挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年5月31日土曜日

いじめは共同謀議

長崎・中3自殺:一部同級生「みんな共犯者」 当日朝、教室で騒ぎに−−学校調査

「過負荷がアヤマチのもと」と題し、《怠惰とナルシシズム》がその元凶であること、それは社会的過負荷によって引き起される。その典型的なものとして「いじめ」があることを指摘した。
従って、「いじめ」は当事者は勿論であるが、われわれ一人一人が対決すべきことを回避することによって生み出されたものであるということである。冒頭の記事の中に
  『みんな共犯者だよ』と言っている生徒がいた
  『自分たちのいじめのせいで死んだ』と認識していることを示す重要な言動だ
とあるのは、ホンネは腐っていない証拠だ。
「いじめ」には必ず何らかの隠蔽がある。
隠蔽をつくる原因は、迷惑の意味の履き違えにある。
「船頭多くして船山に上る」を「力を合わせればどんなことでもできる」と解釈する間違いをどう質すか、過積載で沈没した韓国船はチームワークが悪いことになり、過積載をすること、法を犯すことが悪いことには至らない。
いじめの問題も、学校や生徒、父兄などの当事者のチームワークの問題として捉えるのではなく、
教育自体が過積載になり、生徒が狂気には知らざるを得ないほど、衝動的に行動する状況を教育システムが創り出している。と考えることはできないだろうか。

2014年5月30日金曜日

民主主義下の合従連衡、数の論理で、量質転換を目指す?

2010年4月に結党した「たちあがれ日本」に石原新太郎が参加し、2012年11月13日に「太陽の党」に改名、2012年11月17日、日本維新の会に合流し、翌年1月19日、橋本・石原の共同代表制に移行した。

◆石原氏、分党を表明「結いとの合流、合点いかない」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2901C_Z20C14A5000000/?n_cid=kobetsu

◆石原氏が会見「結いとの合体、賛成できない」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2901J_Z20C14A5000000/?n_cid=kobetsu

◆石原氏が新党結成へ 橋下氏側「維新の党名継承」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2900C_Z20C14A5MM0000/?n_cid=kobetsu

◆維新が分党を決定、石原新党に15~20人参加http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS29041_Z20C14A5MM8000/?n_cid=kobetsu

■蜜月2トップ「決別」 橋下氏・石原氏、維新分裂で会見
 http://news.asahi.com/c/afhYbo4VgAeo5yaz
またまた離婚騒動である。予想通りの離婚である。
「敵の敵は味方」の合従連衡であった。これからまた新たな婚約を結ぶことになる。
大事なのは国民との婚約である。それは既に破棄されているのか?
我々はこの離婚劇に損害賠償を求めるのか、それとも祝儀を出すのか、いずれにせよ、出費であることに違いない。

「船頭多くして船山に登る」。これを多くで…
確かに、我々は現状に合わせて意味を理解しようとする。このように若者が故事の意味を取り違えるのも、船頭が船長になり大型機船を運転するようになると、水陸両用、山にまで登る船を想像することも可能になった。バーチャルリアリティでは、戦艦は宇宙を自由に遊泳できる、そしてそれはチームワークの勝利と漫画教育を受ければ、上記記事のような解釈も当然のこととしても不思議ではない。
「山に登ろう」とする若者を中心とする〈維新〉と「山には登山電車で」と若者を質そうとする〈太陽〉では、信念が違う。「北風と太陽」の話が逆転しているように思われる。
どちらもどの山に登るのかはっきりしない。
維新、2人が越えられなかった壁

分党という別れ方 政党助成金に群がる党 成果配分は公然と行われる擬装。
偽装が傲然と行われるようになり、表情は厚顔となる。頭は頑固になる。
官憲のトップに立ち、擬装を取り締まる?
ねじれは、必ず偽装を生み、偽装は必ず、悪を為す。
悪も善も熱処理し、消毒し、生成し、再利用する。
人間はそうはいかない。しかし、量質転化を図らなければ汚染処理は進まないのである。

物理的汚染処理と精神的汚染処理。
要するに、民主主義なるものは、共同謀議に全員を巻き込み、「我は他人よりちょっとよかれ」で、善にも悪にも加担しない中庸を求めるものとなる。
善悪の彼岸に至る質量転化には相応の環境が必要なのである。

2014年5月22日木曜日

自省:思考停止せず

袴田事件:元裁判官「死刑ありきで自白採用」 物証弱さ認識 - 毎日新聞

袴田事件については、「「袴田事件」について思うこと」で述べた。
その後、『平気でうそをつく人たち』を読み、「自省」することの大切さを改めた。
あらゆる人間の悪の根源が怠惰とナルシシズムにある》と著者ペックはいう。そして、「集団ナルシシズム」について次のように言っている。
《この凝集力として最も大きな力をもっているのが、おそらく集団ナルシシズムだと思われる。この集団ナルシシズムは、その最も単純かつ最も心地よい形として、集団のプライドという形で表出される。グループの構成員が自分の所属するグループに誇りを抱くと同様に、グループ自体が自分のプライドを高める方向の動きをする。》
この「集団ナルシシズム」から脱却するには、個人の「自省」と「浄化」が必要である。冒頭の記事の中で、
熊本さんは「5点の衣類が出てから裁判長の考えが変わったようだ。(審理に与えるインパクトは)大きかった」と証言。自身は、衣類発見のタイミングなどが不自然と感じ、袴田さんとは別人のものと考えていた、と振り返った。
とあった。
裏切り者のレッテルを張られることを覚悟しなければならない。
それは相当に勇気がいることである。臆病ではだめである。
付和雷同せず、裁くということは一大事なのである。
袴田事件:48年 「捏造」生んだ「信念」 「犯人視」捜査記録明記 - 毎日新聞

2014年5月19日月曜日

がんの診断と自殺および他の外因死との関連について

国立がん研究センターの多目的コホート研究によれば、
《がん診断後1年以内の自殺および他の外因死のリスクが有意に高い》ことが判ったという。《がんになっていないグループの自殺のリスクおよび他の外因死のリスクに比べ、がん診断を受けたグループの1年以内の自殺のリスクおよび他の外因死のリスクはともに約20倍でした。一方、診断後1年以上経過した自殺のリスクおよび他の外因死のリスクは、がんになっていないグループと違いがみられませんでした。》という。、
がんは日本人の2人に1人がなり、死因の約3割を占めるが、治療技術の進歩などで、5年生存率は03〜05年の統計で5割を超えている。特に早期で発見された時の5年生存率は約9割で、必ずしも死に直結する病気ではなくなった。このため国が12年に定めたがん対策推進基本計画では、死亡率の減少と同時に「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」を全体目標に掲げている。
という。
  参考資料(厚生労働省平成24年(2012)人口動態統計(確定数)の概況
自殺を減らすには、リスクを低めること、正しい認識が必要ということである。
正しい認識とは、患者だけの問題ではない、仕組みの中にある認識である。
認識の違い、信念の違いが、信頼感の障碍に??
医療技術の進歩と死亡率の低下を正しく認識することは勿論であるが、最も身近にいる、医者や看護士の認識はどうだろうか。

平気でうそがつけるのは???

先に、「科学は技術を正せるか 本末転倒した分子生物学??」と題して投稿した。
ロバート・ゲラー氏の示唆に随い、「ご冗談でしょうファインマンさん」を読み、ファインマンの謂う科学者の良心なるもの、彼の誠実さに触れた。ファインマンは次のように語っている。

《われわれは長い歴史を通して、自分自身を欺かぬ心構え、つまり純粋な科学的良心を培ってきたというのに、私の知っている限りでは残念ながら特にこれを教える科目というものがない。ただ何となくこれを肌で感じ、心に滲み込ませることによって自分のものとしてくれることを、ひたすら念じているだけです。》
《ですから私が今日卒業生諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために心ならずもこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような幸運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。》

「ご冗談でしょうファインマンさん」の読後感については後日述べたい。
ここでは、今回の「STAP細胞問題」で最初に私の頭に浮かんだ『平気でうそをつく人たち』という著書を取り上げる。その中で、著者は次のように言う。

《我々は知的怠惰から、科学的思考というものが趣味や好みと同様にその時の流行に左右されるものだ、ということを忘れ去っている。科学の権威筋が現在口にしている意見は、最新のものというだけであって、決して最終的、決定的なものではない。我々一般大衆は、自分の身の安全のためにも、科学者や科学者の断定することに疑念を抱くべきであり、また、そうすべき責任を負っている。別の言い方をするならば、我々は、決して、自分自身の個人的リーダーシップを放棄してはならないのである。これは厳しい要求かも知れないが、少なくとも善悪の問題について自分自身の判断を下し得る程度には、誰もが科学者となるべく努めるべきである。善悪の問題は、科学的考察の対象から除外するにはあまりにも重要な問題であるが、これを全面的に科学者の手に委ねるには、やはり、あまりにも大きな問題である》

この著はわれわれの科学信仰に対する警告の書であると思う。我々が民主主義なるものを知り、リーダーシップなるものを知った時、それを実現する責任は一人一人にあるということである。
今日の社会的混迷は、自業自得、我々自身が創り出しているものだということである。

2014年5月15日木曜日

「"認知症800万人"時代 行方不明者1万人~知られざる徘徊の実態~が放送されている。
これまでの放送内容な以下のとおりである。
そして今日、
の記事を読む。
過酷なものである。過積載による破綻である。
過分な延命が齎す不仕合せか。
限界質量を超えた人が増えているということである。自分を復元する力が失われている。
能力以上に期待を大きくし、時間を無視した成長発展が悲劇を生んでいる?

地球は私たちみんなのかけがえのないふるさと

「地球3千周、ふるさと感じた」 若田さん帰還、元気な姿:朝日新聞デジタル
《地球は私たちみんなのかけがえのないふるさとだな、と感じた》
と若田さんは語る。それは《半年間で地球を3千周くらいした。1周地球をまわるたびに》、感じたという。無重力感が想起させたものであろう。
それは、地球の重力が我々を地球人にしていることを意味する。
米航空宇宙局[4](NASA)の専用機で拠点のある米国ヒューストンに向かった。医学検査で体調に問題はなく、地上に慣れるリハビリ[5]を行う。
というほどに、宇宙人になっているのだ。

国際宇宙ステーション[1](ISS)から地上に戻った若田光一[2]さん(50)は日本時間14日午後、カザフスタン[3]のカラガンダ空港に到着した。》
若田さんが、地球から遠くの宇宙空間で、深謀遠慮で掴み取った感覚である。







2014年5月13日火曜日

体現するとは

クローズアップ2014:ザック哲学、海外組体現 最多12人、W杯日本代表 毎日新聞5月13日

体現の文字が躍る。〈体現〉の条件は何か。
〈体現〉を阻んだものは、何か。サッカーにもガラパゴス化はあるのだろうか。

◇野心的な姿勢、浸透
  • 相手に合わせるのではなく「攻撃サッカー」を貫くメッセージを打ち出した。
  • 一人一人、すべての技術を向上させる必要がある。若手はもっと海外に出るべきだ
  • 野心的な「攻め」の姿勢が、浸透しつつある。
  • 経験を糧にした海外組の活躍を当てにする。
  • 代表監督もグローバルな視点で選ぶ必要性を痛感。
◇目標達成には高い壁
  • 「まずは1次リーグ突破」と控えめだ。
  • ひとつの目安が「8強」。協会の14年度予算でも、W杯8強の賞金1400万ドル(約14億円)を収入として計上している。
  • 8強の前には高い壁がそびえる。
攻撃力を増すためには対抗心、個の強さを高めることが必要だ。そのためには野心が重要となる。
異質な海外経験がチームの和を強めるというのだ。
先ず個人が生命力を高めることであろう。個人の闘志がチームに火をつける。素養を磨くことだ。
教養が文明を生きる力とすれば、素養は野蛮を生きる力と対置できる。
教養が社会活力とすれば、素養は自然活力となる。
教養をつけても、素養はみがけない。
素養は粗野、野心と結びつく。心身を野に置く事によって身に付くものである。
教養が意識を高めるものならば、素養は無意識を高めるものと言える。
教養が理性ならば、素養は本能である。
闘志を燃やすのは情念、本能である。闘志は本性・素性を現わすことなのだ。
体現するには、野心を抱き、闘志を燃やすことが必要なのだ。そのフィールド(野)が心を耕すのである。

2014年5月6日火曜日

森林を伐採するなと言うなら金をくれ

森林を伐採するなと言うなら金をくれ:日経ビジネスオンライン

  • インドのハイデラバードで開催されていた第11回生物多様性条約締約国会議(COP11)が、10月20日に閉幕した。海外生物資源を利用する際の許認可取得や利益配分に関する国際ルールである「名古屋議定書」の発効には、まだ程遠い状況のままである。 

東南アジアから初の批准国はラオス
完全アウェイの会議で味方を見つけた
資源国には現状を脱出するための切り札
日本には厳格な国内措置は必要ないか?

  • 日本の生物資源関係者の多くは、義務や罰則を盛り込んだ厳格な国内措置には反対であることが改めてわかった。
  • 「あなたの国の生物資源は我が国では、厳重に監視されるので不法利用される心配はありませんよ」というアプローチ
  • 日本の利用者が海外の生物資源にアクセスする際には様々な規制があるのに、海外の利用者が日本の生物資源にアクセスする場合にはフリーというのはどうにも間尺に合わない気がする、というのはそれなりに理解できるだろう。
海外生物資源への戦略的アプローチを考えよう

  • COP11では名古屋議定書の批准推進がひとつの大きな目標として掲げられることとなった。日本政府も10月12日にサイドイベント「ABSに関する名古屋議定書を履行するための遺伝資源利用国としての措置に関する情報共有」を企画し、検討会で話し合われた内容を検討会議長の磯崎博司・上智大学教授が発表した。
  • 繰り返しになるが、国際的なプレゼンスが急激に下降しつつある日本がこれまでの利用国としての立場を維持するに当たって、現在相対的に高い信頼関係にだけ依存するというのはいささか頼りないものに思えるのは私だけだろうか?日本の海外生物資源に関する戦略的アプローチをもう一度考え直すよい機会だと私は思う。

2014年5月5日月曜日

選択の自由について

「選択の自由」について考えてみる。
同名の著書が1980年にガルブレイスにより上梓されている。                 
我々は「自由の選択」と「選択の自由」の違いを意識しているであろうか。
ドストエフスキー著『カラマゾフの兄弟』は《大審問官》でその違いを語っている?
「自由の選択」をした我々は、「選択の自由」を獲得した。がそれによって「人間らしく生きるために」正しい選択をしなければならなくなった。
どんな選択をすることもできるが、それが正しい選択であることが求められた。
求められたというより、我々は正しい選択をするように造られているのである。
正しい選択をしたときにのみ、我々は安らぐことができる。
そうでなければ安らぐことができない
それが人間であり、人間性とはそういうものなのである。
自由であるとは、本来この本性に基づいていることなのである。
だから〈事由〉ではなく〈自由〉なのである。
《自ずから然りとするところ》、自然なのである。

「自由の選択」をした我々には、「自由」が与えられた。
我々は「自由である」と主張できる。
しかし、「正しい選択」が何かが分って居なければ「選択の自由」を行使できない。
「選択の自由」は、「正しい選択」を行使する義務と引き換えに自由な選択を保障する。
しかし選択結果が正しいことを保証するものではない。
そして人間は正しい選択をすること、正しく在ることを望む、保証を求め彷徨うのである。

働かなければ子育て出来ない社会に?

働きながら子育てできる社会に  :日本経済新聞
5月5日の記事である。
「ワークライフバランスを実現する素晴らしい社会?」のように聞こえる。
しかし、穿って見れば、「働かなければ子育て出来ない苛酷な社会」とも読める。
「働かざるもの食うべからず」「職業を創り出し、人を産業ロボットにする社会」とサブリミナルな文字が点滅する。
「少子高齢化と大学」(4月28日)、「ファスト風土が、末端から壊死していく」(5月2日)は急速な産業化に拠る破綻を語る。
〈よる〉という字は、「拠る、依る、縁る、因る、寄る、由る」などと表記される。
「拠る」には《たてこもる》含意がある。産業化軍が拠り所とする信念が本末転倒をもたらしているのではないだろうか。
立ち止まって五感を鋭くし、叡智を引き出すことが必要に思える。