挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2011年1月3日月曜日

正確な歴史認識(1)

19世紀、近代化の進む世界史に登場した日本は新参者であったという。
西欧の近代史を振り返り、当時の日本の位置づけを確認しておく。

14~15世紀にイタリアを中心に興ったルネッサンスはギリシア精神の復興とキリスト教的世界観からの解放により、世界観を新たにした西欧諸国は大航海時代を経て、さらなる発明・発見の場・分野を世界に拡げて科学的合理精神を育てていった。
16世紀から17世紀には、ヨーロッパはイタリア戦争、ユグノー戦争、三十年戦争など戦争に明け暮れた。
知謀を賭けた戦争、領土の拡大が発明・発見を促進し、新たな世界観・体制づくりが行われていったのである。スペインからオランダへ覇権が移転し、1648年ウェストファリア条約が結ばれ、合理的精神に基づく、ルールと体制が確立されたのであった。

1543年に鉄砲が、1549年にザビエルによってキリスト教が伝えられ、西欧文明に触れた日本では、戦国時代の末期、織豊時代をへて徳川によって江戸時代に入り、戦争が終結し、250年に亘る平和な時代に入ったのであった。鎖国によって「平和ぼけ(世界史との乖離)」が始まったのであった。
文武両道を実践的に開発していった西欧と文武両道を精神的な支柱として発達させていった差が近代化の足枷(不平等条約)となり、その克服に必死になったのが明治の近代化の姿であった。
ルネサンスから数えれば500年、ウェストファリア条約成立から数えて300年、産業革命から数えても100年の遅れを約50年で取り戻したのであった。
明治の建国日本の前にあった坂がどんなに急なものであったことか。
ウェストファリア条約で世界の開拓競争のルールが決められたのであった。これが万国公法と呼ばれるものの元型となったのである。それは「無政府状態にある世界で、絶対的権威を持った政府が武力を独占した国民国家(主権国家)同士が、経済的自立と固有の文化や価値観、イデオロギーを競い合い、世界秩序を確立しようとする」ものであった。

1760年の産業革命による機械力の活用による国力の差は決定的であった。
産業革命によって勢いを得たイギリスを中心として帝国主義的侵略が全世界に拡大していったのであった。日本が明治維新によって近代化のスタートラインに立ったとき、東洋は西欧諸国の群雄割拠、下克上の戦国模様で彩られる場であった(19世紀の外観を参照)。福沢諭吉が「脱亜入欧」を強調したのは、国としての体裁を整え、参加資格を獲得するために必要なことであった。
その参加資格が不十分であるときにつけられたハンディが不平等条約であったのだ。
国際社会の正会員になるために多大な努力が払われた。そして資格試験に合格し、会員資格を維持するためには実績が評価された。評価項目は軍事力と経済力であり、その細目が国民国家、殖産興業、帝国主義、植民地経営であった。
その努力が認められ、不平等条約が排除され、正会員となるために明治の約50年の歳月を要した。
そして正会員として、実績を確保する行動が既存の秩序を破壊する、品位の欠けたものであったために神の名を汚す、罪人として裁かれ、除名されたのであった。