「スイスイ郵便配達 スイスで試験開始、山岳地帯で効果」、「ドローンで人命救助訓練」
等の記事を見ると、先端技術が、社会を変える素晴らしさを感じる。
さらに、タンザニア人にとってなぜケータイが必需品になったのか?等の記事を見れば、技術の力、恩恵には異論をはさむ余地はないように見える。
されど、先端技術は、軍事技術として開発されたものである事を忘れてはならない。
それは「変」の時を想定しての産物である。その技術を応用していることを忘れてはならない。
現在民生用に利用されている技術の中には既に昔日の軍事用技術を超えるものは多い。
それが軍事に転用される可能性は否定できないのである。
タンザニアの例ではないが、技術は、未開地の生活を劇的に変えていく。その影響力は先進諸国における比ではない。効果は抜群である。同時にその副作用も大きなものが予想されるのである。
技術移転には、相応の社会制度が必要になる。特にグローバルスタンダードの潮流の中ではそれに適合する仕組み・制度御構築が喫緊の課題となる。そのギャップが大きいほど投資が必要になり、先進諸国の格好の餌食となる。お為ごかしの開発援助のもとに、先進諸国が望むように、そ奥には開発、変装させられる。人々は、次々に流れ込んでくる豊かな生活物資に目を奪われ、生活様式を洋式に変化させ、潮流に適応することを喜ぶ。こうしてその国の文化は、歪められ、擬装されることになる。結果として、先進技術は、便利という名のもとに古来の文化・伝統を侵食・汚染していく。
それが進化であるとアメリカ文明は宣明する。極論であるが構図としてはそのように映る。
ドローンやロボットの導入は、我々の生活を劇的に変化させる。
得るものが多い代わりに、失うものが有る事を忘れてはならない。
我々の社会にはどのような変化をもたらすのであろうか。
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