2010年12月20日に記していた
今、昨年の大河ドラマ「坂の上の雲」が再放送されている。相変わらずの人気である。
秋山好古、真之の兄弟、それに正岡子規をモデルにし、明治から昭和にかけて近代化を進める日本の物語に、われわれ視聴者はこのドラマに何を見ているのであろうか。
「Always3丁目の夕日」は空前のロングセラーとなり国民的コミックとなった。
ここに共通するものは何なのだろうか?
以前、「清く貧しく美しく」と題する燈台守の生活を描いた感動的なドラマがあったことを思い出す。
誠実な生き方に感動した時代があった。今の人たちはこの物語をどう受け止めるのであろう。
村上春樹の「1Q84」は世界的に爆発的な人気だ。「スウェーデンの森」も映画化され、評判も高いようである。インターナショナルな文学が生まれたのだろうか。
一方、国内で好まれ、人気のある「坂の上の雲」は英語のタイトルさえ、不明確であるという。
この物語は、日本人受けするだけの物語か。
物語が完成したのは、昭和45年である。東京オリンピック後、新幹線が通り、万博が開催され、日本が高度経済成長の急坂を上り始めた時であった。
司馬遼太郎がその急坂の向こうに見える雲に何を見て、そして何を我々に伝えたかったのであろうか。
明治から敗戦までの時期を第一次近代化、その後の50年、1995年までの近代化を第二次近代化、そしてこれから始まろうとしている近代化を第三次近代化と呼ぶならば、日本は、第一次も、第二次も敗戦で終えた。第一次は軍事力、第二次は金融力で、そして新たに始まった近代化は、情報力あるいは知力による競争であると言われる。
この第三次近代化を勝利し、勝者の歴史を記すには、日本はどう戦うべきか、その知恵を見つけたいと願う。
谷沢永一著「」を参照し、司馬遼太郎が伝えたかったことを理解し、
寺島実郎著「われら戦後世代の「坂の上の雲」 ある団塊人の思考の軌跡」を参照し、戦後歩んだ道を知り、「失われた10年」に続く第3次近代化の雲の中で彷徨する現代に明るい晴れ間を見出したい
「坂の上の雲」で司馬遼太郎が言いたかったことは日本人には感動的なドラマであっても、国際的には評価の低いものなのであろうか。
評価が低くなる原因は、次のように、いろいろ考えられる。
もともと価値がない。
価値を表現できていない。
価値が複雑高度で理解不能である。
価値を計る基準が違う。
捨象するのではなく、価値が判るようになるまで保存することが必要であろう。
どうしようもなく美しいもの、純粋無垢の価値、汚すべきものではないものの保存はどう考えていくのか
まさに源泉の発露である
意固地
依怙地
素人と玄人
玄人とは、歴史的な積み重ねの中で洗練された技術を身につけた人
素人の誠実さ、無垢
素人が短兵急に玄人となろうとすると偽装が起こる
飾り始める 複雑化させる 長期化させる 重々しくする 貫禄
時代のより論理的になることを求めている
型、殻を作って安住しようとする
変化を同じように受け、対応する、公平な視界