挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年3月31日月曜日

新年度に向けて

新年度に向け、新たな試みをしたい。
二つのウェブサイトと二つのブログを用意しました。
リンクは左欄にリンクボタンを用意しました。

「温故知新」を続け、〈義憤・公憤〉を涵養し、時には、みんなで憤りましょう。

2014年3月17日月曜日

「ポジティブ福祉」なるもの 新3K

「『ポジティブ福祉』が始まる」という記事を見つけた。

福祉とクラブカルチャーを掛け合わせたものだという。
その中で、「“かっこいい”“かわいい”“けっこうおもしろい”」の新3Kが、暗いイメージの3Kにとって代わっていることを知った。
介護の親を持つ身として、また老々介護の現実に向き合おうとするとき、ポジティブ思考がありがたい。

2014年3月16日日曜日

大学の質の低下は利用率の減少によるもの?


「大学の質低下 文科省の責任も問われる」MNS産経ニュース 2014.2.18 03:11 

大学の質の低下を指摘する。

質の低下は利用率の減少によるもの?
一般社会では、利用率、需要の低下は供給側の競争となって革新が進むのであるが、大学にそのような様子はうかがえない。なぜか。
ここも聖域として、産学官で汚染されているからだ。

大学生の増加は失業率の減少となって表れる。
学生は大学にとり、儲かる商品なのである。
商品を長持ちさせ、「金のなる木」とし、成長させることを画策しているようである。
学生の育成より、大学の発展、社会的地位の向上に励んでいるように思える。

大学が社会的避難場所となり、就職難民の受け入れとなっているのか?
その辺りを検証してみる必要がある。

マス社会の怖さ

マスメディアの怖さ」は「STAP細胞」と「佐村河内氏問題」を取り上げ、「マスメディア」の煽動ぶりを非難する。
同感である。
マスメディア、マスコミの専横は今に始まったことではないが、これもガラパゴス化をしている。
インターネット上にある情報は一次情報は皆無である。
我々は、そのことを肝に銘じ、それらの情報から生活情報を探り出す力をつける必要がある。
情報保護のために、偽情報が作られ、偽装が行われているとすれば、凡人にそれらを見破る手はない。巧妙に洗脳されてしまえば、・・・

今日的なマスコミの態度と、またそれを取り締まろうとする側、たとえば与党との攻防は同じ穴のムジナのような気もする。

「情報に接近すればするほど、情報が見えなくなる」ことが起きている。
今回の小保方氏の騒動は、《道具が道具を生み出し、それを〈なま〉の「STAP細胞」だと結論した。》ということではないか。
今日の研究者が使っている装置はICTの固まりである。機械化された眼で真実を眺めている。
機械化された天才が生む悲劇???
凡人は夢想する。

どこからが〈なま〉が始まるのか、細胞内に入った〈緩手〉は既に〈なま〉の中にある。
細胞の中に手を突っ込んで、揺らしてみたら泡が立った。・・・・
道具と対象物との境界、その境界に生まれ出るもの、それが一時的なのか、永続的なのか、定常状態をどう確保するか、様々なことが考えられるだろう。凡人には限界がある。思考においても運動においても。その限界を超える狂人的な働きによって、狂人が集まれば、恒久的な環境が作り出せたとしたら、そこに生まれ出てくる泡は・・・・
しかし、その狂人の群れは奴隷と呼ばれるようになった・・・・、昔は研究者と呼ばれたらしい・・・・、
ノーベル賞というおいしい餌もあったらしい・・・・

言葉も情報も道具である。
今回の問題は、〈存在〉に関わる問題であり、〈情報〉と〈実物〉という問題に行き着く。
故意か否かはともかく、擬装が偽装として葬られるか、単位を細かくすることで、体裁を整えて儀装と認められるか、真相が知りたい。

2014年3月9日日曜日

シラク3原則

シラク3原則なるものを知った。以下のようなものである。全文はこちらから
10年余りで0.34%の上昇はすごいものだ。
グーグル公共データによれば、ちなみに、1994年当時のフランスの人口は、59.195百万人であった。
また「文化は言葉。フランス語を話す、フランスで生まれる赤ちゃんを増やすしかない。」という視点、信念には全面的に賛同する。
日本が1.66%を切ったのは、同じく、グーグル公共データによれば、1988年であった。その年の人口は122.613百万人であった。
労働力としては減少を気にするが、文化の存亡に関してさして、減少を気にかけていないのか。
2010年の両国の人口は、それぞれ127.451百万人(日)、64.877百万人(仏)である。

2014年3月7日金曜日

あのモーツァルトも 今こそ学ぼう、偽作音楽史

佐村河内氏の「Hiroshima」以来、「偽装」「粉飾」が俎上に載っているが、遅ればせながら、首記のニュースを見つけた

今回の「事件」と同じく、ゴーストライターの腕前が表向きの作曲者より格段に優れていた例の極め付きは、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム」に違いない。

という。詳細は本文を見ていただくとして、歴史は創られるとはまさにこのことである。
天才は“ムラ”によって創られるということなのか。
出藍の誉れ」なんていうのも師の擬装だったりして。
現代の学校教育にもありそうな話ではないか。
あまり穿った見方をしたくはないが、「偏差値の偽装」なんど・・・とウェブ検索してみたら、
結果は、御覧の通り、これをどう思います?
何とかしたい!!

2014年3月6日木曜日

NHK出版編集長を免職 校正業務の架空発注

続くNHKの不祥事
これは、まだ腐敗の一部か? 腐敗は、「鉄の結束」をも腐敗させた。
抑止力がないゆえに、汚職、腐敗が蔓延るのであるが、その腐敗が、隠すこともできないほどに進んで、外に漏れ始めたに過ぎないのか。節操がなくなった。
甘い汁を吸っていた者同士の仲間割れか?
彼らは今囚人のジレンマに陥っている。
黙っていることはできないのだ。

中村正直という人

その人生を一言で言えば、維新、開国、文明開化という時期に「Self-Help」を日本語に訳した。そのために天がこのように出現させた人物。そうとしか私には思えないのである。」(『明治の人物誌』より)
まさに、「自助」を生きた人であったと感服する。

2014年3月5日水曜日

ヒラメを増やす新会長

経営委員に辞表を提出させた新会長はNHKの体質強化を図ったのか?
牛耳ろうとしたことは確かである。公共放送の器でないことは私でも判る。
「日本の聖域」NHKを糾弾した。
メディアに関して素人の会長人事、暴走する経営委員、さらには上ばかり見て仕事する「ヒラメ社員」など問題が指摘された。これら三つに見事に関連するのが今回の新会長の言動である。彼は〈公人〉にはあらず。
ついに、週刊朝日は《NHK籾井会長の就任会見発言は「放送法違反」》と叫ぶ。

何かとしくまれた世の中だ

何かとしくまれた世の中だ」との宮内義彦氏のブログが取り上げられている。
その一部は次のようなものである。何か、違和感を感じる。

実は、この「バレンタインデーにチョコレートを贈る」という習慣を根づかせたのは日本のチョコレート屋さんだということです。今は第一線から退いていますが、とても前向きなビジネスマンで、大変な商才を持っていた方だと感じました。日本のチョコレートの売り上げの大きな部分がバレンタインデーを核としているということで、このような「しかけ」づくりは業界にとって大成功だといえましょう。やはり消費者がこの「しかけ」に乗って楽しい思いをするということが受け入れられたのでしょう。不思議なのはこれが海外ではほとんど知られていないことで、国際化には至っていません。

しかし、少し話が飛躍するかもしれませんが、人生そのものが「しかけられたもの」になることほど背筋を寒くするものはありません。私の世代でももう昔話になってしまっていますが、国中が戦争に突っ走ってしまった感のある太平洋戦争。今思うと国民全体が特定の方向に引っ張られてしまったように思います。これも長い時間をかけて政治が一方向へ動き出し、軍部の後押し、メディアが一致して国民の世論をつくりあげるなかで、どこかでpoint of no returnを越え、一気呵成(かせい)に走り出してしまったのです。こんな「しかけ」には要注意です。


「第一次大戦から100年 司馬遼太郎の呪縛」を読んで

第一次大戦から100年 司馬遼太郎の呪縛」は、次のように言う。


  • 今年は1914年の第一次世界大戦勃発からちょうど100年にあたる。
  • 日本はこの時に今でも中国がその日を国恥記念日とする対華21カ条要求を突きつけ、また終戦の講和会議では世界五大国の一つとして世界の平和秩序に対する責任ある地位を委ねられた。
  • 「日露戦争後には多くの列強の士官らが勉強しにきた日本の世界最高水準だった戦争の技術も、航空機や戦車、潜水艦などの新兵器の登場によって一気に陳腐化してしまったのもまた第一次世界大戦なのである。」


2014年3月3日月曜日

「歌を忘れたカナリア」は、西条八十の作詞になる。
作詞は、次のようなものである。

唄を忘れた金糸雀(かなりや)は
後の山に棄てましよか
いえいえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
背戸の小藪に埋(い)けましょか
いえいえ それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましよか
いえいえ それはかわいそう

唄を忘れた金糸雀は
象牙(ぞうげ)の船に銀の櫂(かい)
月夜の海に浮べれば
忘れた唄をおもいだす
(「唄を忘れたカナリヤ」西條八十「砂金」より) 
異形にされた日本人は、「棄てる」、「埋ける」、「ぶつ」のいずれかを必要とするのか、それとも「象牙の船」「銀の櫂」「月夜の海」で再生できるのか、そうであるなら、「象牙の船」「銀の櫂」「月夜の海」とは何か
装備、技術、環境ということか?

2014年3月2日日曜日

ブログの再スタート

デザインを改定する
3年たつとやはり古い

今、昨年の大河ドラマ「坂の上の雲」が再放送されている。相変わらずの人気である。秋山好古、真之の兄弟、それに正岡子規をモデルにし、明治から昭和にかけて近代化を進める日本の物語に、われわれ視聴者は何を見ているのであろうか。 東京オリンピック後、新幹線が開通し、万博が開催された昭和45年に物語は完成する。日本が高度経済成長の急坂を上り始めたときである。 司馬遼太郎はその急坂の向こうの雲に何を見たのか、そして何を我々に伝えたかったのであろうか。 明治から敗戦までの時期を第一次近代化、その後、1995年までの50年を第二次近代化、そしてこれから始まろうとしている近代化を第三次近代化と呼ぶならば、 谷沢永一著「一冊でわかる「坂の上の雲」」によって、司馬遼太郎が伝えたかったこと(第一次近代化の実態)を理解し、寺島実郎著「われら戦後世代の「坂の上の雲」 ある団塊人の思考の軌跡」によって、戦後歩んだ道(第二次近代化の実態)を知り、「失われた10年」に続く第3次近代化の雲の実相を識別し、その中で彷徨する現代に明るい晴れ間を見出したい。

坂の上のクラウドは坂を平らかにした


上昇志向、方向性をどう育成するか、フラット化した世界で新たな課題が生まれる。
平等が良いのは、差別があるからで、差別がなくなったとき、人の行動はどう変わるのか
走っても走っても先にゴールがある。
ゴールとスタートが同じ時点であり、スタートしなくてもゴールに辿り着いており、いつまで(どこまででないところをあじわうこと)行ってもゴールにたどり着けない。時間が無限に続く世界と同じである。
現在と過去が同じ、未来も現在も同じ、つまり進化のない世界、ブラックホールになる。
                                  2010年12月20日に記していた

幻のオリンピック

                                 2010年12月20日に記していた

1940年、東京で開かれることになっていたオリンピックは

反対運動のきっかけは、昭和12年7月7日の盧溝橋事件――日本軍と中国軍の間で起きた衝突事件――が起きたこと、その翌年には中国との間の戦争が長期化する見通しが強まったことによる。


アジア歴史資料センター
2010年12月20日に記していた
今、昨年の大河ドラマ「坂の上の雲」が再放送されている。相変わらずの人気である。
秋山好古、真之の兄弟、それに正岡子規をモデルにし、明治から昭和にかけて近代化を進める日本の物語に、われわれ視聴者はこのドラマに何を見ているのであろうか。

「Always3丁目の夕日」は空前のロングセラーとなり国民的コミックとなった。
ここに共通するものは何なのだろうか?

以前、「清く貧しく美しく」と題する燈台守の生活を描いた感動的なドラマがあったことを思い出す。
誠実な生き方に感動した時代があった。今の人たちはこの物語をどう受け止めるのであろう。

村上春樹の「1Q84」は世界的に爆発的な人気だ。「スウェーデンの森」も映画化され、評判も高いようである。インターナショナルな文学が生まれたのだろうか。

一方、国内で好まれ、人気のある「坂の上の雲」は英語のタイトルさえ、不明確であるという。
この物語は、日本人受けするだけの物語か。
物語が完成したのは、昭和45年である。東京オリンピック後、新幹線が通り、万博が開催され、日本が高度経済成長の急坂を上り始めた時であった。
司馬遼太郎がその急坂の向こうに見える雲に何を見て、そして何を我々に伝えたかったのであろうか。
明治から敗戦までの時期を第一次近代化、その後の50年、1995年までの近代化を第二次近代化、そしてこれから始まろうとしている近代化を第三次近代化と呼ぶならば、日本は、第一次も、第二次も敗戦で終えた。第一次は軍事力、第二次は金融力で、そして新たに始まった近代化は、情報力あるいは知力による競争であると言われる。
この第三次近代化を勝利し、勝者の歴史を記すには、日本はどう戦うべきか、その知恵を見つけたいと願う。

谷沢永一著「」を参照し、司馬遼太郎が伝えたかったことを理解し、
寺島実郎著「われら戦後世代の「坂の上の雲」 ある団塊人の思考の軌跡」を参照し、戦後歩んだ道を知り、「失われた10年」に続く第3次近代化の雲の中で彷徨する現代に明るい晴れ間を見出したい


「坂の上の雲」で司馬遼太郎が言いたかったことは日本人には感動的なドラマであっても、国際的には評価の低いものなのであろうか。
評価が低くなる原因は、次のように、いろいろ考えられる。
もともと価値がない。
価値を表現できていない。
価値が複雑高度で理解不能である。
価値を計る基準が違う。

捨象するのではなく、価値が判るようになるまで保存することが必要であろう。

どうしようもなく美しいもの、純粋無垢の価値、汚すべきものではないものの保存はどう考えていくのか
まさに源泉の発露である

意固地
依怙地

素人と玄人
玄人とは、歴史的な積み重ねの中で洗練された技術を身につけた人
素人の誠実さ、無垢
素人が短兵急に玄人となろうとすると偽装が起こる
飾り始める 複雑化させる 長期化させる 重々しくする 貫禄
時代のより論理的になることを求めている
型、殻を作って安住しようとする
変化を同じように受け、対応する、公平な視界