挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2015年10月16日金曜日

またまた顕れた偽装

ここにきてまたもや三井不動産・旭化成、東洋ゴムの偽装問題が浮上してくることになった。
三井不動産・旭化成の偽造は、2005年の姉歯とヒューザーの耐震偽装問題を思い出させる。
東洋ゴムにおいては、これで三度目だという。なぜ、偽装を繰り返すのか。
東洋ゴム免震偽装、3つの教訓」は、

  • 既存のガバナンス制度の形骸化である。
  • 社内報告制度の不備である。
  • 「傍流事業」のリスク管理の不徹底だ。

を挙げている。
新体制で、改革に取り組む姿勢は見せたものの、偽装止めることはできなかった、「免震ゴム」から「防震ゴム」へと広がった。

目を海外に向ければ、EUの盟主であるドイツでは、インダストリー4.0革命の核であったVWが排ガス不正問題で破綻している。そこには共通する問題が潜んでいるのではないか。
ここで国内の問題に絞り、
ここでは、まず東洋ゴム、三井不動産・旭化成の偽装について、下記の新聞記事を参考に何が起きているのか、どう対応すればいいのか検討してみた。

検討結果はこちらに


2015年9月21日月曜日

「インターネット・パソコン塾」を用意した!

「今更、恥ずかしくて、聴けない」と困っているシニアも多いのではないか?

職場で、コンピュータには精通していると思っていたが、パソコンは、まったく違った環境で使われる。生活情報は多種多彩だ。
いろいろなアプリがあり、便利なようだが、なかなか操作に親しめない。なんだか、遅れていくようだ・・・、と。
そんなシニアのために、マイペースで、独り、楽しみながら、パソコン、インターネットに親しめるものを用意しました。

ここに、「インターネット・パソコン塾」があることが分かればいいのですが。
これをどう、問題を抱えているシニアに知らせるか、そこが問題ですがね。

2015年9月20日日曜日

憂うべき自治体のコミュニケーション実態の続報

国と自治体とのコミュニケーションの問題は危機管理上問題だと思う。
産経新聞は【産経抄】で、俺は聞いてない 忘れられた「ホウレンソウ」と取り上げ、
「県の対応は、彼らへの「情け」が感じられない。」と結ぶ。
データ処理は速くなっても、情報処理ができなくなっている。
データを情報にするのは、ひとの思いやりだ。

2015年9月18日金曜日

憂うべき自治体のコミュニケーション実態

しかし、「県は災害対策本部会議終了まで市に伝えず」、2000人体制の捜索が行われたのである。上記のNHKニュースによれば、実情は次のようである
県警察本部から14日午後5時ごろと午後8時ごろの2回にわたって県に連絡があったということです。その一方で、常総市に対して県は15日午前中に開かれた県災害対策本部の会議の終了後まで行方不明者の無事が確認されたことを連絡していませんでした。(中略) 51歳の女性は「名前を公表して情報提供を募れば、捜索にかける時間や労力を省くことができ、関係機関も災害復旧に力を入れることができたはずだ」と話していました。(中略)専門家は、「災害や危機があるたびに情報共有や役割分担の在り方が確立されていないケースが非常に多くなっている。国や県、市町村の3段階のレベルで情報をどのように共有していくのか、きちんと体制を構築していく必要がある」と指摘しています。
なんという無駄であろう。
先日、「異常気象で、質される常識!!」で、非常識が当たり前になっていることを憂いたばかりであった。こうして次々と実態が明らかになると、どこの、誰に解決を依頼すべきか、相談窓口がこの為体では。

難民のゆくえ

『難民について』続稿
難民問題で、欧州が揺れている。
各国の反応は(詳述はこちら):
受け入れを表明したドイツでも「(難民 世界と私たち)難民殺到、きしむ独 受け入れ一転、国境審査を再開」という状況である。欧州分裂の危機である。
難民危機が変える欧州の「政治力学」」だという。「政治力学」が変化したとき、EU統合の理想は、難民を包み、世界に拡がっていくか?ゆくえを考えてみた。


2015年9月15日火曜日

沖縄の人は「見えない国民」か?

世界は今、「難民」問題で、そして日本は「辺野古」問題で揺れている。
メルケル首相は歴史的決断を行い、「『モラルと倫理の政治』は、ドイツと英仏間の格差を歴然とさせた」と言われている。
一方、日本では「翁長知事『沖縄の歴史、理解されず』 辺野古取り消し」という状況である。
「安保審議『尽くされず』75% 朝日新聞社世論調査:朝日新聞デジタル」とあるにも拘らず、審議不十分のまま、沖縄の現状をつくり出している「安保法制」は、今国会で成立する見込みだ。
沖縄の「基地」問題について、改めて考えてみた。

2015年9月12日土曜日

「東日本集中豪雨」が明けた

「東日本集中豪雨」がやっとあけた。
今回、「線状降水帯」という新しい用語を知るとともに、「自然の脅威」と「社会の脆弱性」を思い知らされた。
異常気象で新しい用語が次々と溢れ出てくる。しかし、それを理解し、正しく対応で来るか、適応の問題が浮き彫りにされた。「決壊することはない」と想われた一級河川の堤防が決壊した。
次々と新しいことを企画することに忙しく、計画通りに事が進んでいないのである。
実態を伴わない成長は必ず破綻するのだ。
多くの問題は、産物の中に組み込まれたままである。
そうした問題はいつか必ず露顕するのである。
現在、こうして溢れ出てきているものの中で最も急激なものが「難民」だ。
現時点の集計結果は次の通りだ。
(1)欧州に中東やアフリカから難民や移民が押し寄せている問題は国連も乗り出し国際的な課題となっています。あなたは日本政府がどのように対応すべきだと考えますか
   A.全面的に受け入れるべきだ                 12.7%
   B.難民申請の中身を精査して一部を受け入れるべきだ 51.2%

(2)日本にも難民申請が中東やアジアから来ていますが、実際の認定は極めて少なく、昨年では5000人の申請者に対し11人でした。日本は今後、難民政策をどのようにすべきだと考えますか
   A.門戸を広げるべきだ 51.5%
   B.現状のままでいい  31.4%
「大道すたれて仁義あり」という。「やさしい心」を取り戻したい。

2015年9月11日金曜日

異常気象で、質される常識!!

質問なるほドリ:特別警報 どんな時に?=回答・山本将克 - 毎日新聞」は、
我々の常識を変化させなければならないことを警告する。
昨日、茨城県で洪水が発生した。今朝は、宮城県で川が氾濫している。
「五〇年に一度」とか、これまでの常識では対応できないものである。
その様子はこちらにクリップした。
我が家の近隣でも、避難情報が出された。
「何時非難するか」皆で相談したという。
避難情報をどう判断するか、また情報の種類とその対応について、正しく理解することが求められている。想定外のことが起きているので、想定外を想定し、非日常を常識として生きることが求められている。

2015年9月10日木曜日

「難民」再考

9月4日、『露大統領、移民危機は「欧州の中東政策の結果」』と伝えた。その要旨は次のものだ。
  • プーチン大統領は、欧州の中東・北アフリカ政策について「地域の歴史的、宗教的、国民的、文化的な特徴を無視した彼ら(欧州)の基準の押し付けだ」と厳しく批判した。
  • さらにプーチン大統領は「これはもともと米国のやり方だ」と述べ、「米国の命令に盲従している」と欧州を非難した。
  • また、米国のメディアが欧州に到着した移民たちについて偽善的な報道をしていると非難し、「一部の米国メディアが、欧州が移民に残酷すぎると批判しているのを見て、私は仰天している」と語った。
これで、籍を切ったように、欧州諸国の「難民」に対する姿勢が鮮明になってきた。
  • 難民問題に臨んでメルケル首相が行なった歴史的決断
    「モラルと倫理の政治」は、ドイツと英仏間の格差を歴然とさせた
    2015年9月5日の早朝、独首相のアンゲラ・メルケルは、隣国オーストリアとともに、ハンガリーで足止めを食っていたシリアやアフガニスタンなどからの難民を入国させる方針を発表した
欧州各国の対応が大きく異なるのである。「『モラルと倫理の政治』は、ドイツと英仏間の格差を歴然とさせた」という。ニュージーランドやオーストラリアなども受け入れを表明した。
これまで最も移民や難民の受け入れに寛容であったアメリカは及び腰だという。
『難民について その3』では、各国の反応をまとめ、日本の立ち位置を確認する。
そして『難民について その4』で、今、我々が為すべきことをまとめたい。

2015年9月6日日曜日

急増する難民は他人ごとではない

もう一つの欧州危機、年60万人の難民」、また「世界の難民・避難民6千万人 積極的平和主義の安倍政権 受け入れ貢献度は世界100位以下」だという。
《2011年の「アラブの春」を引き金に、国家が破綻(リビア、シリア)したり、混乱(エジプト、チュニジアなど)したりして、国境管理が利かない状況になった。》ことを引き金に、欧州に押し寄せる難民の数は、「年60万人」に達するという。欧州統合の理念である「通行の自由」は難民によって強奪されようとしている。
《日本は、ヨーロッパの難民問題を遠い国の出来事と捉えずに、先進各国とともに手を差し伸べ、国際社会における責任を果たすべきではないだろうか》と問われている。

2015年9月2日水曜日

なぜ有名メディアの買収劇が起こっているのか

なぜ有名メディアの買収劇が起こっているのか」は、「メディア」がITに絡め取られていくことを暗示する。
《ニュースの変化の全体像を見て、私たちと「ニュース」の関係にどんな影響が及ぼうとしているのかを考える。》
「スマホがニュースの受け取り方を変えた」。
《2000年に約5370万部だった新聞発行部数は、14年には4536万部に落ち込んでいる》。
「日経のFT買収劇」に象徴されるように、
《ニュースを配信する側の新聞社や雑誌社でも大きな動きが相次いでいる》。 
《17年には電子版の売上高が紙を上回ると予想されるほど、電子版の普及は進んでいる。日経の目的は、FTというブランドに加え、このノウハウの獲得だったという見方もある。》
ウェブサービスの世界では「利用者100万人が一つの試金石」とされている。

《米国には、アップルやグーグル、フェイスブックといった巨大なITプラットフォーマー(運営事業者)が存在しているが、これら企業のニュースへの取り組みも注目しておく必要がある。》のだ。
メディアの今後の動向の鍵を握るのは、ITプラットフォーマーだ。先進技術が、メディアの姿を変える。ITを批判する力は弱くなれば、深刻化する『脳内汚染』を削減する力は働きにくい。
しかも用語として、米語が主流となり、流通量・適用範囲共に拡大する。相対的に、日本語の流通量・適用範囲は限定されていく。
メディアと日本・日本人の将来についてまとめてみた。

2015年8月18日火曜日

待つこと 『暴走老人!』を読んで

高度情報社会は、少子高齢化社会で、成長力が低下し、高福祉低負担の社会保障制度を維持することが難しく、想定外の低福祉・高負担の社会環境の下に生活することになった。

現役時代に描いていた老後と現役を離れた実際の老後のギャップに老人は戸惑っていると『暴走老人!』はいう。社会環境の変化は急で、「500年の変化が50年で押しよせた」といわれるほどなのだ。

「時間」「空間」「感情」

それに伴い、「時間」「空間」および「感情」秩序も急激に変化している。
その変化が受容できる閾値を超えたとき、暴走老人が顕れた。
暴走する社会が生み出すのは、「暴走老人」だけではない。暴走する若者も生み出している。

暴走する社会は、適応不能と共に過剰適応の問題を生じさせる。
社会空間、社会時間、社会感情によって、人は秩序化され、育成されている。
暴走老人の出現は、「目に見えない制度やルールによって新たな秩序が構築されている」ことを示唆する。

バーチャル秩序である。バーチャル秩序は明文化されない。暗黙知なのである。
それは透明性をクリアした、公明正大なものとして、市民権を得て、社会基盤の中に組み込まれていく。
『暴走老人!』は一つの例を挙げる。
ジョージ・リッツアは『マグロナルド化する社会』(早稲田大学出版部)で、ファストフード店が社会にもたらしたさまざまな変化について、次のように述べている。
ハンバーガーを求めて一列に並んでいる客たちやドライブスルーのラインに並んで待っている客たち、そして食品を作っている従業員たちがしばしば感じているのは、自分自身が作業ラインの一部になっているという感覚である。(中略)
こうした気持ちが強いと、自分の前で財布を覗きながら一向に支払いを終えようとしない高齢者などがいた場合、苛立ちのもとになりかねない。その高齢者をラインを乱す出来の悪い部品のように感じる人がいても不思議ではないだろう。(中略)
だがそうした場面では、私たちは他者に思いやりのある理解者としてではなく、時として敵対者となる。一番の問題はここにある。スムーズな流れが支障をきたすとき、多くの客がラインを動かす立場をとり、ラインそのものと化して、不揃いの部品を排斥するような情動を覚え、行動する。しかも無意識のうちに。
顧客と店の協業によって成り立つシステム。
顧客も店も社会システムを構成する要素なのだ。

「待つ」という事

生活が「待つ」から「待たされる」へシフトし、「待つこと」を意識し始めた二〇世紀は、「待つこと」を無駄として排除し、「待つことの出来ない人間」を創り出した。

待つことは、身体に訊くことにであり、体調を整える、体勢準備期間である。
身の回り、感情を整えるための期間なのである。その期間に、微妙な器官・機関・基幹調整が行われ、体勢が整えられるのだ。それは空間秩序・感情秩序を整えるための、非常に大切な時間なのである。
生命は、本来全体最適を志向する。「待つこと」によって、人はいろいろなことに気づくのである。その気づきが配慮として、奏効するのである。「期待」は、期(機)が熟すことを待つことにある、その期間が長ければ、期待も高まるのである。「待つこと」ができない人の期待は小さいものにならざるを得ない。「大志」を養育することはできないのである。
効率性・利便性を追求する社会は、社会的時間によって規制され、個人の身体的時間が無視される処に問題が生じる。

待つことができなくなった人は、心の余裕(豊かさ)を失った。
立ち止まって考えることもしない。思考停止状態、思考する時間を失っていることに気づかない。
認知症(認知障害・適応障害)が増加するのも当然の成り行きである。
国内外を問わず、多種多様な難民が増加しているのも社会革新の帰結である。

2015年7月30日木曜日

空飛ぶロボット、ドローンは、新たな脅威か

ICTの進化は目覚ましい。生活環境が急速に変化している。
「便利」という大義名文の元に、我々の生活領域は変えられている。
穏やかな朝であったのに、突然飛行機が飛び込んでくる。
生活が暗転するだけでなく、人生がそこで終わってしまう。
飛行機が墜ちることを忘れていた。そしてまた、安全が侵されていることを忘れていた。
「自律型人工知能兵器:開発禁止へ署名 研究者ら1万人以上 - 毎日新聞」の記事をクリップした。そこでは、《AI兵器を火薬と核兵器に次ぐ第3の革命と位置付け》ている。
ドローンが、そもそも第一次大戦のころから軍事的な研究がなされていたことを考えれば、AI兵器の登場は当然考えられることである。
さらに、《核兵器のように入手困難な原料なしで大量生産できる》という。同時に、生物化学兵器と合体させることは簡単なことであろう。
「非常に便利=非常に危険」ということを銘記すべきである。
予測と制御この二つが相俟って正しく機能させることができる。
リスク管理を適切にやることの出来る社会倫理の構築が喫緊の課題となったが、
今、”文系見直し”で起きていることは、社会倫理の構築を無視するものではないだろうか。

2015年7月28日火曜日

技術文明について

スイスイ郵便配達 スイスで試験開始、山岳地帯で効果」、「ドローンで人命救助訓練
等の記事を見ると、先端技術が、社会を変える素晴らしさを感じる。
さらに、タンザニア人にとってなぜケータイが必需品になったのか?等の記事を見れば、技術の力、恩恵には異論をはさむ余地はないように見える。
されど、先端技術は、軍事技術として開発されたものである事を忘れてはならない。
それは「変」の時を想定しての産物である。その技術を応用していることを忘れてはならない。
現在民生用に利用されている技術の中には既に昔日の軍事用技術を超えるものは多い。
それが軍事に転用される可能性は否定できないのである。
タンザニアの例ではないが、技術は、未開地の生活を劇的に変えていく。その影響力は先進諸国における比ではない。効果は抜群である。同時にその副作用も大きなものが予想されるのである。
技術移転には、相応の社会制度が必要になる。特にグローバルスタンダードの潮流の中ではそれに適合する仕組み・制度御構築が喫緊の課題となる。そのギャップが大きいほど投資が必要になり、先進諸国の格好の餌食となる。お為ごかしの開発援助のもとに、先進諸国が望むように、そ奥には開発、変装させられる。人々は、次々に流れ込んでくる豊かな生活物資に目を奪われ、生活様式を洋式に変化させ、潮流に適応することを喜ぶ。こうしてその国の文化は、歪められ、擬装されることになる。結果として、先進技術は、便利という名のもとに古来の文化・伝統を侵食・汚染していく。
それが進化であるとアメリカ文明は宣明する。極論であるが構図としてはそのように映る。
ドローンやロボットの導入は、我々の生活を劇的に変化させる。
得るものが多い代わりに、失うものが有る事を忘れてはならない。
我々の社会にはどのような変化をもたらすのであろうか。

2015年7月27日月曜日

事故が起きて初めて気づく障害

昨日、小型飛行機が住宅地に墜落した。以前から危険性が指摘されていた。
膨張するテリトリー感覚とその傍若無人な実践が招いた惨事である。
沖縄の「基地問題」がすぐに頭に浮かぶ。沖縄では、民間機ではなく、軍用機である、
アメリカニズム・プラグマティズムへの隷属、そこに問題の核心があるように思える。
基地問題をはじめとし、今領域・領海問題が各所に浮上している。境界に立てられるのが、防御柵であり、防衛基地である。
国(全体)と地方(部分)との関係が深まるにつれ、立場の違い、溝も深くなっていく。
自暴自棄になればハラスメントが起きる。
ハラスメントと言えば、権利意識高揚の反映か、「パタハラ」というのが現れた。
まさに「雨後の筍である。
権利意識の高揚の前に、「対等」「公正」「フェア」ということについて思慮を重ねたい。

2015年7月26日日曜日

鶴見俊輔氏の死を悼む

本当に偶然である。鶴見俊輔氏の名前を、改めて想起したのは、7月7日、手塚治虫の『時計仕掛けのリンゴ』を手にしたことによる。その中の一つ、「ペーター・キュンテルンの記録」の著作者が鶴見俊輔氏であるとの付記を見てである。
機械化する現代社会を想いながら、スタンリー・キューブリックが映画化した『時計仕掛けのオレンジ』というのがあったななど考え、手塚治虫氏に『時計仕掛けのリンゴ』なる作品があることを知った。そして早速手にしたわけである。
その後、吉見俊哉『親米と反米』で「鶴見良行という実践」を読み、親子二代すごいなと思っていた。
訃報を知り、その後の多くの追悼記事の中で、「東大が大っ嫌い」という記事を見て「親子三代」であることを知った。
《東大が嫌い。成績が一番のやつが徹底的に嫌い。哲学者鶴見俊輔さんの信条だ。父は東大出の政治家で、一番に執着した。鶴見さんの見るところ、一番の人間は状況次第で考えをころころ変えて恥とも思わない》には共感する人も多いのではないか。

2015年7月22日水曜日

国際障害者ピアノフェスティバル[7月22日(水)/東京文化会館]

今日は盛夏である。外村さんから誘われ、訪れることにした。

開場0時30分/1時から開会式・審査演奏/4時30分から特別ゲストによる演奏/7時から表彰式・受賞者演奏どのような場が現出され、どのような出会いが生まれるか、楽しみである。

2015年7月21日火曜日

東芝問題を通して日本企業の実態を見える化する

東芝問題が、コミュニティ事業から発覚し、成果主義の企業体質が、特にフクシマ後に起きていること
東電、東芝と東のつく企業に問題が集中する。
いずれも、戦後復興を実現し、高度成長を支えたエクセレントカンパニーであった。
「日米合作の大東亜共栄圏構想の綻びか?」と想ったのは、『親米と反米』を読んだせいかもしれない。
事業の選択・運営に於いて、本末転倒が起きている?起きるほどに疲弊していると言えるのかもしれない。
日本の企業・企業体質についてこちらに纏めた。今後を見守ることにしたい。

2015年7月19日日曜日

今朝、思ったこと

「読売新聞」の社説に、「『ゆう活』推進効率的に働いて残業を減らそう」というタイトルを見て思った。
「ゆう活」と「効率的」という言葉の併記に違和感を感じた。
私の中では、「ゆう活」という言葉からは、夕餉のひと時を家族と過ごす、ゆったりとしたイメージが浮かんだ。そこには、効率的に時間を消費するイメージはない。
「効率的に時間を過ごす」ということが、“今、ここにある”「豊かさ」を排除していると感じたからだ。
その中に「朝型勤務を広め、ずるずると長引きがちな夜間の残業を減らす」とあるように、生産性の高い時間をいかにして仕事に割り当てるか、そのための方策である。
生産性・効率重視の考え方に問題はないのだろうか。
生活の大半を、労働に費やし、労を癒す時間がなくなっている、とは言えないだろうか。
「ゆう活」という表現を目にした時、シニアの活性化、あるいは社会参画促進かと思った。
なぜなら、毎日新聞に、「人生は夕方から楽しくなる」という特集がある。その中の「夕」と結びついたからである。
「女性の社会参画」が喧伝されている程には、「シニアの社会参画」は求められていない。
なぜだろうか。
鍵は「効率的」という観念にあるように思える。その分母は、時間である。
また「能率的」という言葉もある。今日では、「能率」も「効率」も同じような意味合いで使用されている。「能率的」という言葉が、「時間」に絡め取られて、「時間」を分母にしてしまったように思える。
「時熟」という言葉がある。ハイデガーの用語らしい。難しいことは分らない。
感じ取れることは、人を分母に「時が実るを待つ」ということではないだろうか。


2015年7月17日金曜日

やっと、追いついてきた

今、「見える化」について、思案中である。
SSBCの立ち上げに、参与し、ここまで、多くの人たちと活動を共にした。
漸く、形になり始めた。
これまでの活動を要約するだけの経験を経たように思える。
活動の具体的なことは、
ブログ「SSBCスマートシニア・ビジネス・倶楽部」で詳細を伝えている。
このブログでは、それらの活動を、主観的かつ客観的に観照する。
こうして、3カ月ぶりに投稿できるのも、LCCマップがほぼ完成したことによる。
現在、利用可能なブログは、次のものである。
これらを活用し、バランスの取れた、情報を発信しながら、コミュニティを拡大したいと願っている。
そう考えながら、「慰安婦問題」など、韓国との間にある障壁を克服するには、「基地」「償い」ということについて、思考停止してはならないと思った。
そこで、「基地」について、思いを巡らし、「幹(みき)」にたどり着いた。そして、「みき」の由来は、「身木」ではないかと思い、辞書を引いたら、国語辞典にその用に書いてあった。感動であった。