- 今年は1914年の第一次世界大戦勃発からちょうど100年にあたる。
- 日本はこの時に今でも中国がその日を国恥記念日とする対華21カ条要求を突きつけ、また終戦の講和会議では世界五大国の一つとして世界の平和秩序に対する責任ある地位を委ねられた。
- 「日露戦争後には多くの列強の士官らが勉強しにきた日本の世界最高水準だった戦争の技術も、航空機や戦車、潜水艦などの新兵器の登場によって一気に陳腐化してしまったのもまた第一次世界大戦なのである。」
第一次世界大戦、ヨーロッパの主戦場に参戦することなく、漁夫の利を得た日本は、増上慢に陥った。結果として兵器の技術革新に遅れることになり、そのまま第二次世界大戦へと進んでいった。
祖国防衛戦争から侵略戦争への分水嶺が第一次世界大戦であった。
「戦争は儲かる」ことを知った日本は、政商が暗躍することになったか。
植民地主義を学んでいくことになった。
植民とは、《ある国の国民または団体が、本国に従属する関係に置かれた地域に移住・定住して、経済活動や開拓活動などをすること》とある。
植民地とは、《この概念は古典古代,近代ヨーロッパ,近代日本と三重の歴史的位相をもち,それに応じて,意味する内容も拡大してきた。》とある。この位相をもって、第三の位相のみを糾弾するかのようである。
0 件のコメント:
コメントを投稿