今、三木清の「歴史の概念」を読み、考えている。
個々人の歴史意識によって、興味関心のあることは異なる、興味関心によって、異なる資料に基づき、歴史をたぐり寄せ、歴史の意味を解釈し、模倣、創造が行われる。その時、新しい歴史が生まれる。事実の歴史が、存在の歴史を生み、存在の歴史の新たな連なりがロゴスとしての歴史を変える。
東洋の劣等国、経済的な最貧国が列強に伍して近代化を進めたのが明治日本であった。
その建国日本を描いた作品が「坂の上の雲」である。
近代日本は我々の歴史意識の中で葬られていた。その近代日本の歴史を掘り起こしたのが「坂の上の雲」であろう。「坂の上の雲」によって、我々の現代は江戸時代以前の「近世日本」につながったのである。
「坂の上の雲」がこれほど人気を集め、人々の共感を得るのは、「坂の上の雲」に登場してくる一人ひとりの中に、自分自身を発見するからではないか。
日本人のパトスに訴え、日本人のエートスを湧出し、共感を創り出し、ロゴスとしての日本のかたちを共有させるためであろう。
ここで日本という言葉を使っているが、この限定を除くと、「個人のパトスに訴え、社会にエートスを湧出し、共感を創り出し、ロゴスとしての国のかたちを共有させる」となる。そして国の歴史が始まるのである。建国に当たっては、どの国でも同じようにこうしたプロセスが進行する。
日本の近代化の歴史もこうして始められた。
国を創造するという最大の事業に、取り組んだわれらの先人の行き方に共感し、その生き方を模倣し、新たな日本を創造したいという願いのあらわれであったとも考えられる。
建国というのは、いつの時代にも大事業である。そして建国はいつの時代にも必要なものとなった。その時代にふさわしい国づくりをしなければ、国際社会では国体を維持できないのである。
そして今、特に求められているのが文化立国である。
文化立国には、文化科学が必要である。
文化科学の基礎には生活圏、生活権が置かれる。
経済立国に成功した日本が改めて、文化立国を遂げようとする時、超えなければならないのが昭和期の日本であろう。
「大東亜共栄圏」を大義として掲げ、
「坂の上の雲」によって日本人は明治を取り戻したのである。
それでは「大正・昭和」を取り戻せたのか?
三木の言葉でいうと「大正・昭和初期を「手繰り寄せて」そこで生きる一人ひとりの生き方を模倣し、その生き方の中にある伝統を受け継いでいるかということである。
昭和については完全ではないであろう。当の司馬さんもノモハンだけは書けなかったと証言されるように、完全には取り戻すことはできないであろう。
しかし、問われるのは、歴史のその時点に立って考えたかということである。
戦後日本人の大半ははそれを考えなかった。考えないように教育されてきた。それでよいのか。よかろうはずがない。それでは伝統は引き継がれない。
我々は戦後だけで生きているのではない。これまでの伝統の受けに生きているのである。
人間は自然的存在であると同時に歴史的存在である。人間の人間たる所以は歴史を持つことにある。歴史が人間性を育んできたのである。歴史を否定することは人間を否定することになる。歴史は人間の証である。歴史が人間性、人格を創ったのである。歴史を否定することは人格を否定することになる。
歴史というものは
歴史の中で、誇りが生まれる。自然科学は愛を生まない。社会科学が人間関係、心理を扱う。
自然科学の法則は、解明され、発見されても、発明されるものではない。
社会科学の原理原則は、全て発明されたものである。それは模倣と創造により、習慣化され、慣習となり、制度となり、法となったのである。社会は人間が発明したものである。
社会の発展は、その創造したものによって、評価される。
歴史を掘り起こし、事実としての歴史を創った(生きた)のが司馬遼太郎であった。
司馬遼太郎は、彼が信じた日本人、日本を語ったのである。そしてそういう日本人を生き、日本を創りたいと願ったのである。
坂本龍馬、西鄕隆盛、勝海舟等々は司馬さんが創った坂本像、西鄕像、勝像だといわれる。それが司馬さんの坂本、西鄕、勝の模倣である。模倣することによって、坂本、西鄕、勝を生きたのである。坂本龍馬も、西鄕隆盛も、勝海舟もそれぞれ先人を模倣すると同時に、自己を模倣して生きていたのである。歴史上の坂本龍馬は、坂本自身によって創られたと同様に、先人によって創られたといえるし(坂本も先人の行き方を見習った)、我々後人がその生き方を模倣し、意味を発見し、新たな生き方を見出すところに
歴史観とはそうして、歴史意識をもち、歴史をたぐり寄せ、歴史を生きることによって生まれる。
存在の歴史の中に埋もれている史料を掘り起こし、事実を明らかにし事実としての歴史とすることによって、ロゴスとしての歴史への端緒が開かれる。さらにそれがロゴスとしての歴史となる時、現在という制約を受ける。そしてそこに歴史観が生まれる。
人が自身の内面的なもの(伝統によって培われたもの)を知ろうとする時、歴史認識が必要である。人間は時間的空間的存在である。人間の空間的存在を知るためには自然観、時間的存在を知るためには歴史観が必要になる。
自然は法則によって、歴史は価値によって支配される。法則は発見され、価値は創られる。
創るためには構想力が必要である、それがエートスである。
構想力が歴史をつくり、構想力によって歴史は動く。
歴史が動くとは、歴史物語の中の一コマ毎の場面の変化をいうのではなく、歴史意識をもって歴史を眺める時、現在の価値観が新たな史実を発見する。その史実の模倣・創造により、新たな伝統が創られる。歴史に新たな意味が解釈が施され、過去の歴史と共に、現在の歴史にも新たな方向が与えられる。
歴史を書かれた歴史として、その意味を理解することだけでは、歴史は変わらない。伝統を守るだけとなる。生きた証は、存在としての歴史として残ることになる。
そこで生活している個人がどう生きたかを知り、そこにあったものを感じ取ることにより、歴史の意味が変わってくる。
民主主義時代の歴史は、過去の歴史を民主主義的に理解してはじめて生まれる。
司馬遼太郎が事実としての歴史を書いたのが「坂の上の雲」である。
司馬遼太郎によって、坂本龍馬が、秋山真之が新たに生まれた、
江戸時代、明治時代、そして大正・昭和時代が新たなものとして現れることになった。
それは戦後教育で教わったものとはことなる日本、日本人の姿であった。いや教わったとはいえない、無視された日本の姿であった。
20世紀の日本の歴史は、激動の歴史であった。誇り高いものであったろうか。
激動の時代を生きたという実感をどの国よりも強く抱いているはずである。
それを自己評価できない、しないところが日本人の特徴であるともいえる。
特徴というよりも、特性、もっといえば、性癖である。
性癖というとやっと治療しなければという気になる。
その自覚がない。同質性が自覚することを不能にしている。
そして古典となりロゴスとしての歴史となった。
民族の構想力が高揚し、世界史に華々しく登場した当時の日本を描いたのが
構想力は個人の情熱に由来する。個人のパッションが国民のエートスと転じた時、個人はエートスに支配される。しかしそのエートスを転じることができるのは、個々人のエートス、個人のパッションに支えられた
歴史意識とOPF
歴史を否定することは、アイデンティティを無視することになる。
歴史を生きることが人間である。
歴史を否定することはアイデンティティを否定することになる。アイデンティティを確立するためには、自分の歴史を創ることである。
医学は自然観を中心に、発達した。特に対症療法的な西欧医学はその原因を対象(つまり客体)の中に求めた。西欧医学では自然治癒力を重んじた東洋医学は主体の生活の中にその原因を探った。治療法は客体の除去、切断となったのが西欧医学であり、主体を除去。切断できない東洋医学では、生活改善が治療法となった。(東洋医学と西洋医学)