一般大衆は、自分の身の安全のためにも、科学者や科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、また、そうすべき責任を負っている。別の言い方をするならば、我々は、決して、自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないのである。これは厳しい要求かも知れないが、少なくとも善悪の問題について自分自身の判断を下し得る程度には、誰もが科学者となるべく努めるべきである。善悪の問題は、科学的考察の対象から除外するにはあまりにも重要な問題であるが、これを全面的に科学者の手に委ねるには、やはり、あまりにも大きな問題である》

この著はわれわれの科学信仰に対する警告の書であると思う。我々が民主主義なるものを知り、リーダーシップなるものを知った時、それを実現する責任は一人一人にあるということである。
今日の社会的混迷は、自業自得、我々自身が創り出しているものだということである。

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