高齢者の健康管理が特に話題に上る。
高齢者の健康の基準をどこに置くかで健康の捉え方は変わる。
「心臓は、24・5歳ころの生活状態、運動量、食事の摂取量等を基準に構造化される。従って、その当時の生活状態からの変化が、血圧やコレステロール値として現れることになる」という。
つまり、われわれの無意識の感覚では、身体的に完成し、成人となる年齢と成る24・5歳で最高の装備を完了した時、その状態を健康の原点と感覚するといえる。
ということは、その最高状態から、年齢を重ねるにつれ、徐々に健康は損なわれていくものである。
つまり、健康の基準を原点(24・5歳)においたままでは、それ以降の人生は、ずっと不健康ということになる。先ず、年齢に応じた健康感を持つことが必要になる。
問題は、21世紀に入り、未知の高齢社会を体験することになった人類には、まだ70代、80代の人の持つ健康感に対する常識は確立されていない。未知の不安にさいなまれ、健康を害している人も多いのではないか。さらに豊かな人生を体験できるかもしれず、その際の健康感、健康の基準は全く異なるものになるかもしれない。
長い歴史の中で、夜昼の間断なく活動できるようになったのはごく最近の事である。それまでは我々の生活は星辰の運行と同期していた。夜は休むように体も習慣づけられていたのである。つまりいわゆる体内時計は星辰の運行と同期していた。いわゆるバイオリズムなるものの根源である。
「体内時計により、生体リズムは刻まれ、健康は管理されている」と仮定して、健康について考える。
現代社会は、星辰の運行を基準とする天文時計ではなく原子時計を原基として使用している。
そこで、まず理解しなければならないのは、月の運行、潮の干満に影響された「健康感」をわれわれは喪失したことであり、そして新たな「健康感」を創造していることである。
にも拘らず、われわれは古い概念を抜け切れず、その上で成立した言葉を使って、健康を語っているということ、それが新しい現実を表象するには不適当であるにも拘らず、不用意に適用、つまり誤用しているのである。そこでは、古い概念の上に新しい現実が組み立てられているのである。
そして、結論的にいえば、健康感は、教えられ、与えらえるものになっているということである。
健康感すらも、主体的に感じ取るものではなく、従うものになったのである。
生活習慣病が起きるのは、「現代生活が定着させた習慣に従って生活すること、つまり現代生活に適応した結果、病気になる」ということで、「適応が一方で不適応を生む」という矛盾が起きている。
外的生活習慣と内的生活習慣がアンバランスになり、ストレスが溜まり、脂肪、コレステロールが増加したり、血圧が異常を示すのである。
これまでは生活習慣を維持することが健康の秘訣であったが、社会が豊かになったことで、生活習慣を維持することが、健康体を維持するに不適になったのが今日の社会である。
ここで、種も仕掛けもある手品が行われることになる。
現代生活が生活習慣を変え、生活習慣病を引き起こしている。ということは病気をなくすためには、生活習慣を身体に合わせて、改善するか、身体を生活習慣に合わせて改造するかである。
リバイブとサバイブ、どちらにも傾くことなく、リサーチすることが重要である。
時空間、時計の選択である。自分をどう位置付けるか。重心をどこに置くか。
「長生きだけど不健康、人類未到の難題にケアシフトの要請」を日経BIZGATEで見つけた。
以下に要点をまとめた。
- 人生最後の約10年は「不健康」
- 難問だからこそ、バックキャスティング思考
- 疾患パターンが変化、色あせる19世紀ドイツの医療モデル
- 慢性疾患持ちは、ケアとキュアをめぐる
- 日本的な「新しい資本主義」の要請
- 拡張される「健康」の意味
- 「人的資源」は「人的資本」へ、さらに健康人的資本主義
- 地域起点の「三方良し」社会イノベーション
体内時計と高齢化を考えて見るのも面白い、すでに下記のようなサイトもある。
日周体内時計は季節時計に四季を告げる
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