挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年5月13日火曜日

体現するとは

クローズアップ2014:ザック哲学、海外組体現 最多12人、W杯日本代表 毎日新聞5月13日

体現の文字が躍る。〈体現〉の条件は何か。
〈体現〉を阻んだものは、何か。サッカーにもガラパゴス化はあるのだろうか。

◇野心的な姿勢、浸透
  • 相手に合わせるのではなく「攻撃サッカー」を貫くメッセージを打ち出した。
  • 一人一人、すべての技術を向上させる必要がある。若手はもっと海外に出るべきだ
  • 野心的な「攻め」の姿勢が、浸透しつつある。
  • 経験を糧にした海外組の活躍を当てにする。
  • 代表監督もグローバルな視点で選ぶ必要性を痛感。
◇目標達成には高い壁
  • 「まずは1次リーグ突破」と控えめだ。
  • ひとつの目安が「8強」。協会の14年度予算でも、W杯8強の賞金1400万ドル(約14億円)を収入として計上している。
  • 8強の前には高い壁がそびえる。
攻撃力を増すためには対抗心、個の強さを高めることが必要だ。そのためには野心が重要となる。
異質な海外経験がチームの和を強めるというのだ。
先ず個人が生命力を高めることであろう。個人の闘志がチームに火をつける。素養を磨くことだ。
教養が文明を生きる力とすれば、素養は野蛮を生きる力と対置できる。
教養が社会活力とすれば、素養は自然活力となる。
教養をつけても、素養はみがけない。
素養は粗野、野心と結びつく。心身を野に置く事によって身に付くものである。
教養が意識を高めるものならば、素養は無意識を高めるものと言える。
教養が理性ならば、素養は本能である。
闘志を燃やすのは情念、本能である。闘志は本性・素性を現わすことなのだ。
体現するには、野心を抱き、闘志を燃やすことが必要なのだ。そのフィールド(野)が心を耕すのである。

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