「袴田事件再審」と「STAP細胞」問題が奇しくも同じ時に起きた。
連想を逞しくして、その背後に日本型信念と西欧型信念形成の問題、言葉と魂の問題を考えてみた。
袴田氏はボクシング・チャンピオンという栄光のガウン(衣)を目指したが、法(論理)によって裁かれ、誇りを失った。
小保方氏は研究衣ではなく、割烹衣で、科学理論を愚弄したとして、博士号(誇り)を失った。
我々は性根あるいは根性を問題にする。身上、心情、信条、真情を汲み取り、真実を明らかにすること望み、そして憐れみを催し、惻隠の情を醸し出す。最後に、所謂大岡裁判に期待する。
法の裁きを超えて、温情、恩赦を期待する。併し、国際法の下では、弁論、言葉が優先する。
言葉は、言の葉、事の端と考えていた我々は、言葉よりもこころ、魂を大事にする。
「論理の限界」(矛盾あるいは破綻)を超えるところに魂の働きがあると考えるのだが・・・
「情報時代」「情報化」と喧伝されるが、《データのユニット化進む時代》、《ユニット化されたデータのこと》に過ぎないのであり、ビッグデータはあくまでもデータなのである。
袴田氏の魂を愚弄する権威の誇りとは・・・
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