挨拶

ご同輩の、ご訪問、大歓迎いたします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行)
徒然なるままに観想を記しています。

2014年6月22日日曜日

武田よ、お前もか!!

予想されたことではあったが、やはり、業界の体質なのでしょうか。
武田薬品:降圧剤論文 学会グラフ、社員が作成 経緯説明へ - 毎日新聞
《関係者によると、同社は第三者機関の調査に対し、研究者側から委託を受け学会発表のグラフを作成していたが、データの改ざんはなかったと主張。学会発表と論文のグラフが異なったことについては、社員らが「記憶がない」などと述べ、原因は分からないという》

ここも限界質量を超えているのでしょう。
健康とは何か」で指摘したように、健康の基準が変わった。都合よく病人が作られている。
日本人間ドック学会、日本高血圧学会、日本動脈硬化学会、循環器学会学会、日本応用老年学会、動脈硬化学会など、学会により基準値が異なるのである。そして、今度は、治療のために、効果の不明の治療薬を、半永久的に投与する。
まさしくぼろ儲けの仕組み、これはもう産学官の共謀によって構築されていると勘繰りたくなる。
経営学では競争優位を確保するために、ビジネスモデルを構築を説きます。
各社はその構築に凌ぎを削ります。
そして武田薬品はエクセレントカンパニーとして、その経営が賞賛され、そのビジネスモデルは各社によって研究されています。武田薬品の成功には、別の秘訣がありそうですね。
企業の買収は他社もやっています。それだけでは、競争優位は保てないのでしょうね。
金力が徳義心を買収することを漱石はすでに100年前に指摘していました。慧眼ですね。
医学・薬学・生物化学などライフサイエンスに関わる分野は、他の科学とは異なり、それなりの倫理観を期待したのですが、無理なのでしょうか。理研もそうですが・・・・。
これも社会的な抑圧の故ですかね???

普通の国

集団的自衛権について

社説:視点 集団的自衛権「普通の国」論 - 毎日新聞は、
遺産という古くて新しい視点。国民の血税である経済支援が本当に評価されなかったのかという検証。加えて外交能力の向上など別手法での対応がまだ考え尽くされたわけではない。これで特殊な国としての生き様を捨てるのはいかにも惜しい。》という。
〈フクシマ〉の汚染処理が不十分なままに、〈ヒロシマ〉で罹患した核アレルギーで我々は退行しているのか。判断力が不足しているようだ。検証も不十分なままに、ただ先を向いて歩いていく姿はまさに、フィードバックなしの、フィードフォーワードで集団自殺を習性とするレミングの姿を想像させる。
検証ではなく、自省、反省が必要なのだが。

毎日新聞も、集団的自衛権の特集を組み、その事例を細かく「検証」しているが、検証だけで済ませるプロセスに問題はないか。プロセスが固定化し、検証が上滑りしているのではないか。それでは、普通の国にはなれないのではないか?

2014年6月16日月曜日

”らしさ”と”熱さ”

「背負うのが自分らしさ。W杯は躍動したい」 と長谷部は語っていた。

  • 「いろんなことはイメージしています。とにかく自分の良いところっていうのを、チームのやり方と融合させて、攻撃に守備に、僕のポジションなら両方やらなきゃいけないので。……躍動。躍動したいですね」と力強く語った。
〈自分らしさ〉を発揮するには、激情・情熱、つまり〈熱さ〉が必要であった。しかし、湿度80パーセントの熱さのなかで、日本は4年間、習得・強化してきた〈日本らしさ〉を発揮できずに終わった。
なぜか?ここで想像を膨らませてみると、「〈熱さ〉が出せなかった」ということだ。なぜなら、すでにフィールドは高温多湿で熱かった。それでも日本チームは前半よく戦った。が、後半、息が切れた。なぜか、オーバーヒートしたからだ。《過ぎたるは及ばざるが如し》である。クールダウンできなかった。
日本と比べて、コートジボワールは冷静であった。〈自分らしさ〉を発揮するために〈熱さ〉は必要なかった。彼らは冷静であればよかったのだ。

頭でやるサッカーと体でやるサッカーの違い

結果的に、基礎体力の差ということになりそうだ。〈自分らしく〉あるために〈熱さ〉を必要とし、一皮も二皮もむけなければならない日本人とその必要のない者との差であった。
スマート社会で、日本人が失ったもの(本能)、失おうとしているもの(感覚)が大きく映し出された戦いであった。

思考力とは

思考力の中心には行動がある。
「1位京大、思考力に評価 人事が選ぶ大学ランキング 徳島大6位・九大9位、地方の国立健闘」日本経済新聞6月16日付は、
《就職・転職支援の日経HRは企業の人事担当者を対象に、新卒社員の出身大学のイメージ調査を実施した。「対人力」や「知力・学力」「独創性」など5項目にまとめ、総合評価が最も高かったのは京都大学だった。2位に神戸大学、3位に大阪市立大学が続き、関西の国公立大学が上位を占めた。採用にあたる人事担当者の評価ランキングは就職活動を気にする受験生の大学選びの参考になりそうだ。》
人事担当者の評価ランキング = 大学選び》は短絡的な、思考力を欠いた選択だと思うが、思考力の背景には、試行錯誤の経験がある。その経験の豊かさが発想力の豊かさにつながる。
例えば、綺麗に整地され、区画整理された頭と、開墾は不十分であるが、草木が茂り、野鳥や昆虫などの生物が群れ集うそうした滋養豊かな頭との二つがあったとすれば、どちらが豊かな思考力を期待するであろうか。前者の頭は特定の用途には効率的に利用できる。しかし、思考が限定されている。後者は、効率性は未定である。しかし、あらゆる可能性を秘め、思考力を働かせる余地がある。
思考力を豊かにするには、生きた経験をすることである。
そうした意味では受験勉強なるものは思考を効率的にするかもしれないが、思考力は減退させるものと謂える。
ところでICT教育が導入され始めたが、思考力は向上するのであろうか。
その判定は難しいものになるだろう。思考・思考力をどう定義するかに拠るが、思考力は減退するのではないかと個人的には思う。それを思考という重荷からの解放として、進化と評価しているかのようである。もしそうであるなら、パスカルの謂う「人間は考える葦である」といった格言が意味する人間の価値が減退することが進化ということになり、進化の概念を書き換える必要が出てくる。

2014年6月14日土曜日

不正を不正と認識せず

科学的思考では、「〈不正〉を正しいことを証明できなかった〈仮説〉に過ぎない。」とでも考えるのであろうか。擬装を単なる仮説の綻びと考えているかのようである。
『サイエンスカフェ:不正を不正と認識せず - 毎日新聞』は、
《STAP細胞の不正でも会見した研究者に明確な反省は感じられなかった。「不正を不正と認識しない」。その言葉が妙に説得力を持って聞こえる。》
という。改めて科学者の鈍感を思い知らされる。
促成栽培で、必要な素養が十分に育たないままに伸びてしまったモヤシがバランスを失っているように見える。
《大学にはさらに科学史や科学哲学の授業を課し、広い視野と責任感を持った人材を育ててほしい》と、その治療に当たって、歴史・哲学を課すことを提言する。
退行し、麻痺した科学者の感覚は、理性では治せないのであろう。
弁証法の登場である。


2014年6月13日金曜日

ノバルティスのデータ改ざん

ノバルティスの社員が逮捕された。またしてもデータの改ざんである。
神聖であるべき科学の領域が侵されている。
問題をまとめてみれば、次図のようになる。メーカーと大学の癒着の上に胡坐をかく許認可行政。論文作成はメーカーにとって広告効果、研究者にとっては学会発表、学位論文のために、また研究費の援助を受ける口実として大きなメリットを生むものである。結果として、産学官による「ドラッグラグ大国」の創出、国民は高額医療費の負担を強いられる結果となる。

毎日新聞は以下の記事を特集する。

臨床試験疑惑 主論文も改ざん疑い ノ社立件も視野2014年06月12日

  • 臨床試験のデータを2009年の試験終了直後に受け取っていた
  • これを基に執筆されたバルサルタン[1]に関する同大の主論文もデータ改ざんが指摘されており、
  • 脳卒中などについてバルサルタンに有利な結果が出るようにデータを操作した図表を研究者に提供。
  • バルサルタンに脳卒中や心疾患の発症を抑える効果があるなどとしていた。
  • 白橋容疑者は自身で統計解析し、作成した図表を研究チームに提供。これを基に主論文が執筆された。

2014年6月12日木曜日

無重力な思い

日経新聞「春秋」に次のような文章を見つけた。
《人の重心はへその辺りにある。貝原益軒の養生訓では命の根がある場所。ここに力がないと体を支えられない。活動に支障も出るそうだ。航空会社にもあてはまる。へそは安全運航と顧客満足のはず。再建できて初心を忘れ、位置が見えなくなっていないか。会社運営の原理を学び直さないと、業績で臍(ほぞ)をかむことになる。》
《アルキメデスの原理》が発見された逸話から、《日本航空のシステム障害では、重心が計算できず、178便が欠航、約1万4千人が迷惑した。》ことに触れ、貝原益軒の養生訓へと話が展開している。

広辞苑に拠れば、思う、想うの語幹は重いの語幹と同源かと謂う。
重力に逆らい立ちあがり、二足歩行するようになった人間にとって重さを感じることが思うことの始まりであったことを想像させる。二足歩行にはバランスを取ること、重心の移動が最重要課題であり、最初に学習しなければならないことの一つであった。
進化(脳の発達)の過程で重い⇒思いが深い関係にあったことは容易に推測される。
大切なものに重要という言葉をあてたのも、思うことと重さの関係を表しているのであろう。
相手を思うということは、相手の重さを感得することと考えてみてはどうだろう。
そしてこのことは、我々が重力に支えられた存在であることを改めて気づかせる。
快苦感情は重圧に依って、重圧から解放されることから生まれる。
重力などの環境要因によって思考も成り立っていると考えられる。
若し我々が無重力状態で育ったなら、〈おもい〉ではなく、異なるもの、例えば〈かるい〉と名付けられるようなものを身に付けたかもしれない。