挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年7月9日水曜日

ヘイトスピーチ

なぜ、ヘイトスピーチが起こるか。「ヘイト」という感情について、「免疫」になっていないことが、「ヘイト」感情に感染する原因ではないか。つまり、「ヘイト」感情がどれだけ、人を傷つけるものであるか、その体験が無い、あるいは足りないことが原因である。免疫抗体ができていないから感染するのである。そしてこの抗体は、感染してつくられるものであり、観戦によってはつくられないのである。
要するに異文化体験をすることが、タイバーシティの中で生きる経験が免疫をつくるのである。
また異文化体験が、間違ったものであると、トラウマになり、正常な反応ができなくなる場合も考えられる。トラウマは特殊な性情である。
〈ヘイトスピーチ〉とは、 《特定の人種や民族への憎悪や差別をあおる言動》のことで、《数年前から、在日コリアンが多い東京・新大久保や大阪・鶴橋で繰り返されている》ものである。《英仏独など欧州主要国は刑事罰を科しているが、日本や米国は表現の自由などを理由に法規制には慎重だ》と謂う。
朝鮮学校授業妨害:街宣損賠訴訟 2審もヘイトスピーチ違法 大阪高裁、在特会の控訴棄却は、「ヘイトスピーチ違法」として、控訴を棄却したことを報じている。
上野千鶴子氏は「現代史教育を軽視した付け」だという

自然の驚異は国防を超える

7月8日台風8号が沖縄を襲った。
台風8号[1]は中心付近の最大瞬間風速が70メートル(秒速)と予想され、気象庁は重大な災害が起こる可能性が著しく高まった場合の「特別警報」を台風では初めて発表した。》と毎日新聞は報じる。同時に、《米軍機61機がグアムなどに避難》したことも報じている。
自然の猛威の前に、軍事的権威も形無し、しっぽを巻いて避難する。


そこで、台風と核エネルギーの比較について考えて見た。
ウェブサイトで、《[Q&A] 台風や核爆発のエネルギーは何ジュールですか ...》を参照し、気候変動の脅威を思った。

見えるということ

ヒトより見える眼 赤外線センサー、市場拡大「第2幕」

ヒトより見える眼は便利で多様な用途が考えられる。
社会のサービス向上が期待され、上に挙げられているようにそのメリットが強調される。
しかし、デメリットも生じる。導入に当たっては我々の生活が大きく変わっていくということである。
便利な道具ができれば、それだけ依存的になる。生活空間の変化は人間関係、信頼関係に新たにこうした眼が加わるということである。「注意」というこうどうは資格も含め五官の通した総合的な働きであった。これに新たな眼が加わることになる。もちろんこの眼をどう位置付けるかは個人によって違う。
スマートシティ、スマ-トライフはあらゆる場面にこうした眼が働く生活空間を予想させる。
我々は周囲の事に煩わせることなく、目の前のことに集中することができる。というわけである。
ストレスはなくなるであろう。しかし、ストレスからの解放は、またカタルシスからの解放でもある。
喜怒哀楽の感情は、個人の行動を正常なものにするために働く。その働きの負担を個人から抜き取り、機械化、外部化して同じ機能をサービスとして提供することで、社会的負荷を増大させ、結果として、アンチスマート空間との間に格差を広げることになり、結局は地球単位ではストレス過剰の空間が生起することになるのではないか。

終に来ましたパーソナルプロダクション

グーグル仕掛けるメーカーの終焉、欲しいスマホは自作 :日本経済新聞

グーグルが、「Project Ara(プロジェクト・アラ)」を立ち上げた。《このプロジェクトが成功すれば、自分好みのスマホをすぐに手に入れられるようになるばかりか、端末メーカーや通信事業者が中心だったスマホ業界の生態系が一変する。》のだ。
《Project Araを立ち上げた狙いは、大きく2つに集約される。1つは、ハードウエア開発の速度や効率をソフトウエア並みに向上させる》ことにある。これにより、《「ユーザーは、新技術を早期に利用できる」(Project Araを担当するGoogle Advanced》という。
その狙いは次のように要約されている
  • 欲しいときに欲しい機能
  • 50ドル以下の無線LANスマホ実現へ
  • ハードの開発環境を無償に
  • モジュール用のマーケットを用意
  • 障壁を壊す
  • モジュール交換で専用端末に変身
  • ものづくりが変わる
  • Project Araが新技術育てる
  • スマホ市場の敗者復活のきっかけに

2014年7月7日月曜日

マタハラなるもの

都議会の「セクハラやじ」に始まる今回の「セクハラ発言」についてまとめてみる。
結論から先に言えば、緊張感の欠如、本末転倒にある。
見栄えをよく、化粧し、ショー化した議会運営にその一因があることは確かである。
全てが集票のためである。選挙も含め、話題中心の、言挙げしやすい人が選ばれ、そうした人が衆目を集める発言をする。手段を選ばず、話題に上ることが一つの成功とするならば、今回の「セクハラやじ」を引きだしたことは、成功事例である。しかし、これを鬼の首でもとったように過去に遡り、喧伝するのは、辟易とする。レベルの低さの露呈である。
兵庫県の県議の「号泣会見」は多くの人の共感を得て、「恥ずかしい」というレッテルが張られそうである。恥ずかしがっているのは誰か、嫌疑を選んだ市民である。同じように「セクハラやじ」は恥ずかしい事なのである。そしてこれは発言を喚起させた関係者全員の問題である。それなのに、誰も恥ずかしがらない。
「村意識」は恥を外部に晒さないように隠蔽した。
しかし「スマート意識」は恥も外聞も気にせず、外部に喧伝していることにも気づかない?
景観・美意識の違いである。昔の唄に「襤褸は着てても、心の錦」とあったがと、しかし、引用するとセクハラにつながりそう・・・。クワバラ、クワバラ

社説:女性蔑視ヤジ 少子化の理由が見えた - 毎日新聞

  • 周囲からは笑い声や拍手まで起こったという。
  • しかも少子化、人口減少というテーマを議論している最中に行われた
  • 結婚、出産、育児を女性の責任としてとらえる風潮だ。「女は産むためのもの」と言わんばかりのヤジにも敏感に反応しない。非難するどころか、笑ったり、盛り上げたりする。
  • 女性議員の数を大幅に増やす必要がある。
  • 蔑視ヤジの被害者側だが、差別にあったら勇気を出して、「ノー」を表明してほしい。
  • 目指すは女性の就任がニュースにならない日、だ。それには、まず政府や国会が、意識改革の旗振り役にふさわしい姿に変わらねばならない。

都議会ヤジ問題 識者に聞く : 大手小町 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

  • ヤジ問題の本質は、「結婚や出産は個人の自由により選択されるべきだ」という認識の欠落が、都議会全体にあったということ。
  • 相手に「差別発言」だと認識してもらうよう丁寧に対話することも、生きやすい社会を作る一歩になる。
  • 都議会では周りにたくさんいたのに、誰が言ったかなかなか特定されなかった。まずそれが問題だったと思う。
  • そんな日本の政治家を選んだのは有権者。自分たちが送り込んだ人たちであることを見直し、自分たちと地続きの問題だと考えるべきではないだろうか。
  • 結婚という個人にとって大事な選択に、知りもしない他人が口を出すことが重大な人権侵害につながるなど、気づいていないのでは。
  • 都議会はハラスメントに対する理解が足りないのではないか。
  • そもそも、女性議員がもっと多ければ、こうしたヤジは出なかったとも思う。

国会ヤジ:「産まないと駄目」に森雅子氏「マタハラだ」 - 毎日新聞

特集ワイド:マスコミ業界、マタハラの実態 - 毎日新聞

  • 「マタハラ」−−妊娠、出産はもちろん、広くは育児中の働く女性へのいやがらせを意味する「マタニティーハラスメント」が論争を巻き起こしている。

意思決定について

我々は、毎日いろいろな意思決定をしている。意思決定には、様々なレベルがある。メカニズムは同じであっても、重みは異なる。当然である。意思決定に関わる、利害関係者が異なり、状況が違うからである。
〈意思決定〉をキーワードとして、アラート検索し、〈意思決定〉に関するニュースを収集している。
7月6日の結果はこちらから
多種多様な〈意思決定〉が機能していることが分る。
そして最近頓に、「ICTによる意思決定支援システム」が喧伝されている。
しかし、「ICTによる意思決定支援システム」は、もろ刃の剣である。
そのメリットよりも、デメリットが表面化し、制御不能に陥っているのが今日的状況ではないか。
「理研」、然り、「医薬業界」、然り、である。
「意志決定」という表記は辞書にない。何故だろう。「意思決定」が正しい表記とされる。
〈意志決定〉を、「自由意志に基づく決定」と捉えると、それは主体的であり、主観的・絶対的なものであり、個人の〈意思決定〉が〈意志決定〉によるものであれば、その人の志向性、信念が反映される。一方、意思決定は客体的、つまり客観的・相対的である。
極論すれば、「意志決定を欠いた意思決定は結実しない」。
結実したように帳尻を合わせるところに擬装が生まれる。
〈意志決定〉を欠いた「意思決定」が不幸をつくっているように思える。
今日、ICTによるスマート社会は複雑な〈意思決定〉をスマートに行うことができると喧伝するが、要すれば、〈意志決定〉を、〈意思決定〉で代行するものであり、「意志決定=意思決定」とするのは個人の責任であると責任回避する。
〈意志〉と〈意思〉の乖離ここに問題が生じているように思える。

2014年7月2日水曜日

感情は理性を超えて??

発信箱:サッカーと誇り=大治朋子 - 毎日新聞
メディアも「ヒズボラの牙城に響くヘブライ語」と驚きをもって伝えた》という。。
《貧しいレバノン南部の一部の人々が、「敵対国」である隣国イスラエルのテレビ局が放映するヘブライ語の中継を傍受するようになった。》のである。
サッカーに対する熱い感情を抑えることができない。
敵性言語も、適性な働きで、適正な結果を創るかも、熱くなって、敵性感情、ナショナリズム、に至らないことを願う。