〈意思決定〉をキーワードとして、アラート検索し、〈意思決定〉に関するニュースを収集している。
7月6日の結果はこちらから
- インタビュー:みずほFG、意思決定に問題=大田・取締役会議長
- 倉敷中央病院が臨床意思決定支援システム活用=米ウォルターズ〔BW〕
- 「縦割りなくし意思決定を改革」みずほFG・大田議長
- クラウドサービスの強化・連携で迅速な意思決定・業務効率化に貢献
- 東大と軍事研究 岸信介内閣の下で日米安全保障条約の改定交渉が始まり、安保闘争が盛り上がった1959年、東大は当時の最高意思決定機関である評議会が「軍事研究は ...
そして最近頓に、「ICTによる意思決定支援システム」が喧伝されている。
しかし、「ICTによる意思決定支援システム」は、もろ刃の剣である。
そのメリットよりも、デメリットが表面化し、制御不能に陥っているのが今日的状況ではないか。
「理研」、然り、「医薬業界」、然り、である。
「意志決定」という表記は辞書にない。何故だろう。「意思決定」が正しい表記とされる。
〈意志決定〉を、「自由意志に基づく決定」と捉えると、それは主体的であり、主観的・絶対的なものであり、個人の〈意思決定〉が〈意志決定〉によるものであれば、その人の志向性、信念が反映される。一方、意思決定は客体的、つまり客観的・相対的である。
極論すれば、「意志決定を欠いた意思決定は結実しない」。
結実したように帳尻を合わせるところに擬装が生まれる。
〈意志決定〉を欠いた「意思決定」が不幸をつくっているように思える。
今日、ICTによるスマート社会は複雑な〈意思決定〉をスマートに行うことができると喧伝するが、要すれば、〈意志決定〉を、〈意思決定〉で代行するものであり、「意志決定=意思決定」とするのは個人の責任であると責任回避する。
〈意志〉と〈意思〉の乖離ここに問題が生じているように思える。
つまり、われわれは〈自由意志〉を以って、〈意志決定〉を行い、民主主義により、社会的意思決定に参加し、〈社会的意志〉を創り出す。〈自由意志〉をもった個人は、社会で生活するために〈社会的意志〉の実現に貢献することが求められ、貢献を約束する。それが労働契約である。契約に基づいて貢献に応じた代価を受け取るのである。
いわゆる「意思決定支援システム」において、
〈意思決定〉は、個人の自由意志に基づき、社会的意志を実現するために行われる。
今日の社会の急速な発展の原動力が欲望であることは否めないが、意志を意思に変え、身体的制約を超えることを可能にしたことにその一端があり、そしてそれが科学的思考の独走を許すことになったのではないかと考える。
問題は〈意志決定〉と〈意思決定〉が違うということであろう。
〈意志決定〉をせず、〈意思決定〉を行おうとするところにある。
「意思決定支援システム」がどんなに精緻であっても、個人的な〈意志〉が無ければ、社会的な〈意志〉を生み出すことはできない。意思決定支援システムは《GIGO》なのである。ICTによる「意思決定」支援システムは〈意志〉を拡大し、明確にすることができる増幅器に過ぎない。
しかし、どんなにわずかでも、〈意志〉が、入力されれば、それを拡大し、大きな〈意志〉、大義として、出力することはできる。
〈意志決定〉という表記がないことが〈意思決定〉の横暴を許すことになる。
〈意思〉が意識的であるとすれば、〈意志〉は無意識的なものに裏打ちされたものと考えられる。
詞は感覚を麻痺させる。退行現象を起こさせる一面を持つものである。
スローガンは一種の退行現象を起こさせる言葉であるともいえる。
念仏もそうである。思想もそうである。
思考停止して、一意専心、意識を無意識化する、そうした働きがある。
そして信念は体形化され、指向は体勢的に表現され、習慣化され、体系化する。
面白いサイトを見つけたので付記しておく。


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