挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年3月16日日曜日

マス社会の怖さ

マスメディアの怖さ」は「STAP細胞」と「佐村河内氏問題」を取り上げ、「マスメディア」の煽動ぶりを非難する。
同感である。
マスメディア、マスコミの専横は今に始まったことではないが、これもガラパゴス化をしている。
インターネット上にある情報は一次情報は皆無である。
我々は、そのことを肝に銘じ、それらの情報から生活情報を探り出す力をつける必要がある。
情報保護のために、偽情報が作られ、偽装が行われているとすれば、凡人にそれらを見破る手はない。巧妙に洗脳されてしまえば、・・・

今日的なマスコミの態度と、またそれを取り締まろうとする側、たとえば与党との攻防は同じ穴のムジナのような気もする。

「情報に接近すればするほど、情報が見えなくなる」ことが起きている。
今回の小保方氏の騒動は、《道具が道具を生み出し、それを〈なま〉の「STAP細胞」だと結論した。》ということではないか。
今日の研究者が使っている装置はICTの固まりである。機械化された眼で真実を眺めている。
機械化された天才が生む悲劇???
凡人は夢想する。

どこからが〈なま〉が始まるのか、細胞内に入った〈緩手〉は既に〈なま〉の中にある。
細胞の中に手を突っ込んで、揺らしてみたら泡が立った。・・・・
道具と対象物との境界、その境界に生まれ出るもの、それが一時的なのか、永続的なのか、定常状態をどう確保するか、様々なことが考えられるだろう。凡人には限界がある。思考においても運動においても。その限界を超える狂人的な働きによって、狂人が集まれば、恒久的な環境が作り出せたとしたら、そこに生まれ出てくる泡は・・・・
しかし、その狂人の群れは奴隷と呼ばれるようになった・・・・、昔は研究者と呼ばれたらしい・・・・、
ノーベル賞というおいしい餌もあったらしい・・・・

言葉も情報も道具である。
今回の問題は、〈存在〉に関わる問題であり、〈情報〉と〈実物〉という問題に行き着く。
故意か否かはともかく、擬装が偽装として葬られるか、単位を細かくすることで、体裁を整えて儀装と認められるか、真相が知りたい。

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